マイク・マーシャル
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マイク・マーシャル(Michael Grant Marshall , 1943年1月15日 - )は、元メジャーリーグの投手。右投げ右打ち。アメリカ合衆国ミシガン州出身。
1960年、フィラデルフィア・フィリーズと契約するがメジャーに昇格できず、1966年4月11日にデトロイト・タイガースに移籍。1967年5月31日にメジャーデビューし、その年は37試合に登板。翌年はメジャーで登板できず、シーズン後にエキスパンション・ドラフトでシアトル・パイロッツ(現ミルウォーキー・ブルワーズ)に移籍。その後ヒューストン・アストロズを経てモントリオール・エクスポズに移籍しクローザーに定着。1972年は65試合に登板し防御率1.78、1973年は92試合に登板し、14勝11敗31セーブ、防御率2.66を記録。サイ・ヤング賞の投票ではトム・シーバーに次ぐ2位だった。
1973年シーズン後、ウィリー・デービスとのトレードでロサンゼルス・ドジャースに移籍。1974年、メジャー最多記録の106試合に登板し、15勝12敗21セーブ、防御率2.42で、リリーフ投手として初めてサイ・ヤング賞を受賞した。また、リリーフ最多投球イニング208回1/3、13試合連続登板のメジャー記録も作った。同年ワールドシリーズに進出。マイク・マーシャルは5試合すべてにリリーフ登板し、計9イニングを1失点に抑えたが、チームはオークランド・アスレチックスに1勝4敗で敗れた。
その後、成績が下降し数球団を渡り歩くが、ミネソタ・ツインズ在籍時の1979年に、36歳で90試合登板、リーグ最多の32セーブを挙げ復活を果たす。
1981年シーズン途中にニューヨーク・メッツに移籍し、シーズン後引退。
通算成績 723試合登板 97勝112敗188セーブ 880奪三振 防御率3.14
[編集] エピソード
- 1974年4月8日、アトランタ・ブレーブスのハンク・アーロンが、ドジャースのアル・ダウニング投手からベーブ・ルースの記録を破る通算715号本塁打を打った。その後アル・ダウニングは四球で2人を歩かせ降板。その後リリーフ登板したのがマイク・マーシャルだった。ドジャースでの初の登板であり、106試合登板の1試合目であった。
- 1974年6月21日~23日に行われたサンフランシスコ・ジャイアンツとの3連戦では、3連投3連勝を記録している。
[編集] 受賞歴・記録
- オールスター2回出場 (1974年、1975年)
- サイ・ヤング賞1回 (1974年)
- 最多セーブ3回 (1973年、1974年、1979年)
[編集] 外部リンク
- Mike Marshall's official website オフィシャルサイト