マプト
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マプト市(Maputo cidade)は、モザンビークの首都であり、マプト州の州都でもある。天然の良港で、モザンビーク最大の近代的な都市である。植民地時代のポルトガル風建物も多く残っている。人口は966,837人(1997年)。
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[編集] 概要
インド洋に望む港町であり、マプト川が流れ、マプト湾へ注ぐ。その経済はこの近代的な港湾を中心とする。公式の統計による総人口は約100万人(1997年)である。実際にはスラムと非公式の居住地のためにそれ以上の住民がいると推定される。マプト港からの主な輸出品目は、石炭、木綿、砂糖、クロム、サイザル麻、コプラ、機械類である。また大きなアルミニウム精錬プラントモーザル (Mozal) がある。
マプトは、マプト湾の西側、テンベ川の河口に位置する。マプト湾は奥行き 95km 幅 30 km である。マプト川がマプト湾の南端で海に注いでいる。
マプトは18世紀にポルトガル人に創建され、ロレンソ・マルケス (Lourenço Marques)と命名された。マルケスはこの地方は1544年に最初に探検したポルトガルの貿易商人である。1895年、南アメリカのプトリアとマプトを結ぶ鉄道が開通し、人口が増加した。1907年に、ロレンソ・マルケスはモザンビーク植民地の首都となった。独立後、都市の名前は現在のマプトに変更された。
マプトは計画都市であり、街路は四角く直行し、道幅は広い。独立の過程においてポルトガル人に放棄されたため、街は地方の部族の村から直接に出てきた住民にときとして占拠された。これらの住民は近代的な都市に満足せず、占拠した家を破壊した。のちに共産主義政権の失政と、熟練労働者の不足と激しい内戦によって破壊がまし、2004年現在都市は大きな損害をうけたままにある。すでに修復と復興が開始され、古い建物を修復するのではなく、新たな建物が多く、勃興しつつある中産階級によって建てられている。公共サービスは依然として信頼性がなく不安定な状態にある。
[編集] 交通
モザンビークの南端に位置して、鉄道が国土を縦断していないため、北部との経済格差がある。道路は、長く続いた内戦時代の後遺症で、各地に地雷が無数にあり、発展を阻害する要素になっていた。しかしながら、近年、プラス成長となった。
[編集] 文化施設
モザンビーク大学、モザンビーク歴史博物館、軍事博物館、ローマ・カトリックのファティマの聖母大聖堂がある。