モーツァルト家
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モーツァルト家( - け、独:Mozart)は、オーストリアの音楽家一家。
モーツァルトという姓は、1330年ごろのシュヴァーベン公国(現バイエルン州)にさかのぼり、今でもレヒ川、ドナウ河、アルゴイ高地といった地域に点在する。作曲家モーツァルトの父方の祖先もその地域の出身である。元来はモツハルト(MotzhartまたはMotzhardt)という綴りで、「みすぼらしい奴・卑しい奴」とか「湿地の藪」というほどの意味であった。ある時期から、姓を現在のような語形に変えたのは、そのような消極的なイメージを避けるためだったと見なされている。
- ダーフィト・E.モツハルトDavid E. Motzhardt(アウクスブルクの農夫)
- ダーフィト・モツハルトDavid Motzhardt(1620-1685、アウクスブルクの煉瓦職人で大工の棟梁。ディッリンゲンのプファール教会の尖塔を造る。同教会はアウクスブルク司教の夏場の宮殿であった)
- (無名の息子、早世)
- ヨハン・ゲオルク・モーツァルト(1647-1719, 煉瓦職人・大工の棟梁・ツンフトの親方。アウクスブルクのザンクト=ゲオルク司教座教会を建てる。フッガー家の協力者)
- フランツ・モーツァルト(1649-1694、煉瓦職人)
- ヨハン・ゲオルク・モーツァルト(1679-1736, 製本工。再婚相手はアウクスブルク出身のアンア・マリア・ズルツァーAnna Maria Sulzer。)
- レオポルト・モーツァルト(1719-1787、宮廷楽師・作曲家。アンナ・マリア・ペルトルと結婚。)
- マリア・アンナ・モーツァルト(1751-1829、「ナンネルル」)
- ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)
- ライムント・モーツァルト(1783-1783)
- カール・トーマス・モーツァルト(1784-1858)
- ヨハン・レオポルト・モーツァルト(1786-1786)
- テレージア(1787-1788)
- アンナ(1789-1789)
- フランツ・クサーヴァー・モーツァルト(1791-1844、「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト2世」)
- フランツ・アロイス・モーツァルト(1727 - 1791、アウクスブルクの製本工)
- マリア・アンナ・テクラ・モーツァルト(1758 - 1841、「ベーズレ」)
- レオポルト・モーツァルト(1719-1787、宮廷楽師・作曲家。アンナ・マリア・ペルトルと結婚。)
- 無名の息子
- 無名の息子
- ヨハン・ゲオルク・モーツァルト(1679-1736, 製本工。再婚相手はアウクスブルク出身のアンア・マリア・ズルツァーAnna Maria Sulzer。)
- ミヒャエル・モーツァルトまたはダーフィト・モーツァルト神父(1655-1710、フランチェスコ会修道士)
- ダーフィト・モツハルトDavid Motzhardt(1620-1685、アウクスブルクの煉瓦職人で大工の棟梁。ディッリンゲンのプファール教会の尖塔を造る。同教会はアウクスブルク司教の夏場の宮殿であった)
モーツァルトという姓がきわめて有名になったのは、レオポルト・モーツァルトととりわけその息子ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトによってである。