ジロ・デ・イタリア
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ジロ・デ・イタリア(Giro d'Italia)は、毎年5月に開催される、プロの自転車選手によりイタリアを一周するロードレース。主催はイタリアのスポーツ紙『ガゼッタ・デロ・スポルト』等を発行するメディアグループ・RCSの関連会社であるRCSスポーツ社。
イタリア語に近く発音するなら「ジロ・ディターリア」となるはずであるが、そのようなカタカナ表記では「イタリア」の部分が曖昧になってしまうため、日本語では「ジロ・デ・イタリア」と表記されることが多い。ただし、「d'Italia」は「di Italia」の結合形であること、「デ」と発音される前置詞がイタリア語に存在しないことなどから「ジロ・ディ・イタリア」という表記も見られる。ファンの間では「ジロ」の通称で呼ばれる。イタリア人達は、「ツール・ド・フランスが世界最大のレースなら、ジロは世界最高のレース」と誇りにしている。
総合成績1位の選手には「マリア・ローザ」と呼ばれるピンク色のリーダージャージが与えられる。色の由来はガゼッタ・デッロ・スポルトの色がピンクであるところから来ている。このあたりの事情はツールのリーダージャージであるマイヨ・ジョーヌの場合と同じである。
日本では2002年よりJ SPORTSにて全ステージの中継が行われている。2006年から生中継が実現した。
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[編集] 歴史
第一回大会は1909年5月13日から30日まで行われ、ミラノから出発し、合計走行距離は2,408km。8区間で争われ、優勝選手の平均走行時速27.26kmだった。
87回目にあたる2004年の競技は、5月8日より5月30日までで合計走行距離3,423.9km、20区間で行われた。参加選手169名のうち完走選手は140名であった。総合優勝は誰も予想しなかった22歳の新人ダミアーノ・クネゴ(昨年の優勝者ジルベルト・シモーニと同じサエコに所属し、本来はシモーニを勝たせる為のアシスト役であった)。
2005年はパオロ・サヴォルデッリ(ディスカバリーチャンネル)と、前シーズンのランプレとサエコチームが合併した新チーム、ランプレ・カッフィータに変わったシモーニがマリア・ローザを激しく争ったが、結局サボルデッリが2002年以来2度目の優勝を飾った。
賞金総額は年によって上下するが、2004年の場合で約133万ユーロ。配分は各ステージ25位までの勝者に47万4千ユーロ。総合優勝者への15万ユーロやインテルジロ賞13万ユーロなど多くの賞の合計が62万3千ユーロ。チームへの賞金が23万3千ユーロとなっている。
[編集] 各賞とリーダージャージ
数種の賞が設定されており、リーダージャージと呼ばれる各賞に応じた色別のジャージがある。 前日のステージ終了時点で各賞の成績第1位の選手がそのジャージを着用する権利を手にいれる。
[編集] マリア・ローザ
ピンクのジャージ「マリア・ローザ」は総合成績1位の選手によって着用され、最も名誉あるジャージである。各ステージの所要時間を加算し、合計所要時間が最も少なかった選手がリーダーとして「マリア・ローザ」着用の権利を得る。最終ステージの終了時点で「マリア・ローザ」着用の権利をもっている選手がジロの総合優勝者となる。
[編集] マリア・チクラミーノ
シクラメン色のジャージ「マリア・チクラミーノ」は「スプリント賞」に対して与えられる。各ステージのゴール、およびステージ途中の中間スプリント地点の通過順位に応じてスプリント・ポイントが加算され、スプリント・ポイント1位の選手が「マリア・チクラミーノ」着用の権利を得る。
[編集] マリア・ヴェルデ
緑色のジャージ「マリア・ヴェルデ」は「山岳賞」に対して与えられる。登坂の頂上に設置される山岳ポイント地点の通過順位に応じた山岳ポイントが通過順位に応じて加算され山岳ポイント1位の選手に着用の「マリア・ヴェルデ」権利がある。 登り坂は勾配と長さに応じて、山岳ポイントが与えられる。
[編集] マリア・アッズーラ
青のジャージ「マリア・アッズーラ」は「インテルジロ賞」に対して与えられる。各ステージの中間に設定されたインテルジロ・ポイント地点の通過順位に応じてインテルジロ・ポイントが加算され、インテルジロ・ポイント1位の選手が「マリア・アッズーラ」着用の権利を得る。
[編集] 歴代総合優勝者
回 | 年 | 総合優勝者 | 国 | |
---|---|---|---|---|
89 | 2006 | イヴァン・バッソ | イタリア | |
88 | 2005 | パオロ・サヴォルデッリ (2) | イタリア | |
87 | 2004 | ダミアーノ・クネゴ | イタリア | |
86 | 2003 | ジルベルト・シモーニ (2) | イタリア | |
85 | 2002 | パオロ・サヴォルデッリ | イタリア | |
84 | 2001 | ジルベルト・シモーニ | イタリア | |
83 | 2000 | Stefano Garzelli | イタリア | |
82 | 1999 | Ivan Gotti (2) | イタリア | |
81 | 1998 | マルコ・パンターニ | イタリア | |
80 | 1997 | Ivan Gotti | イタリア | |
79 | 1996 | Pavel Tonkov | ロシア | |
78 | 1995 | Tony Rominger | スイス | |
77 | 1994 | Eugeni Berzin | ロシア | |
76 | 1993 | ミゲル・インドゥライン (2) | スペイン | |
75 | 1992 | ミゲル・インドゥライン | スペイン | |
74 | 1991 | Franco Chioccioli | イタリア | |
73 | 1990 | Gianni Bugno | イタリア | |
72 | 1989 | Laurent Fignon | フランス | |
71 | 1988 | Andrew Hampsten | アメリカ合衆国 | |
70 | 1987 | Stephen Roche | アイルランド | |
69 | 1986 | Roberto Visentini | イタリア | |
68 | 1985 | ベルナール・イノー (3) | フランス | |
67 | 1984 | Francesco Moser | イタリア | |
66 | 1983 | Giuseppe Saronni (2) | イタリア | |
65 | 1982 | ベルナール・イノー (2) | フランス | |
64 | 1981 | Giovanni Battaglin | イタリア | |
63 | 1980 | ベルナール・イノー | フランス | |
62 | 1979 | Giuseppe Saronni | イタリア | |
61 | 1978 | Johan de Muynck | ベルギー | |
60 | 1977 | Michel Pollentier | ベルギー | |
59 | 1976 | Felice Gimondi (3) | イタリア | |
58 | 1975 | Fausto Bertoglio | イタリア | |
57 | 1974 | エディ・メルクス (5) | ベルギー | |
56 | 1973 | エディ・メルクス (4) | ベルギー | |
55 | 1972 | エディ・メルクス (3) | ベルギー | |
54 | 1971 | Gösta Pettersson | スウェーデン | |
53 | 1970 | エディ・メルクス (2) | ベルギー | |
52 | 1969 | Felice Gimondi (2) | イタリア | |
51 | 1968 | エディ・メルクス | ベルギー | |
50 | 1967 | Felice Gimondi | イタリア | |
49 | 1966 | Gianni Motta | イタリア | |
48 | 1965 | Vittorio Adorni | イタリア | |
47 | 1964 | ジャック・アンクティル (2) | フランス | |
46 | 1963 | Franco Balmamion (2) | イタリア | |
45 | 1962 | Franco Balmamion | イタリア | |
44 | 1961 | Arnaldo Pambianco | イタリア | |
43 | 1960 | ジャック・アンクティル | フランス | |
42 | 1959 | Charly Gaul (2) | ルクセンブルク | |
41 | 1958 | Ercole Baldini | イタリア | |
40 | 1957 | Gastone Nencini | イタリア | |
39 | 1956 | Charly Gaul | ルクセンブルク | |
38 | 1955 | Fiorenzo Magni (3) | イタリア | |
37 | 1954 | Carlo Clerici | スイス | |
36 | 1953 | Fausto Coppi (5) | イタリア | |
35 | 1952 | Fausto Coppi (4) | イタリア | |
34 | 1951 | Fiorenzo Magni (2) | イタリア | |
33 | 1950 | Hugo Koblet | スイス | |
32 | 1949 | Fausto Coppi (3) | イタリア | |
31 | 1948 | Fiorenzo Magni | イタリア | |
30 | 1947 | Fausto Coppi (2) | イタリア | |
29 | 1946 | Gino Bartali (3) | イタリア | |
1941年から1945年は第二次世界大戦のため中止 | ||||
28 | 1940 | Fausto Coppi | イタリア | |
27 | 1939 | Giovanni Valetti (2) | イタリア | |
26 | 1938 | Giovanni Valetti | イタリア | |
25 | 1937 | Gino Bartali (2) | イタリア | |
24 | 1936 | Gino Bartali | イタリア | |
23 | 1935 | Vasco Bergamaschi | イタリア | |
22 | 1934 | Learco Guerra | イタリア | |
21 | 1933 | Alfredo Binda (5) | イタリア | |
20 | 1932 | Antonio Pesenti | イタリア | |
19 | 1931 | Francesco Camusso | イタリア | |
18 | 1930 | Luigi Marchisio | イタリア | |
17 | 1929 | Alfredo Binda (4) | イタリア | |
16 | 1928 | Alfredo Binda (3) | イタリア | |
15 | 1927 | Alfredo Binda (2) | イタリア | |
14 | 1926 | Giovanni Brunero (3) | イタリア | |
13 | 1925 | Alfredo Binda | イタリア | |
12 | 1924 | Giuseppe Enrici | イタリア | |
11 | 1923 | Costante Girardengo | イタリア | |
10 | 1922 | Giovanni Brunero (2) | イタリア | |
9 | 1921 | Giovanni Brunero | イタリア | |
8 | 1920 | Gaetano Belloni | イタリア | |
7 | 1919 | Costante Girardengo | イタリア | |
1915年から1918年は第一次世界大戦のため中止 | ||||
6 | 1914 | Alfonso Calzolari | イタリア | |
5 | 1913 | Carlo Oriani | イタリア | |
4 | 1912 | Team Atala: Carlo Galetti (3), Giovanni Micheletto, Eberardo Pavesi |
イタリア | |
3 | 1911 | Carlo Galetti (2) | イタリア | |
2 | 1910 | Carlo Galetti | イタリア | |
1 | 1909 | Luigi Ganna | イタリア |
[編集] 日本人選手
- 市川雅敏 (1961年 - ) 1990年完走(最終成績50位)
- 今中大介 (1963年 - ) 1995年第14ステージでリタイヤ
- 野寺秀徳 (1975年 - ) 2002年完走(最終成績139位)
[編集] 外部リンク
- 公式サイト - イタリア語、英語、フランス語、スペイン語、ドイツ語で閲覧可能