マリオ・チポリーニ
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マリオ・チポリーニ(Mario CIPOLLINI、1967年3月22日 - )は、イタリア出身の自転車プロロードレース選手。2005年に引退するまでに数々の栄光を手中に収め、まさに世界的スーパースターであった。派手好きでイタリアの伊達男。ライオン・キングのあだ名で親しまれ、日本でも「スーパーマリオ」などと呼ばれ人気があった。
プロキャリアは1989年からで、現役時代の身長・体重は189cm、76kg。驚異的なスプリント力を生かしたスプリンターで生涯勝利数は189勝。ジロ・デ・イタリアでは42のステージで勝利している。ツール・ド・フランスでも12のステージ、またブエルタ・ア・エスパーニャでも3ステージの勝利をあげている。2002年には世界選手権ベルギー大会をも制しアルカンシェルを獲得する。1999年のツール・ド・フランスでは195kmを平均時速50km以上で走破している。その他もミラノ~サンレモ等のメジャーレースで勝利を挙げておりその栄光は数限りない。
しかしながら、その反面山岳には滅法弱かった。山岳ステージが始まったとたんに棄権する事が多くあった。2004年最後のツール・ド・フランスでも怪我があったものの途中棄権している。そのためツール・ド・フランスのスプリント賞ジャージであるマイヨ・ベールとは縁が薄かった。
2005年4月28日金曜日にミラノで記者会見を行い正式に引退を発表。キャリア最後のチームはダニーロ・ディルーカも所属していた、リクイガス・ビアンキ。2005年ジロ・デ・イタリアのプロローグでのデモ走行を最後に現役を引退した。キャリア最終年の主なリザルトはツアー・オブ・カタール第4ステージ優勝、ジロ・デッラ・プロヴァンチア・ルッカ優勝である。
[編集] 寸評
彼の偉大さは戦績も去ることながら、彼を唯一無二の存在にしているのはスター性であろう。記録面で言えばアレサンドロ・ペタッキもジロ・デ・イタリアで一大会での区間9勝という記録を作り、今後チポリーニのジロ・デ・イタリア通算42勝という記録も抜いてしまうかもしれない。それでも人々の記憶に残るのは、やはり成績だけでなく生来あったスター性に起因するものではなかろうか。
[編集] エピソード
- レースのお披露目ではいつも特注の全身タイツで現れる。それはオーガナイザーに罰金を取られようが変わる事がなかった。もちろんチームも罰金を払うことになってもである。2004年のツール・ド・フランスでは全身ゼブラ模様(チームカラーでもあるのだが)の全身タイツで登場し、気に入らなかったのか足の部分だけスタート前にカットしてしまった。2005年引退のデモストレーションで現れたジロ・デ・イタリアのプロローグでも全身ピンク色のマリア・ローザを模した全身タイツで登場した。
- 自転車のフレームにハリウッド女優の下着姿をペイントしてみたり、自転車のステムにポルノ女優の写真を貼り付けレースに出た事もあった。
カテゴリ: イタリアの自転車選手 | 1967年生