ホワイトスネイク
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ホワイトスネイク | |
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出身地 | イギリス |
活動期間 | 1977年 - |
ジャンル | ハードロック ヘヴィメタル |
メンバー | デヴィッド・カヴァーディル ダグ・アルドリッチ レブ・ビーチ ユーライア・ダフィ ティモシー・ドゥルーリー トミー・アルドリッジ |
旧メンバー | ミッキー・ムーディほか |
ホワイトスネイク(Whitesnake)は、1977年に活動を開始したイギリスのハードロックバンド。元ディープ・パープルのデヴィッド・カヴァーディル(ヴォーカル)によって、ディープ・パープル解散後(デヴィッドはその前に脱退を決意していたともされる)、2枚のソロアルバムを経て結成される。
目次 |
[編集] 来歴
初期の音楽性はブルースに根差したハードロックを形成する。1976年、後期ディープ・パープルが目指したアメリカのスワンプ・ミュージックのようにファンキーなUKのグループ、ジューシー・ルーシーを経てステイタス・クオの作詞家であったボブ・ヤングと組んだヤング・アンド・ムーディーのソングライター/ギターリスト、ミッキー・ムーディを迎えての最初のアルバム"Whitesnake"を作り上げる。2作目の"Northwind"を経てグループを形成する。当初のメンバーにはミッキー・ムーディ、バーニー・マースデン、ニール・マーレィを核にリッキー・リー・ソウルやピートー・ソーリー。後に数人の鍵盤奏者やドラマーを交代させてディープ・パープルのジョン・ロード、イアン・ペイスをパーマネント・メンバーとさせる。 デヴィッドの稀代のディープ・ボイスを中心に、職人肌のツイン・ギターとジョン・ロードのオルガンが絡む通好みのバンドだった。全盛期の頃には『フール・フォー・ユア・ラヴィング』(1980年)『ドント・ブレイク・マイ・ハート・アゲイン』などがスマッシュ・ヒットするなど欧州および日本では根強い人気を誇った。
80年代半ばに入り、バンドは全米での成功を悲願とするようになる。その葛藤の中で、カヴァーディルのドラッグのトラブルによる裁判で活動は停止。レコード会社とのトラブルなどのしがらみがこれ以降のホワイトスネイクには、常についてまわることとなった。82年ある意味傑作でもあったレコーディング・アルバム"Saints and Sinners"をリリースした後に主なメンバーを解雇しコージー・パウエルを核としたメンバーで新世紀を迎える。84年に制作された"Slide It In"はアメリカン・ロックを熟知したメル・ギャレィがパワフルなソングライティングの重要人物となりその後のサウンドの重要な鍵ともなる。結局『スライド・イット・イン』はプラチナ・ディスクを獲得、アメリカの新興ラベル、ゲフェイン・レコードと契約を結ぶ。 メル・ギャレィはツアー中の怪我で解雇、コージー・パウエル(ドラムス)、ニール・マーレイ(ベース)、ジョン・サイクス(ギター)を加えて1984年にリリースした同メンバーで「スーパー・ロック '84 イン・ジャパン」に出演している。コージー・パウエルも85年のツアーの後脱退した。
3年ぶりのアルバム、『WS1987(日本での当時の別題:白蛇の紋章/サーペンス・アルバス)』は、かつての母国でのヒット曲2曲をアレンジして再録し、全体として泥臭さをおさえたうえ起伏にとんだドラマティックな構成であった。またレコーディングの前にデヴィッドは痛めていた喉の手術をし高音がよく響くようになり、金髪に染めたこともあり、かつてのロバート・プラントを髣髴とさせるようになった。ギターや他の楽器の音もソリッドなものとなり音もルックスも別のバンドかと思うほど洗練されて再登場した。これらはいずれも、明らかにMTVと全米での成功を意識したものだったが狙いは的中し、全米2位、800万枚以上を売り上げ、全世界でも1000万枚を超える大成功をおさめる。他方で「ケラング」など専門誌などの批評家らからはこのアルバムがアメリカ向きとなっている点とレッド・ツェッペリンを真似ていることを強く批判されることになったが、質の高さは疑いようもなく、現時点でもロック史上に残る作品として記憶されている。アルバムを作成した前述のジョン・サイクスを中心としたメンバーはバンドを去った(アルバムでのドラムスはエインズレー・ダンパー)ため、エイドリアン・ヴァンデンバーグ(ギター)、トミー・アルドリッジ(ドラムス)、ルディ・サーゾ(ベース)を加えてプロモーションビデオを作りワールドツアーを行い、大盛況に終わる。
そのままの勢いを次作につなげたかった彼らを、エイドリアンの腕の故障という悲劇が襲う。急遽スティーヴ・ヴァイをメンバーに追加して『スリップ・オブ・ザ・タング』(1989年)をリリースするが、前衛的なプレーヤーでブルースは嫌いだと告白する天才の加入はハードロック史に残る大ミスキャストであった(デヴィッド・カヴァーディルは映画『クロスロード』に悪魔に魂を売ったブルースギタリスト役で出演していたスティーヴ・ヴァイを見て加入を要請したようだが、それはアドリブではなく単に用意された楽曲を弾いていただけであった)。スティーヴ自身のソロアルバムの曲を加えたツアーはビジュアル的にも向上し大盛況であったが、スティーブのかっこよさとギタープレイがリーダーのデヴィッドと同等以上に注目されたこととアルバムが前作ほどは売れなかったことからこのメンツは長く続かなかった。1990年のグレイテスト・ヒット・アルバム以降は活動休止に入る。
1997年にソロ色の強い『レストレス・ハート』を発表後、現在までに日本でのアンプラグドショウを収めた『スターカーズ・イン・ジャパン』をリリースするに留まっている。
2003年9月、25周年記念ツアーの為に再結成。2006年5月には来日ツアーを行った。
ちなみにここ最近になってデヴィットは、バンド名の由来について自身のペ○スから由来していると明かした。また、過去に『BURRN!』誌の前田岳彦が「ホワイトスネイクは白人のチ○コって意味」と堂々と答えたことがある。
[編集] 歴代メンバー
- ボーカル
- デヴィッド・カヴァーディル(元ディープ・パープル)
- ギター
- ミッキー・ムーディ
- バーニー・マースデン(元UFO)
- メル・ギャレー(元トラピーズ)
- ジョン・サイクス(元シン・リジィ)
- エイドリアン・ヴァンデンバーグ(元ヴァンデンバーグ)
- ヴィヴィアン・キャンベル(元ディオ)
- スティーヴ・ヴァイ(元アルカトラス~デイヴィッド・リー・ロス・バンド)
- ウォーレン・デ・マルティーニ(元ラット)
- ダグ・アルドリッチ(元ライオン~ディオ)
- レブ・ビーチ(元ウィンガー~ドッケン)
- ベース
- ニール・マーレイ(脱退後VOW WOW~ブラック・サバス)
- コリン・ホッジキンソン
- ルディ・サーゾ(元クワイエット・ライオット~オジー・オズボーン・バンド)
- マルコ・メンドーサ(元ブルー・マーダー)
- ユーライア・ダフィ
- ドラムス
- デイヴ・ドウル
- イアン・ペイス(元ディープ・パープル)
- コージー・パウエル(元レインボー~マイケル・シェンカー・グループ)〔故人〕
- エインズレイ・ダンバー(元ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ~ジャーニー他)
- デニー・カーマッシ(元モントローズ~ハート)
- トミー・アルドリッジ(元オジー・オズボーン・バンド)
[編集] アルバム
- 「SNAKEBITE」(DAVID COVERDALE'S WHITESNAKE名義のミニアルバム)
- 「トラブル」TROUBLE
- 「ラヴ・ハンター」LOVE HUNTER
- 「ライヴ・アット・ハマースミス」LIVE AT HAMMERSMITH
- 「フール・フォー・ユア・ラヴィング」READY AN' WILLING
- 「ライヴ・・・イン・ザ・ハート・オブ・ザ・シティ」LIVE...IN THE HEART OF THE CITY
- 「カム・アンド・ゲット・イット」COME AN' GET IT
- 「セインツ・アンド・シナーズ」SAINTS & SINNERS
- 「スライド・イット・イン」SLIDE IT IN
- 「スライド・イット・イン~アメリカン・リミックス・ヴァージョン」SLIDE IT IN(AMERICAN REMIX VERSION)
- 「サーペンス・アルバス(白蛇の紋章)」WHITESNAKE(SERPENS ALBUS)
- 「スリップ・オブ・ザ・タング」SLIP OF THE TONGUE
- 「グレイテスト・ヒッツ」WHITESNAKE'S GREATEST HITS
- 「レストレス・ハート」RESTLESS HEART
- 「スターカーズ・イン・トーキョー~アコースティック・ライヴ・イン・ジャパン」STARKERS IN TOKYO
[編集] 外部リンク
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