松井やより
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松井 やより(まつい やより、1934年4月12日 - 2002年12月27日)はジャーナリスト、フェミニスト。本名は松井耶依。
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人物
1961年東京外国語大学英米科を卒業して朝日新聞社に入社。社会部記者として福祉、公害、消費者問題、女性問題などを取材し、立川支局長、編集委員から1981~85年シンガポール・アジア総局員。1994年朝日新聞社定年退職。
朝日新聞社在職中の1977年に「アジア女たちの会」を設立し、退職後の1995年にアジア女性資料センターを、1998年にVAWW-NETジャパンを設立して代表となる。朝日時代から上智大学、千葉大学、日本福祉大学、日本女子大学、琉球大学の非常勤講師、横浜国立大学大学院の客員教授を務めた。
2000年12月に催された女性国際戦犯法廷で国際実行委員会共同代表の1人となり、日本側主催者の代表となった。
父の平山照次は牧師で、東京都渋谷区に東京山手教会を創立した。本名の「耶依」もキリスト教に由来する。テレビ番組朝まで生テレビ!において、日本軍が残虐という自説を展開した後、父親が中国での作戦に参加していたことを問われると、キリスト教の牧師であるので、殴るのではなく殴られていたと主張した。
著書
単著
- 『女性解放とは何か』未来社、1975年
- 『人民の沈黙』すずさわ書店、1980年
- 『魂にふれるアジア』 朝日新聞社、1985年
- 『女たちのアジア』岩波書店、1987年
- 『アジア・女・民衆』新幹社、1988年
- 『市民と援助』岩波書店、1990年
- 『アジアに生きる子どもたち』労働旬報社、1991年
- 『魂にふれるアジア』朝日新聞社、1992年
- 『アジアの観光開発と日本』新幹社、1993年
- 『日本を問うアジア』部落解放研究所、1994年
- 『アジア・女性・子ども』NCCキリスト教アジア資料センター、1995年
- 『女たちがつくるアジア』岩波書店、1996年
- 『北京で燃えた女たち』岩波書店、1996年
- 『アジアの女たち』旬報社、1998年
- 『グローバル化と女性への暴力』インパクト出版会、2000年
- 『若い記者たちへ 松井やよりの「遺言」』樹花舎、2003年
- 『愛と怒り闘う勇気』岩波書店、2003年
共著・編著
- 『日本の医療. 5』(朝日新聞社編)朝日新聞社、1973年
- 『講座おんな. 2』(吉武輝子ほかとの共著)筑摩書房、1973年
- 『新国際秩序と平和』(日本平和学会編集委員会編)早稲田大学出版部、1986年
- 『アジアから来た出稼ぎ労働者たち』(内海愛子と共編)明石書店、1988年
- 『NGO,ODA援助は誰のためか』(R.ルプレヒトと共編)明石書店、1992年
- 『フェミニズムはだれのもの?』(共著)増進会出版社、1996年
- 『日本のお父さんに会いたい』(編著)岩波書店、1998年
- 『あしたを拓く女たち』(監修)アジア女性資料センター、1998年
- 『地球をめぐる女たちの反戦の声』(編著)明石書店、2001年
- 『女性国際戦犯法廷の全記録. 1』(編著)緑風出版、2002年
- 『女性国際戦犯法廷の全記録. 2』(編著)緑風出版、2002年
- 『20人の男たちと語る性と政治』(編著)御茶の水書房、2002年