武豊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
武 豊(たけ ゆたか、1969年3月15日 - )は日本中央競馬会の騎手。栗東所属で現在はフリー(どこの厩舎にも所属していない)。血液型O型、滋賀県栗東市出身(生まれは京都府)。
数々の記録を持ち、「天才」と呼ばれることも多い。父邦彦は「名人」の異名で知られる元騎手で現在調教師。弟幸四郎も騎手である。妻は元アイドルの佐野量子である。この他祖父も馬主協会元会長であり父の従兄弟である武宏平や叔父も調教師であり、父の従兄弟の武永祥の子である武英智も騎手であるという競馬一家であるが出自は京都の武家であるという。曽祖父武彦七の兄は明治・大正にかけての実業家・代議士の園田実徳である。身長170cm。体重51kg。
目次 |
[編集] 来歴
金勝小学校、栗東中学校、競馬学校(3期生)を経て1987年にデビュー。同年にトウカイローマンで京都大賞典に勝利すると、以来毎年重賞を勝ち続けている。GIでは、1988年に菊花賞で優勝したのを皮切りに、20年連続で、つまりデビュー初年度を除く全ての年でGI競走を制覇している。デビュー以来「競馬の祭典」と言われる東京優駿(日本ダービー)に勝つことができず、競馬界の七不思議の一つと言われたが、10年目の1998年にスペシャルウィークで初勝利し、同時に史上2人目の八大競走完全制覇を達成。翌年(1999年)もアドマイヤベガで制し、史上初の連覇を達成した。2005年までにタニノギムレットとディープインパクトで勝利し、通算4勝は中央競馬最多である(従前の東京優駿(日本ダービー)2勝ジョッキーは武以外に5人いた)。
また、デビューした1987年と1991年、並びにフランスへ長期海外遠征を行った2001年を除き毎年コンスタントに年間100勝以上のペースで勝ち続け、2003年から年間200勝を3年連続で記録した。
2002年2月24日の中山競馬第3競走で落馬し、骨盤を骨折して全治3ヶ月~6ヶ月といわれた重傷を負ったが、わずか2ヵ月後の4月20日に復帰。その回復力は関係者やファンを驚かせた。それから1ヶ月後の5月26日には、この年の東京優駿(日本ダービー)をタニノギムレットで制して史上初の東京優駿(日本ダービー)3勝目を飾っている。
2007年3月25日現在で、JRAGI競走通算58勝。50勝目はディープインパクトが無敗でクラシック三冠を達成した2005年の菊花賞である。他に、地方交流GI競走を13勝、海外GI競走を7勝(いずれも2007年4月1日現在)。未勝利の国内平地GIは、ヴィクトリアマイル(2006年に新設)、マイルチャンピオンシップ、朝日杯フューチュリティステークス(以上JRA主催分)、かしわ記念(2005年より統一GI昇格、船橋競馬場で開催)の4競走である。ただし、かしわ記念については統一GIII時代の1997年にバトルラインで優勝している。
[編集] 成績
[編集] 記録年表
- 1987年、栗東・武田作十郎厩舎所属でデビュー(同期に蛯名正義、塩村克己ら)。加賀武見(現調教師)の持っていた新人記録の58勝を上回る69勝を挙げた。
- 1988年、史上最速・最年少(19歳1ヶ月)でJRA通算100勝達成。菊花賞でスーパークリークに騎乗し初GI勝利にして史上最年少(19歳8ヶ月)でクラシック制覇。
- 1989年、史上最速・最年少(19歳11ヶ月)でJRA通算200勝達成、史上最速・最年少(20歳8ヶ月)でJRA通算300勝達成。
- 1990年、史上最速・最年少(21歳5ヶ月)でJRA通算400勝達成。
- 1991年、史上最速・最年少(22歳4ヶ月)でJRA通算500勝達成。アメリカ・サラトガ競馬場のセネカハンディキャップ(G3)でEl Senor(エルセニョール)に騎乗し、初めての海外グレード競走(およびグループ競走)制覇。
- 1992年、武田作十郎調教師の定年による厩舎解散に伴い、フリー転向。天皇賞(春)でメジロマックイーンに騎乗し、史上初の同一競走4連覇を達成。史上最速・最年少(23歳9ヶ月)でJRA通算600勝達成。
- 1993年、史上最速・最年少(24歳1ヶ月)でJRA通算700勝達成。桜花賞(ベガ)・皐月賞(ナリタタイシン)・優駿牝馬(ベガ)と春のクラシックを3連覇。
- 1994年、史上最速・最年少(24歳10ヶ月)でJRA通算800勝達成。フランス・ロンシャン競馬場のムーラン・ド・ロンシャン賞でスキーパラダイスに騎乗し、JRA所属の騎手としては初めての海外G1勝利。史上最速・最年少(25歳5ヶ月)でJRA通算900勝を朝日チャレンジカップ(騎乗馬ツルマルガール)で達成。
- 1995年、史上最速・最年少(26歳4ヶ月)でJRA通算1000勝を父、武邦彦管理馬のエールノコイビトで達成。
- 1996年、史上最速・最年少(27歳1ヶ月)でJRA通算1100勝達成。史上最速・最年少(27歳7ヶ月)でJRA通算1200勝達成。
- 1997年、史上最速・最年少(28歳3ヶ月)でJRA通算1300勝達成。北九州記念でダンディコマンドに騎乗、史上最速・最年少(28歳4ヶ月)でJRA重賞通算100勝達成。函館3歳ステークスでアグネスワールドに騎乗、史上2人目の中央競馬全10場重賞制覇達成。
- 1998年、史上最速・最年少(28歳10ヶ月)でJRA通算1400勝達成。東京優駿(日本ダービー)でスペシャルウィークに騎乗、東京優駿(日本ダービー)初制覇を果たすとともに保田隆芳以来30年ぶり史上2人目となる八大競走完全制覇達成。フランス・ドーヴィル競馬場のモーリス・ド・ゲスト賞でシーキングザパールに騎乗し、日本調教馬初の海外G1制覇に導く。史上最速・最年少(29歳5ヶ月)でJRA通算1500勝達成。
- 1999年、史上最速・最年少(30歳1ヶ月)でJRA通算1600勝達成。東京優駿(日本ダービー)でアドマイヤベガに騎乗、史上初となる日本ダービー連覇達成。史上最速・最年少(30歳7ヶ月)でJRA通算1700勝達成。
- 2000年、史上最速・最年少(31歳1ヶ月)でJRA通算1800勝達成。
- 2001年、史上最速・最年少(32歳7ヶ月)でJRA通算1900勝達成。
- 2002年、東京優駿(日本ダービー)でタニノギムレットに騎乗、史上初となる東京優駿(日本ダービー)3勝目。史上最速・最年少(33歳6ヶ月)でのJRA通算2000勝達成。12月7日、阪神競馬場にてJRA新記録、世界タイ・レコードとなる1日8勝を記録。
- 2003年、エリザベス女王杯でアドマイヤグルーヴに騎乗、史上初となる同競走3連覇達成。年間通じて、JRA・地方における全GIに騎乗。史上最速・最年少(33歳11ヶ月)でJRA通算2100勝を達成。史上最速・最年少(34歳5ヶ月)でJRA通算2200勝を達成。JRA史上初の年間200勝達成(最終的には204勝)。
- 2004年、史上最速・最年少(34歳10ヶ月)でJRA通算2300勝を達成。史上最速・最年少(35歳5ヶ月)でJRA通算2400勝を達成。12月8日海外通算100勝を達成。12月12日・中山競馬場にて自らが2003年に達成して以来史上2回目、かつ中央競馬史上初の2年連続で年間200勝を達成。2003年に自ら記録した204勝の年間最多勝利記録を更新する211勝で、一年を終えた。
- 2005年、史上最速・最年少(35歳10ヶ月)で岡部幸雄以来中央競馬史上2人目となるJRA通算2500勝を達成。2月26日、アーリントンカップにビッグプラネットで優勝し、中央競馬史上初の重賞競走通算200勝を達成。3月27日、中京競馬場で行われた高松宮記念にアドマイヤマックスで勝利し、JRAのGI競走が行われた全ての競馬場でGI勝利。5月29日、東京優駿(日本ダービー)でディープインパクトに騎乗、史上初で自らの記録を更新する東京優駿(日本ダービー)4勝を達成。また同競走の勝利により、年間100勝最速記録を更新。JRA2600勝を史上最速・最年少(36歳4ヶ月)で達成。9月4日、小倉2歳ステークスをアルーリングボイスで優勝。史上初の同一年小倉開催平地重賞完全制覇達成。9月17日から9月24日にかけて、騎乗機会連続7連勝達成(24日第9競走)。また9月24日には、1日の騎乗機会6連勝のJRA新記録を達成。10月23日、ディープインパクトの三冠(史上2頭目の無敗三冠)達成で自身も初の同一馬による三冠ジョッキーとなると同時にGI通算の50勝も達成。11月26日、ジャパンカップダートにカネヒキリに騎乗して優勝。JRAのGI年間6勝の新記録達成。また前人未到の3年連続年間200勝。12月18日、阪神牝馬ステークスにアドマイヤグルーヴに騎乗して優勝し、年間重賞勝利23勝とし、自らの記録を上回る新記録を樹立。年間勝利数を212とし、2004年の自らの最多勝記録を更新。
- 2006年、1月8日の京都競馬場第9競走にてJRA2700勝を史上最速・最年少(36歳10ヶ月)で達成。7月23日の小倉競馬場第12競走にてJRA2800勝を史上最速・最年少(37歳4ヶ月)で達成。
[編集] 成績表
年 | 勝利数・連対率 | 表彰歴 |
---|---|---|
1987年 | 69勝 (.238) | JRA賞(最多勝利新人騎手) |
1988年 | 113勝 (.306) | 史上最年少関西リーディングジョッキー |
1989年 | 133勝 (.340) | JRA賞(最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手) |
1990年 | 116勝 (.324) | JRA賞(最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手) |
1991年 | 96勝 (.291) | 優秀騎手賞 |
1992年 | 130勝 (.345) | JRA賞(最多勝利騎手) |
1993年 | 137勝 (.392) | JRA賞(最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手)・フェアプレー賞 |
1994年 | 134勝 (.388) | JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手) |
1995年 | 134勝 (.343) | JRA賞(最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手) |
1996年 | 159勝 (.340) | JRA賞(最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手) |
1997年 | 168勝 (.371) | JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)・フェアプレー賞 |
1998年 | 169勝 (.366) | JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞) |
1999年 | 178勝 (.396) | JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)・フェアプレー賞 |
2000年 | 130勝 (.362) | JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞) |
2001年 | 65勝 (.315) | ※海外遠征により騎乗数減 |
2002年 | 133勝 (.435) | JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞)・フェアプレー賞 |
2003年 | 204勝 (.384) | JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞) |
2004年 | 211勝 (.372) | JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞) |
2005年 | 212勝 (.398) | JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞) |
2006年 | 178勝 (.375) | JRA賞(最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞) |
※なお、表中には特に表さなかったが、全ての年で優秀騎手賞も受賞。
[編集] GI競走勝利一覧及び当該競走における騎乗馬(年度別)
(カッコ内は騎乗馬名。また、斜字は統一GI、太字は海外GIを指す)
- 1988年
- 菊花賞(スーパークリーク)
- 1989年
- 1990年
- 天皇賞(春)(スーパークリーク)
- 安田記念(オグリキャップ)
- スプリンターズステークス(バンブーメモリー)
- 有馬記念(オグリキャップ)
- 1991年
- 天皇賞(春)(メジロマックイーン)
- 1992年
- 天皇賞(春)(メジロマックイーン)
- 1993年
- 1994年
- 1995年
- 1996年
- 1997年
- 1998年
- 桜花賞(ファレノプシス)
- 東京優駿(スペシャルウィーク)
- 秋華賞(ファレノプシス)
- モーリス・ド・ゲスト賞(シーキングザパール)
- 1999年
- 天皇賞(春・秋)(スペシャルウィーク)
- 東京優駿(アドマイヤベガ)
- アベイ・ド・ロンシャン賞(アグネスワールド)
- マイルチャンピオンシップ南部杯(ニホンピロジュピタ)
- ジャパンカップ(スペシャルウィーク)
- 2000年
- 2001年
- 2002年
- 2003年
- フェブラリーステークス(ゴールドアリュール)
- ジャパンダートダービー(ビッグウルフ)
- エリザベス女王杯(アドマイヤグルーヴ)
- 全日本2歳優駿(アドマイヤホープ)
- 東京大賞典(スターキングマン)
- 2004年
- 2005年
- 2006年
- フェブラリーステークス(カネヒキリ)
- 天皇賞(春)(ディープインパクト)
- NHKマイルカップ(ロジック)
- 宝塚記念(ディープインパクト)
- ジャパンカップ(ディープインパクト)
- 有馬記念(ディープインパクト)
- 2007年
- 高松宮記念(スズカフェニックス)
- ドバイデューティーフリー(アドマイヤムーン)
[編集] 国内未勝利平地重賞一覧
GI
GII
GIII
[編集] 騎乗馬
- スーパークリーク(菊花賞、天皇賞(春・秋))
- 初GI勝利馬。菊花賞では同馬は賞金の関係で除外になる可能性もあったが、武は同馬での騎乗にこだわったという。オグリキャップとはライバルに当たる馬だった。
- シャダイカグラ(桜花賞)
- 桜花賞では不利だとされる大外枠から出遅れて結果的に内を確保して勝利。『内に入るためわざと出遅れた』という逸話が広まった。
- イナリワン
- 騎乗したのは2回のみだがそのうち2回ともがGIで、2回とも勝っている。1989年から1992年までの天皇賞(春)4連覇、1990年春までの天皇賞3連勝の最初のパートナーでもある。
- バンブーメモリー(スプリンターズステークス、マイルチャンピオンシップ2着2回)
- 1989年マイルチャンピオンシップでのオグリキャップとのハナ差の敗戦が有名。
- 父・邦彦の管理馬で、スプリンターズステークス優勝は正に親孝行だった。
- オグリキャップ(安田記念、有馬記念)
- 騎乗したのは2回のみだがそのうち2回ともがGIで、2回とも勝っている。マスコミからはこのときアイドルジョッキーだった武とアイドルホースのオグリキャップとのコンビは『ゴールデンコンビ』とまで言われた。引退レースとなった有馬記念での勝利は、奇跡の復活とまで言われ17万人の大歓声に答えた。
- メジロマックイーン(天皇賞(春)2回、宝塚記念)
- 天皇賞(春)を勝ってメジロアサマ、メジロティターンに続く親子三代天皇賞制覇の偉業達成。天皇賞(秋)で1位入線したが、他馬への妨害で降着。その後天皇賞(春)を史上初の連覇と宝塚記念を勝つ。
- ベガ(桜花賞・優駿牝馬)
- 春の二冠を制覇。皐月賞のナリタタイシンと合わせ春クラシック3連勝達成。
- オグリローマン(桜花賞)
- 婚約発表の10日後に桜花賞を制覇。余談になるが2着馬がツィンクルブライド、3着馬がローブモンタント(婚礼で着飾る立襟の豪華ドレス)と結婚がキーワードの馬であった。
- スキーパラダイス(ムーラン・ド・ロンシャン賞、京王杯スプリングカップ)
- 日本人初欧州GI制覇の快挙。
- ホワイトマズル(“キングジョージ”2着)
- キングジョージでは、直線で騎手が落馬して「カラ馬」となったEzzoud(エズード)に邪魔をされるハプニングがあり2着。また凱旋門賞では1番人気に推されたものの、後方から追い上げ及ばず6着に終わった。レース後、チャップルハイアム調教師は双眼鏡を叩き割り、「タケのようなジョッキーは、ニホンで乗ってればいいんだ」と悪態をついた。また、ヨーロッパのマスコミはここぞとばかりに武の騎乗振りを罵倒した。
- ダンスパートナー(優駿牝馬)
- 1995年優駿牝馬に優勝。夏はフランス遠征を敢行した。結果はG3で2着、G1で6着。ちなみに敗れたものの菊花賞にも挑戦した。
- エアグルーヴ(優駿牝馬、天皇賞(秋))
- 1996年優駿牝馬で親子2代での優駿牝馬制覇達成。1997年天皇賞(秋)も優勝し、グレード制導入後初の牝馬による牡馬混合中長距離GI勝利を達成。続くジャパンカップで2着。
- ダンスインザダーク(菊花賞)
- マーベラスサンデー(宝塚記念)
- 重賞4連勝など活躍しながらGIになかなか手が届かなかったが、1997年宝塚記念で戴冠。
- シーキングザパール(NHKマイルカップ、モーリス・ド・ゲスト賞)
- NHKマイルカップまで重賞4連勝。日本調教馬として初の海外G1制覇。
- サイレンススズカ(中山記念、金鯱賞、毎日王冠、小倉大賞典)
- スペシャルウィーク(東京優駿(日本ダービー)、天皇賞(春・秋)、ジャパンカップ)
- この馬で東京優駿(日本ダービー)初優勝。この時、あまりの興奮に鞭を落としてしまった。また、武豊のジャパンカップ初制覇をもたらした馬でもある。1999年有馬記念では武豊は「アタマ差は勝った」と感じたらしく、負けたのにウイニングランという珍事が発生。
- アドマイヤベガ(東京優駿(日本ダービー))
- 前年のスペシャルウィークに続いてJRA史上初となる東京優駿(日本ダービー)連覇。親仔2代のGI制覇
- アグネスワールド(アベイ・ド・ロンシャン賞、ジュライカップ)
- フランスのG1、アベイ・ド・ロンシャン賞、ジュライカップを制覇。日本ではGIを勝てず。
- エアシャカール(皐月賞、菊花賞)
- 菊花賞では内に斜行する癖を掌握して内から伸び、見事に二冠を達成した。
- トゥザヴィクトリー(エリザベス女王杯)
- 2001年、世界最高峰のレースであるドバイワールドカップで、世界の強豪を相手に逃げ粘りキャプテンスティーヴの2着。同年のエリザベス女王杯では後方待機策で接戦の末に優勝(武は「勝つにはあれしかなかった」と勝利ジョッキーインタビューで語っている)。
- クロフネ(NHKマイルカップ、ジャパンカップダート)
- フランスから急遽帰国し跨った2001年NHKマイルカップでGI制覇。その後外国産馬で初のダービー参戦を果たすが惜敗。天皇賞(秋)を除外され出走した武蔵野ステークスでは1分33秒3の日本レコードで勝利。ジャパンカップダートでも2分5秒9の日本レコード勝ちをした。
- タニノギムレット(東京優駿(日本ダービー))
- NHKマイルカップは3着。2002年東京優駿(日本ダービー)で後の年度代表馬シンボリクリスエス以下を差し切り、JRA初の東京優駿(日本ダービー)3勝目。
- ゴールドアリュール(フェブラリーステークス、ジャパンダートダービー、ダービーグランプリ、東京大賞典)
- ダートで開眼。地方を中心に快進撃を続けた。サンデーサイレンス産駒初のJRAダートGI制覇。JRA最優秀ダートホース。
- ファインモーション(秋華賞、エリザベス女王杯)
- 3歳馬として初めてエリザベス女王杯を無敗で制覇。
- ダンスインザムード(桜花賞)
- 2004年桜花賞優勝で、調教師の藤沢和雄に初のクラシックタイトルをプレゼントした。アメリカンオークス招待ステークスでは2着に敗れた。
- アドマイヤグルーヴ(エリザベス女王杯2回)
- 牝馬三冠競走では相次いで出遅れて3、7、2着も、2003年、2004年のエリザベス女王杯連覇。
- タイムパラドックス(ジャパンカップダート、川崎記念、帝王賞、JBCクラシック)
- 2004年JBCクラシックで初騎乗(3着)以降、取りこぼしは多いが、ここ一番のGIでは力の違いを見せ付ける。
- ディープインパクト(クラシック三冠、天皇賞(春)、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念)
- デビュー以来無傷の7連勝で、シンボリルドルフ以来の2頭目の無敗のクラシック三冠を達成。有馬記念では2着に敗れ、無敗での4冠達成はならず。2006年天皇賞(春)、宝塚記念にも優勝し、凱旋門賞へ出走するも3位入線後、失格。帰国後、ジャパンカップ、有馬記念に勝利した。日本ダービーに勝利した際に「過去の馬とは比べたくありません。すでにこの馬が名馬なのですから」と語る。
- カネヒキリ(ジャパンダートダービー、ダービーグランプリ、ジャパンカップダート、フェブラリーステークス)
- 統一GI連勝の後、ジャパンカップダート、フェブラリーステークスも優勝。ドバイワールドカップに出走し5着(後に2着馬Brass Hat ブラスハットが薬物検査で陽性反応が出たため失格となり、4着と訂正)。
- アドマイヤムーン
- クラシック2戦は敗戦。距離適性を考え菊花賞ではなく天皇賞(秋)に出走するがこちらも3着に敗れる。しかし翌年ドバイデューティーフリーを制し、初GI制覇が海外GIとなった。
- ハルウララ(競走成績113戦0勝)
- 高知競馬の交流重賞・黒船賞の次のレースに騎乗。結果は大敗するものの、取材陣の多さに「ダービー勝ったときより、今日は取材陣が多いですね」とおどけた。
[編集] 連載
- 週刊現代「この馬に聞いた」
- スポーツニッポン「サタデー物語」「サンデー物語」(GI時はGIスペシャル手記)
- 週刊ヤングサンデー 漫画「ダービージョッキー」(原案担当/作画:一色登希彦)
- ALBA「オンのターフ、オフのターフ」
[編集] DVD
- ターフのヒーローシリーズ(1~11はVHSも)
[編集] その他
- デビュー当時「武邦彦の息子」と言われたことに発奮し、「武邦彦の息子ではなく、父のことを『武豊の父』と言わせてみせます」と発言した。弟の幸四郎がデビューする際は「今は幸四郎が豊の弟と呼ばれているけど、将来、幸四郎の兄と呼ばれないように頑張りたい」と発言している。
- 最も多く勝った重賞は阪神大賞典の8勝(2007年3月18日現在)で、カブトヤマ記念8勝の保田隆芳に並ぶ。
- 1989年から1990年に3強といわれたオグリキャップ、スーパークリーク、イナリワンの3頭全てに騎乗しGIを7勝している。
- マイルチャンピオンシップととても相性が悪く、バンブーメモリー、ファインモーション、ダンスインザムードでの2着があるものの、地元関西のGIで唯一未勝利である。
- 有馬記念とも相性が悪く、デビュー4年目の1990年にこれが引退レースとなるオグリキャップで制し感動を呼んだが、同じくラストランとなった2006年のディープインパクトでの勝利まで16年間優勝できなかった。その前年も当時無敗のディープインパクトに騎乗し単勝1.3倍に支持されたが、ハーツクライに1/2馬身差の2着に敗れた。逆に2着が多く(1989年スーパークリーク、1991年メジロマックイーン、1996年・1997年マーベラスサンデー、1999年スペシャルウィーク、2003年リンカーン、2005年ディープインパクトの計7回)、珍記録にもなっている。
- 1987年のデビューから毎年中央競馬の重賞レースを制している。これは武豊の他には藤田伸二しか達成していない記録である。
- 競馬学校の2年先輩である石橋守を敬愛している。行動を共にすることがよくあり、石橋がメイショウサムソンでGI初制覇を成し遂げたとき、自分の事のように喜んでいた。
- 芸能人と交流があり、とんねるずや明石家さんま、SMAPの中居正広や木村拓哉や島田紳助等と親交が深い。
- 笑っていいとも!の名物コーナーであるテレフォンショッキング出演歴あり。1回目は1989年12月21日で早見優から紹介されて佐野量子を紹介し、2回目は2002年1月9日で小泉孝太郎から紹介されて陣内孝則を紹介した。
- 趣味はゴルフで、ゴルフ誌に登場したこともある。以前趣味だったスキーは、友人の岡潤一郎がレース中の落馬事故で亡くなってからは行かなくなった。
- 1991年、TBSの2時間ドラマ「拝啓オグリキャップ様」で本人役でドラマ初出演(友情出演)。賀来千香子などと共演した。
- 佐野量子と1995年に結婚した。
- 佐野量子との結婚式は1995年6月5日京都の教会で伊集院静・篠ひろ子夫妻を立会人に行われた。
- 佐野量子との披露宴は1995年11月20日京都府の都ホテルで行われたが「1000勝祝賀会」も兼ねたものだった。
- この結婚式のために、SING LIKE TALKINGは「Split Of Love」を作曲した。
- スポーツニッポン(スポニチ)を愛読しており、同紙・競馬ページにコラム「武豊のサタデー・サンデー物語」を執筆している。そのためかスポニチは彼の騎乗馬の印に甘いと言われる。ディープインパクトに「英雄」と名づけたのもスポニチが最初である。
- 阪神タイガースファンで、阪神の選手と親交も深い。甲子園で阪神-巨人戦の始球式を務めたこともある。始球式では通常山なりのボールを投げるが、見事なストレートを投げスタンドから歓声が上がった。また、2000年皐月賞前の水曜日に阪神-巨人戦のゲスト解説を務めた際に阪神のジャンバー姿で放送席に座り、皐月賞についてコメントを求められた際に騎乗馬のエアシャカールについて、自信を持っているコメントを残し、見事好騎乗で勝利。2006年に金子真人ホールディングス(ディープインパクトの馬主)の勝負服姿で、甲子園球場で始球式を行った。万年Bクラス時代は『監督になった気分で、オーダーを自分で組んで勝手にシミュレーションしていた』という。
- 1999年、「おごってジャンケン隊」(週刊ビッグコミックスピリッツ)にゲスト出演。最後にジャンケンに負けてしまい、食事代(40,162円)を支払った。
- 2003年、平井堅「LIFE is ...~another story~」のPVに出演。数秒、骨折していた骨盤部分も映っている。
- 「武豊TV!」(フジテレビ739)の司会を務めている(ナビゲーターは見栄晴)。
- 2005年度上半期NHK朝の連続テレビ小説・「ファイト」に本人の役にて特別出演(9月放映)。
- 2005年、「ベスト・スマイル・オブ・ザ・イヤー賞」受賞。
- 2005年、雑誌「Number」が選ぶ2005年度MVP受賞。
- 読みは違うが字が同じという縁で、愛知県知多郡武豊町(たけとよちょう)には数回招かれ、一日町長を務めたこともある。また、同町にあるJR東海・武豊線の武豊駅の改札口上には、一時期サイン色紙が飾られていた。
- 現在の愛車は三菱アウトランダー。CM撮影時に気に入りその場で購入交渉、競馬場で納車。カラーはブラックマイカ。
- 2006年2月23日~27日にタカシマヤ新宿店にてデビュー20周年記念展が開催され、優勝カップや馬具、プライベート写真などの展示、VTR上映等が行われた。また同年4月19日~24日に高島屋京都店(四条河原町)で、8月30日~9月4日に伊勢丹小倉店(北九州市)で、2007年2月7日~15日に高島屋大阪店(なんば)で同様の展覧会が開催。
- 2006年10月、社会問題となった筑前町立三輪中学校に通ういじめを苦にして自殺したディープインパクトのファンの中学2年の生徒の両親に対し、「天国で応援して」と色紙を送った。
- 大阪税務署主催の「利きビールコンテスト」でも出場者の中で唯一人、全銘柄を的中させたことがある。
- 手首の太さで体重の増減が100g単位で分かる。
- 好みのブランドはヒューゴ・ボス、ジャンニ・ヴェルサーチ。また腕時計はタグホイヤーがお気に入り。
- ジーパンのサイズは26インチ。
- 競馬学校時代には食事制限を苦にし、馬の餌のニンジンを食べていたことがある。この時から「ニンジンは馬の餌で人間の食べるものではない」との認識が生まれ、嫌いな食べ物となった。
- デビューした1987年にトウカイローマンでジャパンカップに出走した際には「デビューの年にジャパンカップに騎乗できるなんて、そうそうない」と語った(実際に菊花賞とジャパンカップの新人騎乗は武が史上初であった)。
- 海外に行ったとき、現地の人は「タケ」と発音ができないため「タキィ」と発音されてしまう。もっともこれでもよくなったほうで、海外参戦して日が浅かった頃は「テイク」と呼ばれていた(「たけ」のローマ字表記「TAKE」は英語の「TAKE(=得る、取るなど)」と同表記)。
- 普段はインタビューにも普通に答え、武の人柄の良さを感じさせるが、レースでのショックが大きいときは人が変わったように無愛想になるときもある。凱旋門賞でディープインパクトに騎乗し負けたときは、勝てると思っていたぶんショックが大きかったのか、敗戦後の駆け寄ってくるインタビューアを振り切るように憮然として引き上げていった。また、天皇賞(秋)でサイレンススズカに騎乗し、同レースで同馬が予後不良になったあとに故障の原因を聞かれたときも、まるで人が変わったように無愛想になっていた。
- 競馬をテーマとした漫画『じゃじゃ馬グルーミンUP!』の登場人物弓削 匠(ゆげ たくみ)のモデルは武である。(文庫本1巻のあとがきも書いている)
[編集] テレビ出演
[編集] ドラマ
- 拝啓オグリキャップ様(1991年9月30日、TBS2時間ドラマ)武豊(本人役)
- ファイト(2005年、NHK朝の連続テレビ小説)武豊(本人役)
[編集] バラエティ
[編集] レギュラー
- 武豊TV!(SKY PerfecTV!、フジテレビ739)
- 武=孝太郎(フジテレビ)
[編集] 過去の出演
- 徳光和夫のクイズダービー
- 笑っていいとも!(1989年12月・2002年1月)
- スポーツ100万倍(1994年4月19日)
- トップランナー(1997年6月13日)
- FAN(1998年3月27日)
- SMAP×SMAP(1999年5月3日・2006年5月29日)
- 情熱大陸(1999年9月12日・2001年10月28日)
- ウチくる!?(2001年4月8日)
- クイズミリオネア(2003年4月3日)
- ZONE(2004年1月18日)
- 土曜インタビュー(2004年5月8日)
- 新型テレビ(2004年10月13日)
- とんねるずのみなさんのおかげでした
- 夢対決!2006とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル7
- NANDA!?(テレビ朝日系)(2006年9月22日・29日)
- アスリート応援TV! ニッポン!チャ×3(2006年12月9日)
- 浜田雅功の新春太っ腹!スーパースターにお年玉あげちゃおうSP(2007年1月3日)
- Music Lovers(2007年4月15日)
[編集] CM
- 和歌山マリーナシティ
- サッポロビール(1989年 父・邦彦と共に出演)
- 村田製作所
- トヨタ カローラ(2000年)
- 三菱自動車 アウトランダー(2005年11月~)
- NTTドコモ(番号ポータビリティ制度向けTVCMシリーズ「だから私はドコモです」 『武豊-だから私はドコモです篇』)(2006年10月~)
- サントリー ザ・プレミアム・モルツ(2007年 浅尾美和と共演)
[編集] PV
- 「LIFE is ...~another story~」(平井堅)
[編集] 写真集
[編集] 作詞
- 「コロンブスの卵」(とんねるずアルバム「お前百まで わしゃ九十九まで」収録)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- Take a chance!(武豊公式)
日本の三冠達成騎手 |
---|
クラシック三冠 |
小西喜蔵 | 栗田勝 | 吉永正人 | 岡部幸雄 | 南井克巳 | 武豊 |
牝馬三冠 |
河内洋 | 幸英明 |