マヌエル・アサーニャ
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マヌエル・アサーニャ(Manuel Azaña、1880年1月10日 - 1940年11月3日)は、スペイン第二共和制時代の政治家、首相(在位1931年10月14日 - 1933年9月12日)、第二共和制最後の大統領(1936年5月10日 - 1939年4月)。
[編集] 生涯
1880年1月10日、スペイン中部アルカラ・デ・エナレスの裕福な家庭に生まれた。1897年にザラゴザ大学で弁護士の資格を取得、1900年にコンプルテンス大学で博士号を得た。その後、左翼共和派の代表的な政治家として台頭し、1931年にスペインで王政が崩壊すると、新たに成立した共和国政府の陸軍大臣、首相を歴任した。当時のスペインは革命後の政治的混乱から暴動が頻発していた上、著しく拡大していた貧富の差の是正、近代化改革の妨げとなっていたカトリック教会への対応など課題が山積していた。アサーニャが推進しようとした改革は、貧民層を満足させるにいたらなかった上、資本家、軍、カトリック教会などの保守層から反発を招き、成果を残せぬままスペイン内戦により政権崩壊へと至った。
1939年には内戦の敗北を受けてフランスのパリに亡命、翌年に同国のモルドバンで客死した。
[編集] 関連項目
前任者: アルカラ・サモーラ |
後任者: フランシスコ・フランコ |