リンデンリリー
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性別 | 牝 |
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毛色 | 栗毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1988年3月16日 |
死没 | - |
父 | ミルジョージ |
母 | ラドンナリリー |
生産 | 向別牧場 |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
馬主 | 林田秋利 |
調教師 | 野元昭(栗東) |
競走成績 | 7戦4勝 |
獲得賞金 | 1億5063万7400円 |
リンデンリリーは日本で生産・調教された競走馬。第16回エリザベス女王杯の優勝馬である。その他の勝鞍にローズステークスがある。
目次 |
[編集] 戦績
1990年12月に京都のダート新馬戦でデビュー。 9番人気という低評価であったが5馬身差で快勝した。 年明けの紅梅賞(現在の紅梅ステークス)ではデビュー戦の勝ちっぷりにも関わらず、初芝等が嫌われたのか9番人気の低評価。 しかし、本レースでも人気を良い意味で裏切り中断から鋭く伸び、後続に3馬身差をつけ1位入線。 だが、直線での斜行が他馬への進路妨害と裁定され13着に降着してしまった[1]。 運が悪い事に、レース後暫くして重度の脚部不安を発症し長期休養。 その為、春のクラシックシーズンが絶望となってしまった。
脚部不安が収まり復帰した夏。脚への影響を加味しダートの条件戦を使うも4着・2着と勝ちきれなかったが、芝に変わった復帰3戦目で5馬身差で快勝。 そして女王杯に出走させる為に、条件戦では無くローズステークスに出走。 復帰後3戦で手綱を取った武豊がスカーレットブーケを選択した為、若手のホープ岡潤一郎と新コンビを組み、春の実績馬を差し置き堂々の2番人気に押された。 レースでは好位から他の有力馬よりワンテンポ仕掛けを遅らせたのが功を奏したか、素晴らしい末脚で桜花賞2着のヤマノカサブランカや1番人気の実績馬スカーレットブーケ以下を差しきり重賞初勝利。
本番エリザベス女王杯は、桜花賞馬シスタートウショウは屈腱炎で回避の上に、オークス馬イソノルーブルは調整は順調で無い事もあって2番人気止まり。 こうして、前走快勝劇が決め手となり、リンデンリリーは堂々の1番人気で本番を迎えた。 道中は岡騎手が鼻歌交じりでレースを進め、先行勢が沈んでいく中またも素晴らしい末脚を見せ後続に2馬身差をつけ優勝。 人馬ともにうれしいGl制覇となった。 しかし、レース後すぐに岡騎手は下馬。 診断は右前脚浅屈腱不全断裂という競走能力喪失という重症であり、レース中の最後の直線には発症していたものと思われるが、それでもゴールまで走り切る事が出来た。 なお、予後不良は免れ、本レースを最後に引退し繁殖入りした。
[編集] 引退後
繁殖入りしてからはこれといった産駒がいなかったが、2000年産駒のヤマカツリリー(父ティンバーカントリー。主な成績にフィリーズレビュー勝利、阪神ジュベナイルフィリーズ・ローズステークス2着、秋華賞3着、桜花賞・優駿牝馬4着etc)が大活躍している。
[編集] 血統表
リンデンリリーの血統 (ミルリーフ系/Nasrullah4×5×5=12.50%) | |||
父
*ミルジョージ Mill George 1975 鹿毛 |
Mill Reef 1968 鹿毛 |
Never Bend | Nasrullah |
Lalun | |||
Milan Mill | Princequillo | ||
Virginia Water | |||
Miss Charisma 1967 鹿毛 |
Ragusa | Ribot | |
Fantan | |||
*マタティナ | Grey Sovereign | ||
Zanzara | |||
母
ラドンナリリー 1979 栗毛 |
キタノカチドキ 1971 鹿毛 |
*テスコボーイ | Princely Gift |
Suncourt | |||
ライトフレーム | *ライジングフレーム | ||
グリンライト | |||
ヤマニガーサント 1964 栗毛 |
*ガーサント | Bubbles | |
Montagnana | |||
イチクニヒメ | イツセイ | ||
クニハタ F-No.7-d |
[編集] 脚注
- ^ 『降着制度関西第1号』と言う有り難くない記録を作ってしまった。
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