ユジノサハリンスク
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ユジノサハリンスク(露:Южно-Сахалинск)はロシア連邦極東連邦管区のサハリン州州都。日本統治時代の行政区分では、豊原市、豊北村、川上村のそれぞれの一部にあたる。
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[編集] 概要
人口約17万4千人(2005年)。日本領時代(1905年 - 1945年)は樺太庁が置かれていた。サハリン州の州都で、州内で最大の都市である。市名は「南サハリンの町」の意。 樺太(サハリン島)の南部に位置し、東はススヤ連峰(鈴谷山脈)、西はユジノサハリンスキー山脈(樺太山脈)に囲まれた盆地(鈴谷平野)で、ススヤ川(鈴谷川)が市内を流れる。
人口のうち約4万人は、第二次世界大戦前に日本統治下にあった朝鮮半島から移住し、終戦後放置された韓国・朝鮮系の人々が占める。
ホルムスク(真岡)に通ずる鉄道の分岐点。輸送機関の修理工場をはじめ、鉱山、漁業、皮革、家具などの工場の他、高等師範学校、林、工、商の各種中等学校がある。
[編集] 略歴
- 1946年2月、ソ連が南樺太を自国へ編入する事を宣言。
- 1946年6月、 ソ連が豊原をユジノサハリンスクに改称
- 1947年4月、 ソ連がサハリン州の州都をユジノサハリンスクに移転
- 2001年1月、日本外務省が、ユジノサハリンスク市に総領事館を設置。
[編集] 大学
[編集] 進出している日系企業・団体
[編集] 日本との関係
[編集] 航空便・航路
郊外にあるホムトヴォ空港と日本の間には、サハリン航空により新千歳空港と函館空港との間に便がある。なお、これらの路線は現在日本就航便では他に例のない、プロペラ機(アントノフ24型)が就航している。また、4月から12月までは稚内から東日本海フェリーによるコルサコフまでのフェリーが出ており、コルサコフを経由してユジノサハリンスクへ向かう人も数多くいる。
[編集] ユジノサハリンスク市内の日本
ユジノサハリンスク市内のホテルでは、CNNの他にNHKの衛星放送を見ることが出来る。市内には、日本食レストランが数軒あり、日本から輸入した食材で食事ができる。市内にはみちのく銀行の支店がある。市内には今でも日本時代からの残留日本人が住んでいる。なお、ユジノサハリンスク駅の近くに「ホテル サハリン・サッポロ」というホテルがあり、かつては日露合弁だったが、今はロシア企業の経営であり、名称のみ合弁時代の名残を残している。
また市内には日本製の中古車が街中を走っている光景も見られる。
[編集] 在外公館
- 在ユジノサハリンスク日本国総領事館・・・2001年1月、日本外務省がユジノサハリンスク市に設置。
[編集] 友好都市
[編集] 日本とサハリンの関係に貢献している人、団体
- 片山通夫
- 稚内青年会議所