蛍の光
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『蛍の光』(ほたるのひかり)は日本の翻訳唱歌である。なお、作詞時の曲名は『螢』、正しい表記は『螢の光』だが、漢字制限(当用漢字、常用漢字、教育漢字)により現表記となる。
1881年に尋常小学校の唱歌として小学唱歌集初編(小學唱歌集初編)に載せられた。作詞は稲垣千頴、作曲者は不詳であるがスコットランド民謡である。
目次 |
[編集] スコットランド民謡
「蛍の光」の原曲となったのは、スコットランド民謡の'Auld Lang Syne'である。この曲は作曲者不詳であるが、古くからスコットランドに伝わっていたもので、現在に至るまで、特に知己の仲間内で宴会をした際に最後に再会を誓って歌われる曲である。
この民謡の歌詞を現在伝わる形にしたのは、スコットランドの詩人のロバート・バーンズであり、従来からの歌詞を下敷きにしつつ、事実上彼が一から書き直している。この歌詞は、旧友と再会し、思い出話をしつつ酒を酌み交わすといった内容である。
こうして採譜された'Auld Lang Syne'には、ハイドンやベートーヴェン、シューマンといった著名な作曲家たちも伴奏を付けたり編曲を行ったりしている。
なお'Auld Lang Syne'はスコットランド語で"old long since"を意味する。
[編集] Auld lang syne
多くの人が間違っているが、スコットランド語のSyneは「ザイン」ではなく英語のsignのように発音するのが正しい:[sajn]。
[編集] バーンズの詩
- 1
- Should auld acquaintance be forgot,
and never brought to mind ?
Should auld acquaintance be forgot,
and auld lang syne ? - CHORUS
- For auld lang syne, my dear,
for auld lang syne,
we'll tak a cup o' kindness yet,
for auld lang syne. - 2
- And surely ye'll be your pint-stoup !
And surely I'll be mine !
And we'll tak a cup o' kindness yet,
for auld lang syne. - (CHORUS)
- 3
- We twa hae run about the braes,
and pou'd the gowans fine ;
But we've wander'd mony a weary fit,
sin' auld lang syne. - (CHORUS)
- 4
- We twa hae paidl'd in the burn,
frae morning sun till dine ;
But seas between us braid hae roar'd
sin' auld lang syne. - (CHORUS)
- 5
- And there's a hand my trusty fiere !
And gies a hand o' thine !
And we'll tak a right gude-willie waught,
for auld lang syne. - (CHORUS)
[編集] 大意
- 1
- 旧友は忘れていくものなのだろうか、
古き昔も心から消え果てるものなのだろうか。 - コーラス
- 友よ、古き昔のために、
親愛のこの一杯を飲み干そうではないか。 - 2
- 我らは互いに杯を手にし、いままさに、
古き昔のため、親愛のこの一杯を飲まんとしている。 - (コーラス)
- 3
- 我ら二人は丘を駈け、可憐な雛菊を折ったものだ。
だが古き昔より時は去り、我らはよろめくばかりの距離を隔て彷徨っていた。 - (コーラス)
- 4
- 我ら二人は日がら瀬に遊んだものだ。
だが古き昔より二人を隔てた荒海は広かった。 - (コーラス)
- 5
- いまここに、我が親友の手がある。
いまここに、我らは手をとる。
いま我らは、良き友情の杯を飲み干すのだ。
古き昔のために。 - (コーラス)
- バーンズの詩の出典:Songs from Robert Burns, published in Great Britain by Collins Clear-Type Press in 1947
[編集] 日本での「蛍の光」
'Auld Lang Syne'は、前項のような発展とともに、ヨーロッパ中に、さらには海を越えてアメリカ大陸へも普及していった。明治10年代初頭、日本で小学唱歌集を編纂するにあたって、稲垣千頴が作詞した今様形式の歌詞が採用され、「蛍の光」となった。
現在は『蛍の光』は2番までしか歌われていないが、本来は4番まである曲であった。3番と4番は、辺境の地であってもそれは日本の守りのためであり国のために尽くす、というような歌詞であり、この内容が敬遠されて戦後には歌われなくなったようである。
以下の歌詞は、小学唱歌集初編(1881年11月24日発刊)に掲載された時のものである。前述の通り、戦後はこの中の1番と2番のみが歌われている。
- 1
- ほたるのひかり、まどのゆき、
書(ふみ)よむつき日、かさねつゝ、
いつしか年も、すぎのとを、
あけてぞけさは、わかれゆく。 - 2
- とまるもゆくも、かぎりとて、
かたみにおもふ、ちよろづの、
こころのはしを、ひとことに、
さきくとばかり、うたふなり。 - 3
- つくしのきわみ、みちのおく、
うみやまとほく、へだつとも、
そのまごころは、へだてなく、
ひとつにつくせ、くにのため。 - 4
- 千島のおくも、おきなはも、
やしまのうちの、まもりなり。
いたらんくにに、いさをしく、
つとめよわがせ、つゝがなく。
[編集] 文部省による詩の改変
領土拡張等により文部省が4番の歌詞を以下のとおり改変している。
- 千島の奥も 沖縄も 八島の外の 守りなり(明治初期の案)
- 千島の奥も 沖縄も 八島の内の 守りなり(千島樺太交換条約・琉球処分による領土確定を受けて)
- 千島の奥も 台湾も 八島の内の 守りなり(日清戦争による台湾割譲)
- 台湾の果ても 樺太も 八島の内の 守りなり(日露戦争後)
3番についても1881年の段階では
- つくしのきはみ みちのおく
- わかるゝみちは かはるとも
- かはらぬこころ ゆきかよひ
- ひとつにつくせ くにのため
という歌詞だった。これを文部省でチェックしたところ「かはらぬこころ ゆきかよひ」という部分が、男女の間で交わす言葉というクレームがついたために、翌年まで刊行が延びた。奥付は1881年11月であるが、実際に刊行されたのは1882年4月のことである。
[編集] 日本での演奏・歌唱される場面
大日本帝国海軍では「告別行進曲」もしくは「ロングサイン」という題で海軍兵学校の卒業式典曲として使われた。現在でも日本全国で卒業式の定番唱歌であるなど、別れの曲としてよく知られている。他にも各種の式典や商店の閉店時に古関裕而が編曲した「別れのワルツ」を使用するケースが多いが、多くの人は別れのワルツであるとの認識を持っていない。
- 鉄道路線の廃線の際、最終列車出発時に演奏される。また、1996年までは阪急梅田駅の終電の合図として使われていた。
- NHK紅白歌合戦の最後に、この曲の全体合唱が行われる。
- プロ野球阪神タイガースの公式戦に於いて、相手チームの投手が途中降板する際、応援団の指揮でファンが1番のみ、ペンライトの代わりに応援バットを左右に振って厳かに合唱し、すぐさまテンションを上げ六甲おろしを大合唱するのが定番である。しかし2006年7月25日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)から、阪神が優勢の時のみ歌う形に変更になった(同点・劣勢の時は「オペレーションビクトリー」を歌う)。
- 図書館・博物館などの公共施設や、商業施設で、閉館・閉店時間直前のBGMとして鳴らす。暗黙に客の退出を促している。
- 東京ディズニーランドのカウントダウン・パーティにおいて、カウントダウンセレモニーの一環として3分前から2分から2分半の時間演奏される。
[編集] 蛍雪の功
『蛍の光』の歌詞の冒頭「蛍の光 窓の雪」とは、「蛍雪の功」と言われる、一途に学問に励む事を褒め称える中国における故事が由来となっている。
- 東晋の時代の車胤は、家が貧乏で灯す油が買えなかったために蛍の光で勉強していた。
- 同様に、同じ頃の孫康は、夜には窓の外に積もった雪の反射する光で勉強していた。
- そして、この二人はその重ねた学問により、長じて朝廷の高官に出世している。
[編集] 各国の「蛍の光」
'Auld Lang Syne' のメロディは、本国のスコットランドや日本だけでなく、その他の国にも浸透している。
イギリスやアメリカ合衆国など英語圏の国々では大晦日のカウントダウンの際に、中華民国では卒業式などで、フィリピンでは新年と卒業式の両方で歌われる。
大韓民国の国歌である「愛国歌」は、かつては「蛍の光」のメロディーにのせて歌われていた。1948年の李承晩大統領による大統領令によって、安益泰が1935年に作曲した管弦楽曲『韓国幻想曲』の終曲を国歌のメロディーに制定するまで「蛍の光」のメロディーが使われつづけた。
モルディブでは当初国歌(ガオミィ・サラーム)として使われていた(歌詞は現在の国歌に引き継がれている)。
なお、現在の韓国においても卒業式の定番曲となっているが、その訳詞は卒業式に特化したものであるため、卒業式以外で演奏されたり歌われる事はない。
又、賛美歌の中にも、従来は「蛍の光」のメロディのものがあった(最新の賛美歌集からは消えている)。
中華民国においては、葬儀のように悲しい別れの時でも歌われることもある。
[編集] 別れのワルツ
1949年に日本で初上映された米国映画「哀愁“Waterloo Bridge”」(1940年制作)の中で、「蛍の光」のメロディからなる挿入歌が使われた。このワルツが非常に印象的だったため、日本コロムビア洋楽部が音源を探したが、契約先の海外レーベルにはなかったため、コロムビア専属の作曲家・古関裕而に採譜・アレンジを依頼し、古関裕而の名をもじってユージン・コスマン(Eugene Cossmann)楽団の名で発売した。当時の人々ははまんまと騙されて、外国録音の音盤だと信じて疑わなかった。
4拍子の「蛍の光」を甘美なワルツ風にアレンジしたところが好まれ、今日にいたるも商店閉店時の音楽の定番である。
[編集] 外部リンク
[編集] 録音CD
旧詩4番まで歌っているCD
- 翻訳唱歌集『故郷を離るる歌』歌手 藍川由美、チェンバロ 中野振一郎 日本コロンビア 1998年 COCO-80861
ケニー・Gが1999年に発売したアルバム'Faith'で、「ミレニアムバージョン」として'Auld Lang Syne'を演奏している。