ライカ (ボクサー)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ライカ(本名:来家恵美子(らいか えみこ)、1976年1月24日 - )は、京都府出身のフェザー級女性プロボクサー。山木ジム所属。IFBA世界スーパーライト級チャンピオン。元WIBA世界フェザー級チャンピオン。身長163cm、血液型O型。
なお、リングネームは本名とともに伝説の女子ボクサー「ルシア・ライカ」にあやかって付けられた。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 幼少期
1979年から高校卒業までを養護施設で育つ。
[編集] 下積み時代
1998年8月に近所のボクシングジムに入門。1999年に上京し山木ジムに移籍。2000年5月8日、北沢タウンホールで大沼慶子を2RTKOで下し、プロデビューを白星で飾る。 2002年1月、自伝「私は「居場所」を見つけたい」を新潮社から刊行。2002年2月3日に北沢タウンホールで行われた「日本女子ボクシング協会ダブルタイトルマッチ Fighting Girls Part1」に出場。日本初代女子フェザー級王座決定戦で菊川未紀(フェザー級2位)を10R判定3-0で下し初代女子フェザー級王者になる。2002年4月29日には初国際戦を経験。現役世界王者のレイラ・マッカーター(アメリカ / IFBA世界フェザー級王者)を相手に判定0-2と善戦するも敗れる。2002年9月7日に世界ランカーのベネット・ローレン(オーストラリア / WIBA同級世界5位)と対戦。2R0分27秒でセコンドがタオル投入したためTKOで勝利。
[編集] 世界王座獲得
2002年12月18日に代々木競技場第2体育館で行われたWIBA世界フェザー級タイトルマッチ(2分10R)で、シャロン・アニオス(オーストラリア / 王者)に挑戦。10R判定1-2で辛くも世界王座を手に入れる。2003年11月30日に初防衛戦を行い、シャロン・アニオス(同級1位)と再戦。10R判定2-0で下し、世界王座の初防衛に成功。2004年5月23日、東京の六本木ヴェルファーレで、シェルビー・ウォーカー(アメリカ)を相手に2度目の防衛戦を行う。2RTKO勝ちし防衛成功。2004年9月18日、京都の京都府立体育館で行われた3度目の防衛戦で、ミッシー・フィオレンティーノ(アメリカ / 同級世界4位)を10R判定3-0で下し防衛成功。その後、タイトルを返上し一階級上のスーパーフェザー級に転向。2005年3月13日に東京の六本木ヴェルファーレ で行われたWIBA世界スーパーフェザー級王座決定戦に出場。チーベル・ホールバック(アメリカ / 同級世界2位)に10R判定3-0で負け王座獲得失敗。
[編集] 再び世界王者に
さらに2階級体重を上げると、2006年5月20日に韓国の井邑国民体育センターで行われたIFBA世界スーパーライト級王座決定戦に出場。ジュン・ウォンミン(韓国)に判定0-3で勝ち新王者になる。
同年12月15日、SHINJUKU FACEの「女拳闘士・最強祭」にてテリー・ブレアー(米国)とのWIBA世界ライト級王座決定戦に臨み3-0の判定勝利、三階級制覇を成し遂げた。
2007年4月13日、カナダ・エドモントンにて、Jelena MrdjenovichとのWBCFスーパーフェザー級選手権試合に挑む。
[編集] 戦績
19戦(6KO)16勝2敗1分
- 世界戦成績
- 2002年12月18日 - シャロン・アニオス(オ-ストラリア)戦、○判定
- 2004年5月23日 - シェルビー・ウォーカー(アメリカ)戦、○2Rテクニカルノックアウト
- 2005年3月15日 - チーベル・ホールバック(アメリカ)戦、●判定
- 2006年5月20日 - Jung Won Min(韓国)戦、○判定
- 2006年12月15日 - テリー・ブレアー(アメリカ)戦、○判定
[編集] 獲得タイトル
- プロボクシング
- 初代日本女子フェザー級王座(0度防衛)
- 第2代WIBA世界フェザー級王座(3度防衛)
- IFBA世界スーパーライト級王座
- WIBA世界ライト級