ムルシア州
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州都 | ムルシア、議会はカルタヘナ | ||||
公用語 | カスティーリャ語 | ||||
面積 – 総面積 – 割合 |
第9位 11,313km² 2.2% |
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人口 – 総人口(2005) – 割合 – 人口密度 |
第10位 1 335,792人 3.0% 118.08人/km² |
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住人の呼称 – 英語 – スペイン語 |
Murcian murciano/a |
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自治州法 | 1982年6月9日 | ||||
ISO 3166-2 | MU | ||||
議席割当 – 下院 – 上院 |
9 2 |
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州知事 | ラモン・ ルイス・バルカルセル・シソ(国民党、PP) | ||||
州政府のサイト |
ムルシア州(Región de Murcia)は、スペインを構成する自治州の一つ。直訳すると「ムルシア地域」自治州となる。ムルシア県1つからなる一県一州の自治州である。
スペインの南東部、アンダルシア州、カスティーリャ・ラ・マンチャ州、バレンシア州に挟まれた所に位置し、地中海に面している。行政の州都はムルシアだが、議会はカルタヘナに置かれている。
[編集] 歴史
カルタゴ人がカルタヘナの海岸に貿易拠点を築き、ローマ人によって「カルタゴ・ノヴァ」と呼ばれるようになった。ローマ時代には属州ヒスパニア・タラコネンシスの一部であったが、タラコネンシスが分割されたのちはカルタギネンシスの一部となった。
イスラム支配下では大規模な灌漑が導入されて農業が発展した。11世紀に後ウマイヤ朝が滅ぶと、タイファ諸国の1つムルシア王国の領域となった。ムルシアのタイファは、アルバセテ、アルメリア、アリカンテの一部も含んでいた。
レコンキスタの進展によって、1243年にカスティーリャ王フェルナンド3世に征服された。1264年、イスラム教徒が反乱を起すと、アラゴン王ハイメ1世に鎮圧された。1296年、カスティーリャ王国の内紛に乗じてアラゴン王ハイメ2世がこの地を征服したが、1304年の条約でカスティーリャ王国に返還され、アリカンテなど現在のバレンシアの南部はバレンシア王国(アラゴン王国)に編入された。
以後、カスティーリャ王およびスペイン王がムルシアの王を兼ねた。19世紀の県制度によってムルシア県が設立され、1978年の憲法によって自治州制度が導入されると、1982年にムルシアは自治州となった。それまでムルシア地方の一部であったアルバセテ県はカスティーリャ・ラ・マンチャ州に編入された。
[編集] 都市
人口は約130万人で、その3分の1が州都ムルシア(424,362人)に住んでいる。45の基礎自治体があり、2番目に人口の多い都市はカルタヘナ(206,565人)、3番目はロルカ(en、87,153人)である。
[編集] 交通
- サン・ハビエル・ムルシア空港
- カルタヘナ港

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