ラッツ&スター
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ラッツ&スター (RATS & STAR) は、日本の男性歌手グループである。
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[編集] 略歴
1975年、ドゥ・ワップ好きの鈴木雅之、田代まさし、桑野信義らが集まってシャネルズ(CHANELS)を結成。ただ、結成後暫くはドゥ・ワップがなかなか世間で認められず苦労するも、山下達郎には早くから認められていた。
1977年、当時最高峰のアマチュア・バンドコンテスト「EastWest'77」(主催・ヤマハ)に出場し、決勝大会まで進出して入賞を飾る。同コンテスト決勝大会には、サザンオールスターズ(入賞)、カシオペア(優秀グループ)が出場していてプロへの足掛かりを作っている。
この頃の衣装はど派手な色のタキシードだったが、これはキャバレーの呼び込みが着ていた制服が、安く買えたからである。
1980年デビュー。デビュー曲「ランナウェイ」がミリオンセラーを記録する大ヒット。靴墨を顔に塗ることで、ブラックミュージックの雰囲気を出したことが話題となり、一躍人気グループとなる(尚、靴墨を塗っていたのはデビュー当時までであり、靴墨は肌に悪いと忠告されてからは、濃い色のファンデーションを塗っている)。また、「『ドゥ・ワップ』ってなんだろう?」と音楽雑誌でも取り上げられるなど、日本にドゥ・ワップブームを巻き起こす。
同年、翌年とロサンゼルスの名門ライブハウス「WHISKEY A GO GO」に2年連続で出演した。
1983年、フランスの高級ブランド・シャネルより物言いがついたためグループ名を変更(同業である化粧品会社のCMソングを担当することになったためという説もある)。「サヨナラ・シャネルズ・フェアー」開催に伴いシャネルズとしての活動を終了、ラッツ&スターに改名(シャネルズ時代のアルバムは、後にシャネルズの英語表記がSHANELSに変更された)。ラッツ&スターとしてのデビュー曲「め組のひと」が80万枚を売り上げる。
グループ名の「RATS & STAR」は「ドブネズミ達と星」を意味し、逆から読んでも「RATS & STAR」となる。下町育ちのドブネズミ達がDoo-Wapを歌うとRATSがひっくり返りSTARになったというのが本義。
また、この年の7月24日『ALL NIGHT NIPPON SUPER FES. '83』に出演し、大滝詠一、サザンオールスターズと競演する。最後は蛍の光、上を向いて歩こうをセッション。
1984年、フジテレビ系で月曜~金曜放送の5分間のミニ番組「マンガチョップ '84」にレギュラー出演。
1985年、東京・赤坂の日枝神社でメンバー5人が合同結婚式を行い、話題を呼ぶ。結婚式当日は花嫁を引き連れてフジテレビ「夜のヒットスタジオDELUXE」(記念すべき第一回目)に出演。 鈴木雅之曰く1985年に当時、広島県でのあるステージでデビュー間もない米米CLUBと競演し、その時のカールスモーキー石井のギャグをかましながらやっているステージを目の当たりにし、自分たちのパフォーマンスがぬるま湯になっていたことに気づき、この勢いを忘れていると同時にもしかしたら負けたかもと思い、これからは個人個人で攻めていったほうが絶対伸びていくと決断し、グループの鎖を外した。 1986年、鈴木の実姉である鈴木聖美と「鈴木聖美 with RATS & STAR」としてリリースしたデュエット曲「ロンリーチャップリン」が大ヒット、後にカラオケのデュエットソングとして定番となる。ただ、その後リーダーの鈴木雅之がソロデビューするのに伴い、活動を長期休止する。鈴木雅之がソロ活動のレコーディングに入ったのはメンバー全員の行く末を見届けた後のことで鈴木雅之のソロ活動の為にグループ活動を停止したと思われがちだが、それは逆なのである。
ネズミ年の1996年に大滝詠一プロデュースの「夢で逢えたら」をリリースするとともに全国ツアーを敢行。同年、「夢で逢えたら」でNHK紅白歌合戦に初出場する。余談だが、米国で紅白歌合戦が放送された際、RATS & STARの出演するシーンはカットされた。
田代はこのグループで何作か作詞を担当しているが、その際の名前は「田代マサシ」になっている。
桑野自身が日本テレビ系の音楽番組、THE夜もヒッパレでラッツを活動再開するということを言っていたが、田代の逮捕で話が立ち消えになったようである。しかしそれ以降も桑野いわく「解散したわけではなく、もし活動を再開するのであれば再結成ではなく再集結である」と述べている。
2006年4月19日にゴスペラーズのメンバー(村上てつや、酒井雄二)とのコラボレーションで「ゴスペラッツ」としてアルバムをリリース。
[編集] メンバー
- 鈴木雅之(すずき まさゆき) ・・・リードボーカル担当。2007年現在もソロ歌手として活躍中。
- 田代まさし(たしろ まさし)・・・テナーボーカル担当(シャネルズ時代はバリトンボーカルを担当)。迷惑行為防止条例違反(盗撮)、覚醒剤使用などの罪に問われ、有罪判決を受け事実上芸能界を引退。
- 佐藤善雄(さとう よしお) ・・・バスボーカル担当。グループの活動休止後はプロデューサーに転進しゴスペラーズを世に送り出したことでも知られる。2007年現在、インディーズレーベル「ファイルレコード」の社長。2006年4月、ゴスペラッツとして活動。
- 久保木博之(くぼき ひろゆき)・・・トップテナーボーカル担当。
- 桑野信義(くわの のぶよし) ・・・トランペット、コーラス担当。2007年現在はタレントとして活動中。鈴木のソロツアーにも参加。唯一、顔を黒く塗っていないが、これはグループにおいて、桑野氏自身のみが白人であるという設定のためである
- 出雲亮一(いずも りょういち) ・・・ギター、コーラス担当。
- 新保清孝(しんぽ きよたか) ・・・ドラムス、コーラス担当。
結成時は10人だったが、いつの間にか下記の3人が脱退し上記の7人になった。
- 山崎弘明(やまざき ひろあき)・・・キーボード担当。脱退
- 須川泰男(すがわ やすお)・・・リードギター担当。脱退
- 高橋進(たかはし すすむ)・・・ベースギター担当。脱退
[編集] 主な作品
[編集] シャネルズ時代のシングル
- ランナウェイ/夢見るスィートホーム (1980年)
- トゥナイト/ビッグ・シティ・キャット (1980年)
- 街角トワイライト/アゲイン (1981年)
- ハリケーン/渚のウエディング・ベル (1981年)
- 涙のスウィート・チェリー/ラブ・ミー・ドゥ(1981年)
- 憧れのスレンダー・ガール/渚のスーベニール (1982年)
- サマー・ホリデー/ピンナップ・ガール (1982年)
- もしかして I LOVE YOU/ミッドナイト・ベイ・ブルース (1982年・「シャネルズ+1」名義でリリース)
- 週末ダイナマイト/涙でハッピー・バースデー (1982年)
[編集] ラッツ&スター時代のシングル
- め組のひと/彼氏になりたい (1983年)
- Tシャツに口紅 (1983年)
- 今夜はフィジカル (1983年)
- 月下美人(ムーンライト・ハニー)/マジック・ナイト (1984年)
- グラマーGuy (1984年)
- 唇にナイフ/IN THE MOON (1984年)
- マドンナはお前だけ (1985年)
- レディ・エキセントリック (1985年)
- ロンリーチャップリン (1986年・「鈴木聖美 with Rats&Star」名義でリリース)
- 夢で逢えたら/夢で逢えたら-original backing track- (1996年・大滝詠一をスーパーバイザーに迎えたシングル)
[編集] オリジナルアルバム
シャネルズ時代
- Mr.ブラック (1980年)
- Heart & Soul (1981年)
- LIVE AT WHISKY GO GO (1981年・ライブアルバム)
- Hey!ブラザー (1981年)
- SOUL SHADOWS (1982年)
- ダンス!ダンス!ダンス! (1982年)
ラッツ&スター時代
[編集] ベストアルバム
シャネルズ時代
ラッツ&スター時代
- 14 CARATS (1984年)
- BACK TO THE BASIC (1996年・代々木第一体育館での集結ライブの音源を含めた2枚組アルバム。MDは1枚にまとめられた形で発売)
- THE LEGEND (2003年・EPIC RECORDSの設立25周年を記念して製作されたアルバム)
[編集] 関連項目
- Wikipedia:WikiProject Rats & Star ラッツ&スターのウィキプロジェクト(英語)