福音書
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福音書(ふくいんしょ、ギリシア語:ευαγγέλιον、ラテン語:Evangelium)とはイエス・キリストの言行録のこと。通常は新約聖書におさめられた福音書記者による四つの福音書(マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書)を意味する。その他にトマスによる福音書などがあるが、正典として認められなかった外典文書である。
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[編集] 概説
福音とは本来、「良い知らせ」という意味である。イエスの言行録という意味でなく、「良い知らせ」という意味での福音という言葉の用例はパウロの『コリントの信徒への手紙一』15:1にみられる。そこでパウロはイエスの死と復活こそが福音であるといっている。このことからもわかるように福音書は単にイエスという人物の伝記や言行録ではなく、その死と復活を語ることが最大の目的となっている。
正典の福音書において見られるイエスの生涯における主な出来事としては以下のようなものがある。誕生、イエスの少年時代、洗礼者ヨハネによる受洗、荒野の誘惑、山上の説教、ユダヤ各地での布教、変容、エルサレムでの演説、最後の晩餐、逮捕、裁判、十字架刑、復活。
福音書(福音)という言葉が現代のような特定の文学ジャンルを指すようになったのは2世紀のことであった。155年ごろのユスティノスの著作の中ではすでにこの用法が現れ、117年ごろのアンティオキアのイグナティオスもそのような意図で「福音」という言葉を用いていると見てもいいかもしれない。
イエスの十字架刑からの復活以降、いくつかの「福音書」が執筆されたが、その中で新約聖書に正典として受け入れられたのは四つであった。最初期のキリスト教神学者の一人、エイレナイオスは四つの福音書が特別な地位にあることを力説した。彼は著作『異端反駁』(Adversus Haereses)の中で、一つの福音書しか受け入れないキリスト者グループや新しい黙示文書を受容したヴァレンティアヌス派のようなグループを非難している。エイレナイオスは新約聖書の四福音書こそが教会の四つの柱であるという。「四つ以上でも以下でもない」と四が東西南北の四方位などをあらわす重要な数字であるという。エイレナイオスはさらに『エゼキエル書』1章にあらわれる四つの生き物(人の顔をしたもの、獅子、鷲、牡牛)を四福音書の予型であると見ている。ここから四福音書の福音記者のシンボルが生まれた。
[編集] 共観福音書の問題
四福音書のうち、マタイ、マルコ、ルカは共通する記述が多く、同じような表現もみられるため「共観福音書」と呼ばれる。ヨハネ福音のみは同じ出来事を描写するときにも、他の三つとは異なった視点やスタイルをとることが多い上に、他の三つの福音書に比べて思想・神学がより深められている。イエスを神であると明言し、はっきり示すのはヨハネのみである。
外典の『ペトロによる福音書』も共観福音書と並行する記述が多く、『トマスによる福音書』は共観福音書にみられるイエスのことばを並行して収録している。
近代における福音書の批判的研究は、共観福音書の並行箇所の比較研究から始まった。最初期の聖書学者の一人であるドイツ人ヨハン・グリースバッハ(Johann Jakob Griesbach)は1776年にマタイ、マルコ、ルカ福音書の記述の並行箇所を見開きの中で横一列になるよう配置した著作を発表。この見開き対照表を「シノプシス」(Synopsis)といったことから、マタイ、マルコ、ルカの三福音書は共観福音書(Synoptic Gospel)と呼ばれるようになった。
初代教会の時代から福音書のならびを成立順とみなす見方、すなわちマタイが最初に書かれ、次がマルコ、そしてルカ、最後にヨハネという順で成立したという見方があり、これが定着した。この伝承に基づく見方は現代の「二資料仮説」の支持者ですら支持するものもある。しかし近代以降の聖書研究は、これらの説は伝承上のものにすぎず、実際の成立順とは異なっているという結論に達することになった。今日、もっとも広く受け入れられている説は、マルコが最初に書かれ、マタイとルカがマルコおよびもう一つの共通資料をもとに書かれ、最後にヨハネが成立したという説である。マタイとマルコが参照したもう一つの資料はドイツ語の「資料」をあらわすQuelleからQ資料と呼ばれ、マタイとルカが、マルコとQ資料の二つの資料を参照したという想定から「二資料仮説」と呼ばれている。これ以外にもマタイとルカが、マルコとQ資料およびそれぞれの独自資料(M資料およびL資料ともいう)を用いたという説もあり、これを「四資料仮説」という。
共観福音書の成立に関する他の説としては「ファラー説」(Farrer Hypothesis)がある。この説はマルコ福音書が最初に書かれたという点では二資料仮説と共通だが、マタイとルカの成立に必ずしもQ資料の必要性を認めないところに独自性がある。提唱者のオースティン・ファラー(Austin Farrer)は、マルコの次にマタイがかかれ、ルカはマルコとマタイを参照して書かれたという説を唱えることで、マタイとルカの並行箇所の存在を説明しようとした。
四つの福音書の成立時期に関する説はいろいろあって、そのどれも確証に欠くきらいがある。一部の保守的な研究者たちは伝承どおり、福音書の成立を一世紀の中ごろから後半と考えるが、現代もっとも広く受け入れられている説は以下のようなものである。ここでは現代を代表する聖書学者の一人レイモンド・ブラウン(Raymond E. Brown)の著作から成立時期に関する解説を参照してみる。
- マタイ:70年~100年ごろ成立。(保守的な学者は70年以前の成立を主張し、マルコが最初に成立したという説を認めない。)
- マルコ:68年~73年ごろ成立。
- ルカ:80年~100年ごろ成立。もっとも有力な説は85年ごろの成立というもの。
- ヨハネ:90年~110年ごろ成立。(ヨハネに関してのみはブラウンの意見は主流派の見解と異なっている。)
現代の聖書学者たちが広く認めているのは、四つの福音書が最初から(当時の東方世界の共通語だった)ギリシア語で書かれたということである。古代のマタイ福音書注解書のあるものが、「マタイ福音書にはアラム語原版があり、そこからギリシア語に訳された」という記述をしたことから、古代の教父たちはマタイ福音書をヘブライ人のための福音書と呼び、マルコ福音書を参照しながらギリシア語に翻訳されたため、二つの福音書には並行箇所が現れたという説を示した。しかし、アラム語のマタイ福音書は(後代にギリシア語から訳されたもの以外は)いまだに発見されていない。
[編集] 外典福音書
[編集] 解説
新約聖書におさめられた福音書以外にも「福音書」と冠される著作が存在するが、これらは外典福音書と呼ばれる。外典福音書のほとんどは正典のものより後の時代に成立し、一部の信徒によってのみ用いられていたと考えられる。これらの外典福音書の記述の一部は正統派キリスト教徒によって異端的な思想であるとみなされることになった。
外典福音書の中でもっとも古いものは『トマスによる福音書』と『ペトロによる福音書』である。『ヤコブによるイエスの幼時福音』や『トマスによるイエスの幼時福音』など「幼時福音書」と呼ばれる一群の書物は二世紀になって成立したものだが、無原罪懐胎を含むマリアの生涯やイエスの幼年時代におきた多くの奇跡について語っている。これらは正典としては受け入れられなかったがキリスト教徒の間に伝承として伝わっていった。
ほかにも古代から根強く編まれてきたものに「合併福音書」がある。これは四福音をまとめてその差異をならし一冊にしたものである。断片だけであるが、現存する最古の合併福音書は175年ごろ、タティアヌスが編んだ「ディアテッサロン」というものである。ディアテッサロンはシリア地方で二世紀にわたって流通し、よく用いられたがやがて廃れた。
シノペのマルキオンは150年ごろ、ルカ福音書を自説にもとづいて書き換え、自らに従うグループの礼拝で用いた。彼は旧約聖書の神は怒りの神で真実の神ではなく、新約聖書の描く慈悲の神こそが本物の神であると考えた。マルキオンはルカ福音書の中から「ユダヤ的」と考えた部分を取り除き、ルカ以外の福音書を排斥した。
[編集] 外典福音書の一覧
正典におさめられなかった福音書であってもスタイルや内容において正典の福音書と共通点のあるものもある。他にもQ資料のような「語録」と呼ばれるイエスのことばを集めた資料があったことも推定されている。
外典福音書といわれるものには以下のようなものがある。
- トマスによる福音書
- フィリポによる福音書
- ペトロによる福音書
- (マグダラの)マリアによる福音書
- エジプト人の福音書
- ヘブライ人の福音書
- 真理の福音書
- ユダの福音書
以上のリストのほとんどはナグ・ハマディ写本から発見されたグノーシス主義的資料と呼ばれるものであり。正典資料とは異なる視点からイエスをとらえている。
福音書としてはやや逸脱するが、イエスの母マリアを中心にイエス誕生までの物語を描いた『ヤコブ原福音書』、『トマスによるイエスの幼児物語』なども2世紀ごろには成立し、広く読まれて宗教画などにも影響を与えている。
他にも厳密には外典には含まれないが、古代でなく中世以降に福音書の形式を借りて書かれたものもある。たとえば『バルナバによる福音書』は中世にはいって書かれたものである。また近代以降に書かれた『宝瓶宮福音書』(リバイ・ドーリング)、『イッサの生涯』(発見者と称するニコラス・ノトヴィッチが書いたと考えられている)などもある。