セーブ
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セーブとは、野球で、リードしているチームの救援投手が試合終了までリードを守りきることで付く投手記録。最多のセーブを記録した投手に最多セーブ投手のタイトルが与えられる。
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[編集] セーブの成り立ち
元々は、1960年に地方紙シカゴ・トリビューンのスポーツ担当記者だったジェローム・ホルツマンが提唱したものである。翌1961年より野球週刊誌「スポーティング・ニューズ」が誌上で表彰することとなった。制定当初は「(1)2点リードで登板し、1イニングを完全に投球した場合。(2)同点または勝ち越し点になる打者と対戦し、リードを守り切った場合」と現在よりかなり厳しい条件だった。このセーブに救援勝利を加算したものをセーブポイントと呼び、その両リーグ1位を最優秀救援投手として表彰した。1961年の最優秀救援投手は、ア・リーグは救援勝利15と19セーブをあげたルイス・アローヨ(ヤンキース)。ナ・リーグは救援勝利14、セーブ12のスチュー・ミラー(ジャイアンツ)だった。
セーブの概念を作り出すきっかけとなったのは、1959年に救援投手ながら18勝のメジャー新記録を樹立したロイ・フェイス投手(パイレーツ)の存在であった。フェイスは確かに18勝という素晴らしい成績を残したが、そのうち10勝はリードを守りきれず、先発投手の勝ち星を消してしまったがゆえに得た勝利であった。当時は、救援投手の評価基準は防御率と勝敗しかなく、ホルツマンは救援投手を正当に評価する指標が必要であるという想いを強くした。
ホルツマンは、セーブの概念を複数のメディアに発表。公式記録とするようにメジャーリーグ機構にも働きかけ、9年後の1969年に正式に公式記録となった。メジャーリーグでは50年ぶりの新たな公式記録誕生となった。
近年はセーブを稼ぐためにほぼセーブ機会だけに登板するクローザー(抑え投手)という役割を持った投手が現れ、特定の投手にセーブが集中するようになったため、制定当初のセーブの意義と著しく乖離するようになった。そのため、現在ではホールドが救援投手の新たな評価基準となっている。
公式記録として初めてセーブが記録された投手はビル・シンガー(ドジャース)である。1969年4月7日のシンシナティ・レッズとの開幕戦で記録している。シンガーは本来は先発投手であったため、通算セーブ数はこれを含めてたった2つである。
[編集] セーブの条件
勝利投手の権利を持たず、勝利チームの最後の投手として登板し、最後までリードを保ったまま試合を終了させたうえで、以下の条件を1つ以上満たした場合にその投手にセーブが記録される。
- 3点以内リードの場面で登板し1イニング以上登板
- 迎える2打者に連続ホームランを打たれたら同点または逆転される場面での登板
- 点差に関わりなく3イニングス以上登板
アメリカメジャーリーグでは、1988年からセーブ失敗を表すブロウンセーブ(Blown save:吹き飛んだセーブの意)も記録されている。これはセーブ機会に登板した投手が相手チームに同点に追いつかれる、あるいは逆転を許した場合に記録される。同点、あるいは逆転となった失点が自責点か否かは関係ない。その後、チームが逆転勝利したなどによって負け投手にならなかったとしても(あるいは勝ち投手となっても)ブロウンセーブの記録は取り消されない。年俸の査定にも影響する。
[編集] 連続セーブ記録の条件
日本では、すべての登板が連続セーブ記録の対象となり、セーブが付かない場面で登板すると無条件に連続セーブ記録が途切れてしまう。ただし延長12回裏などに登板して引き分けに持ち込んだ場合はこの限りではない。
一方、アメリカメジャーリーグでは、セーブ機会の登板のみが連続セーブ記録の対象となり、セーブの付かない場面での登板は連続記録とは無関係である。
[編集] セーブに関する記録
[編集] 日本プロ野球
[編集] 通算記録
記録は2006年シーズン終了時点
順位 | 名前 | セーブ | 順位 | 名前 | セーブ |
---|---|---|---|---|---|
1 | *高津臣吾 | 273 | 11 | 山本和行 | 130 |
2 | 佐々木主浩 | 252 | 12 | 牛島和彦 | 126 |
3 | *小林雅英 | 200 | 13 | エディ・ギャラード | 120 |
4 | 江夏豊 | 193 | 14 | ロドニー・ペドラザ | 117 |
5 | *豊田清 | 148 | 14 | *岩瀬仁紀 | 117 |
6 | 赤堀元之 | 139 | 16 | 郭源治 | 116 |
7 | 大野豊 | 138 | 17 | *佐々岡真司 | 106 |
8 | *大塚晶則 | 137 | 18 | 角盈男 | 99 |
9 | 斉藤明夫 | 133 | 19 | 宣銅烈 | 98 |
10 | 鹿取義隆 | 131 | 20 | 鈴木孝政 | 96 |
*は現役選手
[編集] シーズン記録
順位 | 名前 | 所属 | セーブ | 達成年 |
---|---|---|---|---|
1 | 岩瀬仁紀 | 中日ドラゴンズ | 46 | 2005 |
2 | 佐々木主浩 | 横浜ベイスターズ | 45 | 1998 |
3 | 岩瀬仁紀 | 中日ドラゴンズ | 40 | 2006 |
4 | MICHEAL | 北海道日本ハムファイターズ | 39 | 2006 |
5 | 佐々木主浩 | 横浜ベイスターズ | 38 | 1997 |
宣銅烈 | 中日ドラゴンズ | 1997 | ||
豊田清 | 西武ライオンズ | 2002 | ||
豊田清 | 西武ライオンズ | 2003 | ||
9 | 郭源治 | 中日ドラゴンズ | 37 | 1988 |
高津臣吾 | ヤクルトスワローズ | 2001 | ||
小林雅英 | 千葉ロッテマリーンズ | 2002 | ||
五十嵐亮太 | ヤクルトスワローズ | 2004 | ||
石井弘寿 | ヤクルトスワローズ | 2005 |
[編集] 珍記録
[編集] 勝利投手がセーブ
1974年7月12日に日生球場で行われた近鉄対日本ハム戦で、日本ハム投手・高橋直樹は先発で6回2アウトまで完封ペースだったが、その後打者・ジョーンズとの対戦途中に一旦三塁に退きワンポイントリリーフの救援投手と交代。救援投手がジョーンズとの対戦を終えた後に投手として再登板した高橋はそのまま投げきってチームは勝利。高橋には勝利とセーブがそれぞれ1ずつ記録された。これはおかしいということになり、翌年以降これと同様のケースでは勝利投手のみを記録するように改められた。
[編集] 0球セーブ
1980年10月2日の南海対阪急戦の最終回、2死1塁で登板した南海の金城基泰は、打者に対して初球を投げる前に1塁走者に牽制球を送り、これがアウト。試合終了となった。これにより、投球数は0球であるが、セーブが認められた。
[編集] アメリカメジャーリーグ
[編集] 通算記録
記録は2006年シーズン終了時点
順位 | 名前 | セーブ | 順位 | 名前 | セーブ |
---|---|---|---|---|---|
1 | *トレバー・ホフマン | 482 | 11 | *ビリー・ワグナー | 324 |
2 | リー・スミス | 478 | トロイ・パーシバル | ||
3 | ジョン・フランコ | 424 | 13 | *ホゼ・メサ | 320 |
4 | *マリアノ・リベラ | 413 | 14 | リック・アギレラ | 318 |
5 | デニス・エカーズリー | 390 | 15 | ロブ・ネン | 314 |
6 | ジェフ・リアドン | 367 | 16 | トム・ヘンキ | 311 |
7 | ランディ・マイヤーズ | 347 | 17 | リッチ・ゴセージ | 310 |
8 | ローリー・フィンガース | 341 | 18 | ジェフ・モンゴメリー | 304 |
9 | ジョン・ウェッテランド | 330 | 19 | ダグ・ジョーンズ | 303 |
10 | *ロベルト・ヘルナンデス | 326 | 20 | ブルース・スーター | 300 |
*は現役選手
[編集] シーズン記録
順位 | 名前 | 所属 | セーブ | 達成年 |
---|---|---|---|---|
1 | ボビー・シグペン | シカゴ・ホワイトソックス | 57 | 1990 |
2 | エリック・ガニエ | ロサンゼルス・ドジャース | 55 | 2003 |
ジョン・スモルツ | アトランタ・ブレーブス | 2002 | ||
4 | トレバー・ホフマン | サンディエゴ・パドレス | 53 | 1998 |
ランディ・マイヤーズ | シカゴ・カブス | 1993 | ||
マリアノ・リベラ | ニューヨーク・ヤンキース | 2004 | ||
7 | エリック・ガニエ | ロサンゼルス・ドジャース | 52 | 2002 |
8 | ロッド・ベック | シカゴ・カブス | 51 | 1998 |
デニス・エカーズリー | オークランド・アスレチックス | 1992 | ||
10 | マリアノ・リベラ | ニューヨーク・ヤンキース | 50 | 2001 |