韓国野球委員会
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韓国野球委員会 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 한국 야구위원회 |
漢字: | 韓國 野球委員會 |
平仮名: (日本語読み仮名): |
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片仮名: (現地語読み仮名): |
ハングク=ヤグウィウォネ |
ラテン文字転写: | {{{latin}}} |
英語表記: | Korean Baseball Organization (KBO) |
種類 | プロ野球 |
開始年 | 1982年 |
参加チーム | 8 |
国 | 大韓民国 |
前回優勝チーム | 三星ライオンズ |
韓国野球委員会(かんこくやきゅういいんかい)は韓国のプロ野球の球界団体。韓国にプロ野球が生まれた1982年に設立されている。英名より韓国野球機構と訳されることもある。
韓国のプロ野球は、2006年現在1リーグ制8チームで構成されている。
目次 |
[編集] 構成球団
球団名 | 縁故地 | 本拠地球場 | 収容人数 |
斗山ベアーズ (Doosan Bears) |
ソウル特別市 | 蚕室総合運動場野球場 | 30,500人 |
LGツインズ (LG Twins) |
ソウル特別市 | 蚕室総合運動場野球場 | 30,500人 |
現代ユニコーンズ (Hyundai Unicorns) |
ソウル特別市 | 水原総合運動場野球場 | 20,000人 |
SKワイバーンズ (SK wyverns) |
仁川広域市 | 文鶴野球場 | 30,480人 |
三星ライオンズ (Samsung Lions) |
大邱広域市 | 大邱市民運動場野球場 | 12,000人 |
ロッテ・ジャイアンツ (Lotte Giants) |
釜山広域市 | 社稷野球場 | 40,000人 |
ハンファ・イーグルス (Hanhwa Eagles) |
大田広域市 | 大田ハンバッ運動場野球場 | 13,242人 |
起亜タイガース (Kia Tigers) |
光州広域市 | 光州無等総合競技場野球場 | 14,600人 |
- ※この他2軍リーグのみの参加で尚武野球部(兵役軍隊のチーム)と警察庁チームが出場している
[編集] 過去に出場した球団
球団名 | 縁故地 | 本拠地球場 | 収容人数 |
サンバンウル・レイダース (Ssangbangwool Raiders) |
全羅北道全州市 | 全州球場 | 人 |
[編集] チーム名・本拠地の遍歴
チーム名 | 遍歴 |
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斗山ベアーズ | 1982~1998年までOBベアーズ。 1999年にOBブランドの持ち主である子会社のOB麦酒(元の社名は東洋麦酒で、OBはその英語名Oriental Breweryの略称。)が株式売却により斗山グループから分離、球団は斗山グループが持ちつづけることによって現チーム名に。 当初、縁故地(ホームタウン)は親会社の縁の地であるソウルを希望。だが、MBCもソウルを縁故地として希望していたことと、韓国中部圏の大都市である大田市が空席となることから、縁故地配置のバランスを測ったKBOとの協議で新球団創設を前提に1984年までは大田広域市を使用し、1985シーズンからソウルに移転することに合意。 1985年、約束どおり大田を縁故地にするビングレ(後にハンファ、後述)の加入と伴い、ソウルに移転。 |
LGツインズ | 1982~1989年までMBC青龍(チョンニョン)(英語圏ではドラゴンズと紹介された)。 度重なる成績不振によってMBC放送局の首脳部が経営意欲を喪失。 1989年シーズンオフ、130億ウォン(当時のレートで約26億円)でラッキー金星グループに売却。チーム名は新しい親会社の頭文字を取ってLGの名を冠する。 縁故地はMBC球団創設時からソウル特別市。 |
現代ユニコーンズ | 1982~85年前期は三美(サンミ)・スーパースターズ。 元々プロ野球チームの営みに興味がなかった三美グループの球団売却によって1985年後期~1987年は青宝(チョンボ)ピントゥス。 1987シーズン後、化粧品メーカーの太平洋グループが球団を買収、1988~1995年は太平洋(テピョンヤン)ドルフィンズ。 1995シーズン後、太平洋グループが現代グループに球団をまた売却して1996年から現在のチーム名に。 チームが弱く、観客動員も低迷したため、幾度の球団売却を経験。 1999年にサンバンウルの解散、SKワイバーンズの誕生(後述)に伴って、縁故地のソウル移転を希望。現代は名目上はソウルを縁故地とするものの、ソウルに新たなプロ野球規格の球場が出来るまでの暫定本拠地球場として水原市内の水原球場に移転し、同時に空席となる仁川にSKが縁故地を定める。最近は親会社の経営不振から身売り話も取りざたされ、2006年末から深刻な経営危機に陥り、2007年1月には農協への球団売却がまとまりかけたが、諸方面からの反発が強く中止されてしまった。また現代グループも球団存続のための支援をしないことになり、依然として先行きは不透明である。 |
SKワイバーンズ | 2000年、サンバンウル解散による空位に新規加盟。 縁故地は仁川広域市。 |
三星ライオンズ | 1982年から名称変更なし。 縁故地は大邱広域市。 |
ロッテ・ジャイアンツ | 1982年から名称変更なし。 縁故地は釜山広域市。 |
ハンファ・イーグルス | 1985年にビングレ・イーグルスとして加盟。 1986シーズンから1軍リーグに参入。 1994年にビングレが韓国火薬グループから分離され、親会社の韓国火薬グループはハンファに名称変更。球団は親会社のハンファグループが保有しつづけることによりチーム名の冠をハンファに変更。 |
起亜タイガース | 1982年~2001年7月はヘテ・タイガース。 2001年8月に起亜自動車が買収し同シーズン途中、現チーム名に。 |
サンバンウル・レイダース | 1990年に加盟。ビングレ同様、加盟初年度は2軍リーグだけ参加。 1991年から1軍のリーグ戦に参入。 1999年限りで経営難により解散。 縁故地は全州市だった。 |
[編集] 歴史
1905年にキリスト教のアメリカ人宣教師の手により韓国に野球が伝わったとされる。同年に設立されたYMCA野球団は1912年11月朝鮮スポーツ史最初期の海外遠征として日本で試合を行っている(成績は1勝5敗1分)。1920年頃野球ブームのピークとなった。
第二次世界大戦後も学校における野球や社会人野球などは続き、1981年12月11日、三星、ロッテ、MBC、OB、ヘテ、三美の6球団により、プロ野球創立総会が開かれ、翌1982年にプロリーグ開幕し人気を博した。加熱するあまりに暴動も起きたが、その後も観客動員数は上昇傾向が続いた。しかし、90年代中盤に2002年のサッカーワールドカップ誘致を巡って起きた日本との競争に触発されて国全体にサッカーを支援しなければならないという雰囲気が形成され、マスコミ報道もサッカーが優先され人々の関心がサッカーの方に徐々に移ると同時に人気にかげりが見え始めた。それに加えて1997年の経済危機の影響も受け、低迷に拍車がかかる。人気復活の対策としてFA制度導入や1999年に2リーグ制(「ドリームリーグ」と「マジックリーグ」)導入などおこなったが1996年をピークに下観客動員数減少は続き、2001年には1リーグに戻っている。
1984年には日本の読売ジャイアンツ出身の新浦壽夫が三星ライオンズに入団(-1986年)している。また、韓国プロ野球を経て日本の球団に入団する韓国人選手も近年増えている。
2002年オフ、斗山ベアーズに元ヤクルトの入来智が日本人で初めて外国人枠登録で入団した。それまで韓国プロ野球開始以来長年に亘り外国人選手を認めていなかったため、元ヤクルトの宮城弘明が知り合いの韓国人に協力してもらい入団したのを除き、韓国プロ野球球団に在籍した日本人選手は全て在日コリアンであった。
[編集] 大会方式
現在の方式は8チームによる18回総当りの予選リーグを行う。延長戦は時間制限なしで12回まで(ポストシーズン=決勝トーナメントは15回まで)。順位は2004年までの勝ち数を優先(同じ場合は勝率(引き分けは0・5勝計算)、当該チームの直接対決などで決める)をやめて、元の勝率優先方式に戻す。
予選終了後上位4チームによるステップラダートーナメントで韓国チャンピオンを決定。
まず4位と3位が3戦2勝制の1回戦(準プレーオフ)を行い(2005年のみ5戦3勝制だったが、2006年から再び3戦2勝制に)、その勝者が2位チームとのやはり5戦3勝制による準決勝(プレーオフ)に進出。ここで勝ったチームと予選1位チームが7戦4勝制による決勝戦「韓国シリーズ」を戦って優勝を決める。
決勝戦については、出場両チームの本拠地球場の収容人員によって開催球場が違う。出場両チームの本拠地球場のどちらかが収容人員3万人以上の場合は第1,2,6,7戦が公式戦1位チームの本拠地、第3-5戦はプレーオフ勝者の本拠地で行われる。また、出場両チームの本拠地球場の収容人員が共に3万人に満たない場合には、第1,2戦は公式戦1位チームの本拠地、第3,4戦はプレーオフ勝者の本拠地、第5戦以降は中立地のソウル・蚕室球場で開催される。これは韓国に蚕室野球場以外に3万人前後の観客を収容できる球場が少ないからである。現在の韓国プロ野球の本拠地球場のうち3万人以上の収容人員であるのは蚕室野球場、仁川・文鶴野球場、釜山・社稷野球場の3球場である。
2004年以前の韓国シリーズ開催球場はソウルの球場を本拠地とするチームが韓国シリーズに進出した場合は第1,2,6,7戦が公式戦1位チームの本拠地、第3-5戦はプレーオフ勝者の本拠地で行われ、ソウルの球場を本拠地とするチームが韓国シリーズに出場しない場合は1第1,2戦は公式戦1位チームの本拠地、第3,4戦はプレーオフ勝者の本拠地、第5戦以降は中立地のソウル・蚕室球場で開催されていた。そのため、1999年の韓国シリーズは社稷球場を本拠地とするロッテ・ジャイアンツと大田球場を本拠地とするハンファ・イーグルスが進出したが、第5戦は蚕室球場で行われた。2003年の韓国シリーズも水原球場を本拠地とする現代ユニコーンズと、文鶴球場を本拠地とするSKワイバーンズとの対戦となったが、第5戦以降は蚕室球場で開催された。
2005年度からの改正は延長戦12回と並行して取り入れていた試合開始から4時間以降は新しいイニングに入れないというルールで時間切れ引き分けを狙った試合が多く、また決勝の韓国シリーズの場合でも3試合引き分けという異例の展開から試合の質が劣ることを懸念し、できるだけ完全決着に近い時間無制限で試合をしてファンの興味を高めるということや、選手の健康上の関係から週末などに行ったダブルヘッダー開催を極力編成しないようになったことがあげられている。
[編集] 歴代の試合方式
年度 | 試合方式 |
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1982年 | 年間80試合(16回総当り)を前・後期各40試合ずつ(同8回総当り)行い、各ステージ1位チームが韓国シリーズ(7試合)に進出。同一チームの場合はそれを行わず、そのチームがリーグ優勝。 |
1983~1984年 | 韓国シリーズ進出方式は変わらないが、レギュラーシーズンの試合数が年間100試合(20回総当り 前・後期各50試合=10回総当り)に変更された。 |
1985年 | レギュラーシーズンの試合数が110試合(22回総当り)となる。決勝戦進出条件が一部変則で、年間総合成績の1位チーム、及びそれ以外で前・後期の2期制(55試合=11回総当り)の優勝チームが進出できる権利を得た。しかし前・後期ともに三星が1位の「完全優勝」となったので、韓国シリーズはなかった。 |
1986~1988年 | 1986年に7チーム制となったので年間試合数は108試合(18回総当り)。これを54試合ずつ(9回総当り)の前・後期で実施し、プレイオフも下のように変更された。前年との違いは、どのような場合でも韓国シリーズは行われるように工夫されていること。
(1)各期の1位と2位がたすきがけ方式でプレーオフを5試合行い、その勝者同士で決勝戦を行う。 |
1989~1990年 | 2シーズン制を廃止し、1シーズン120試合(20回総当り)のリーグ戦+ポストシーズン。方式は3~4位間で3戦2勝制の準プレーオフがを行い、その勝者がレギュラーシーズン2位チームと5戦3勝制のプレーオフを行う。プレーオフの勝者が韓国シリーズに進出しレギュラーシーズン1位チームと優勝を争う。 |
1991~1992年 | 1991年に参加チームが8チームとなったので1シーズン126試合(18回総当り)となる。ポストシーズンの方式は1989~90年に同じ。 |
1993~1998年 | 準プレイオフ(3位vs4位)は、3位と4位の直接のゲーム差が3ゲーム差以内の場合にのみ行う以外は、1991~1992年の方式に同じ。この期間中、実際にペナントレースの結果でこのルールが適用されたのは1995年のみ。 |
1999 | リーグ戦をドリームリーグ、マジックリーグの2組に分けて行い、交流戦込みで年間132試合(同リーグと20試合ずつ他リーグと18試合ずつ)で行われ、各組の1位と2位のたすきがけでトーナメントを行う。 |
2000年 | 前年の制度に追加してどちらのリーグの3位のチームが勝率で相手リーグの2位のチームを上回る場合、その両チームで準プレーオフを行い、その勝者が3位チームの所属リーグの1位チームとプレイオフを行う。 |
2001年~2002年 | 1リーグ制に戻り19回総当り=1シーズン133試合+ポストシーズン(方法は現行方式と同じ)に。ここまでは順位は勝率の高いチームから順に決定していた。 |
2003年~2004年 | 順位決定が勝利数優先(同じ場合は勝率順。引き分けは0.5勝計算→直接対決成績)になる。 |
2005年~ | 年間126試合に削減。順位決定が勝率順。同じ勝率→直接対決成績→総得点→前年の順位になる。2005年から興行面を考えて準プレイオフ(3位vs4位)を5戦3勝制にしようとしたが、1年実施された後、準プレーオフが長すぎるという意見を受け3戦2先勝制に還元。 |
[編集] 年度別順位
年度 | 1位 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | 6位 | 7位 | 8位 |
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1982 | OB | 三星 | MBC | ヘテ | ロッテ | 三美 | ||
1983 | ヘテ | MBC | 三美 | 三星 | OB | ロッテ | ||
1984 | ロッテ | 三星 | OB | MBC | ヘテ | 三美 | ||
1985 ※1 |
三星 | ロッテ | ヘテ | OB | MBC | 三美/青宝 | ||
1986 | ヘテ | 三星 | MBC | OB | ロッテ | 青宝 | ピングレ | |
1987 | ヘテ | 三星 | ロッテ | OB | MBC | ピングレ | 青宝 | |
1988 | ヘテ | ピングレ | ロッテ | 三星 | OB | MBC | 太平洋 | |
1989 | ヘテ | ピングレ | 太平洋 | 三星 | OB | MBC | ロッテ | |
1990 | LG | 三星 | ヘテ | ピングレ | 太平洋 | ロッテ | OB | |
1991 | ヘテ | ピングレ | 三星 | ロッテ | 太平洋 | LG・サンバンウル | OB | |
1992 | ロッテ | ピングレ | ヘテ | 三星 | OB | 太平洋 | LG | サンバンウル |
1993 | ヘテ | 三星 | OB | LG | ピングレ | ロッテ | サンバンウル | 太平洋 |
1994 | LG | 太平洋 | ハンファ | ヘテ | 三星 | ロッテ | OB | サンバンウル |
1995 | OB | ロッテ | LG | ヘテ | 三星 | ハンファ | 太平洋 | サンバンウル |
1996 | ヘテ | 現代 | サンバンウル | ハンファ | ロッテ | 三星 | LG | OB |
1997 | ヘテ | LG | サンバンウル | 三星 | OB | 現代 | ハンファ | ロッテ |
1998 | 現代 | LG | 三星 | OB | ヘテ | サンバンウル | ハンファ | ロッテ |
1999 | ハンファ | ロッテ | 斗山 | 三星 | 現代 | LG | ヘテ | サンバンウル |
2000 | 現代 | 斗山 | 三星 | LG | ロッテ | ヘテ | ハンファ | SK |
2001 ※2 |
斗山 | 三星 | 現代 | ハンファ | ヘテ/起亜 | LG | SK | ロッテ |
2002 | 三星 | LG | 起亜 | 現代 | 斗山 | SK | ハンファ | ロッテ |
2003 | 現代 | SK | 起亜 | 三星 | ハンファ | LG | 斗山 | ロッテ |
2004 | 現代 | 三星 | 斗山 | 起亜 | SK | LG | ハンファ | ロッテ |
2005 | 三星 | 斗山 | ハンファ | SK | ロッテ | LG | 現代 | 起亜 |
2006 | 三星 | ハンファ | 現代 | 起亜 | 斗山 | SK | ロッテ | LG |
※1-三美は後期より青宝に身売り。 ※2-ヘテは8月より起亜に身売り。
[編集] 各年度の韓国シリーズ
- 星取表は勝利チームから見た結果。○は勝利、●は敗戦、△は引き分け。
回 | 年 | 勝利チーム | 優勝回数 | 成績 | 星取表 | 相手チーム |
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1 | 1982年 | OBベアーズ | 初優勝 | 4勝1敗1分け | △●○○○○ | 三星ライオンズ |
2 | 1983年 | ヘテ・タイガース | 初優勝 | 4勝1分け | ○○○△○ | MBC青龍 |
3 | 1984年 | ロッテ・ジャイアンツ | 初優勝 | 4勝3敗 | ○●○●●○○ | 三星ライオンズ |
4 | 1985年 | 三星ライオンズの前・後期統合優勝のため未開催 | ||||
5 | 1986年 | ヘテ・タイガース | 3年ぶり2度目 | 4勝1敗 | ○●○○○ | 三星ライオンズ |
6 | 1987年 | ヘテ・タイガース | 2年連続3度目 | 4勝0敗 | ○○○○ | 三星ライオンズ |
7 | 1988年 | ヘテ・タイガース | 3年連続4度目 | 4勝2敗 | ○○○●●○ | ビングレ・イーグルス |
8 | 1989年 | ヘテ・タイガース | 4年連続5度目 | 4勝1敗 | ●○○○○ | ビングレ・イーグルス |
9 | 1990年 | LGツインズ | 初優勝 | 4勝0敗 | ○○○○ | 三星ライオンズ |
10 | 1991年 | ヘテ・タイガース | 2年ぶり6度目 | 4勝0敗 | ○○○○ | ビングレ・イーグルス |
11 | 1992年 | ロッテ・ジャイアンツ | 8年ぶり2度目 | 4勝1敗 | ○○●○○ | ビングレ・イーグルス |
12 | 1993年 | ヘテ・タイガース | 2年ぶり7度目 | 4勝2敗1分け | ○●△●○○○ | 三星ライオンズ |
13 | 1994年 | LGツインズ | 4年ぶり2度目 | 4勝0敗 | ○○○○ | 太平洋ドルフィンス |
14 | 1995年 | OBベアーズ | 13年ぶり2度目 | 4勝3敗 | ●○○●●○○ | ロッテ・ジャイアンツ |
15 | 1996年 | ヘテ・タイガース | 3年ぶり8度目 | 4勝2敗 | ○●○●○○ | 現代ユニコーンズ |
16 | 1997年 | ヘテ・タイガース | 2年連続9度目 | 4勝1敗 | ○●○○○ | LGツインズ |
17 | 1998年 | 現代ユニコーンズ | 初優勝 | 4勝2敗 | ○○●○●○ | LGツインズ |
18 | 1999年 | ハンファ・イーグルス | 初優勝 | 4勝1敗 | ○○●○○ | ロッテ・ジャイアンツ |
19 | 2000年 | 現代ユニコーンズ | 2年ぶり2度目 | 4勝3敗 | ○○○●●●○ | 斗山ベアーズ |
20 | 2001年 | 斗山ベアーズ | 6年ぶり3度目 | 4勝2敗 | ●○○○●○ | 三星ライオンズ |
21 | 2002年 | 三星ライオンズ | 初優勝 | 4勝2敗 | ○●○○●○ | LGツインズ |
22 | 2003年 | 現代ユニコーンズ | 3年ぶり3度目 | 4勝3敗 | ○●●○○●○ | SKワイバーンズ |
23 | 2004年 | 現代ユニコーンズ | 2年連続4度目 | 4勝2敗3分け | ○△●△○●△○○ | 三星ライオンズ |
24 | 2005年 | 三星ライオンズ | 3年ぶり2度目 | 4勝0敗 | ○○○○ | 斗山ベアーズ |
25 | 2006年 | 三星ライオンズ | 2年連続3度目 | 4勝1敗1分け | ○●○○△○ | ハンファ・イーグルス |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
韓国野球委員会 (Korean Baseball Organization) | |
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斗山ベアーズ | LGツインズ | 現代ユニコーンズ | SKワイバーンズ |
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過去に存在したチーム | |
サンバンウル・レイダース |
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