リンデスファーン修道院
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リンデスファーン修道院( -しゅうどういん Monastery of Lindisfarne )はイングランド東北部のノーサンバーランド州海岸の陸繋島にあった中世のケルト教会修道院。北部イングランドのキリスト教化が始まった地として知られる。
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[編集] 創建
キリスト教はローマ帝国時代のイングランドに入ったが、アングロサクソンの侵入によって消滅し、ローマの支配もアングロサクソンの侵入も受けなかったアイルランドに残った。ケルトの島アイルランドに残ったキリスト教は聖コルンバによってスコットランド沖にあるヘブリディーズ諸島へ伝来し、アイオナ修道院が建設された。635年にアングロサクソン七王国のノーサンブリア王オズワルドの招請によってアイオナ修道院から赴任した聖エイダンがリンデスファーン修道院を創建し、北部イングランド教化の基地となったものである。
[編集] 布教
ノーサンブリア王国を傘下に収めたリンデスファーンの修道士たちはイングランド北部を遊行して布教に努めた。7世紀半ば、マーシア王ベンダは聖エイダンの後継者フィナンの手で改宗し、リッチフィールドに司教座が設置された。イングランド南部はローマ教皇庁から派遣されたカンタベリーのアウグスティヌスが設置したカンタベリー大司教座の勢力圏だったが、一度キリスト教に改宗したエセックス王国ではその後異教勢力が復活し、エイダンの弟子チェドの活躍により信仰が再興された。ノーサンブリアの修道士たちはさらに海を越えてフリースラントやフランク王国にまで布教の足跡を残した。
[編集] 聖カスバート
後世ノーザンバーランドの守護聖人となった聖カスバートはこのリンデスファーンの修道僧から修道院長(685年~686年)となった人物である。死後聖人に列せられたカスバートが起こした奇跡やその生涯はやはりノーサンブリア出身の尊者ベーダ・ヴェネラビリスの「イングランド教会史」によって記録されている。リンデスファーン修道院はこの聖カスバートの遺物に触れると奇跡が起るとして有名になり、聖者信仰の地として繁栄した。
[編集] リンデスファーン福音書
8世紀初め頃から同修道院の修道僧たちがリンデスファーン福音書と呼ばれる有名な装飾写本を作成し始める。リンデスファーン福音書は当初、ラテン語で記されていたが、10世紀になるとアングロサクソン語(古英語)でも記され、最初の英語(古英語)福音書となった。渦巻、組紐、動物文様を組み合わせた華麗なケルト様式の装飾でも有名で、三大ケルト装飾写本に数えられ、今日大英図書館にリンデスファーン福音書が保存されている。
[編集] ヴァイキングの襲撃
リンデスファーン修道院は793年からヴァイキングの度重なる襲撃を受けて荒廃し、875年に修道僧たちは聖カスバートの遺物とともにこの島を逃れて北部イングランドを彷徨、最終的にダーラムの地に第二の修道院を建設することになる。
[編集] リンデスファーン島の現状
現在「聖なる島」(ホーリー・アイランド)と呼ばれるリンデスファーン島にはノルマン王朝時代にベネディクト会修道院が再建されたが、16世紀にイングランド王によって弾圧され、廃墟しか残っていない。この廃墟はテューダー王朝時代に建築された城塞とともに英国のナショナルトラストによって保護され、観光地となっている。島は1日に2度満潮によって陸地から孤立するが、現在は土手道によって陸地と繋がっている。