レイモンド・フッド
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レイモンド・M・フッド(Raymond M. Hood、1871年3月29日 - 1934年8月14日)は、20世紀初~中期の建築家。アメリカの各都市にて、アール・デコ様式の超高層ビルを数多く設計した。
ロードアイランド州ポータケットに生まれ、ブラウン大学、マサチューセッツ工科大学、パリのエコール・デ・ボザールにて教育を受けた。エコール・デ・ボザールでは、後のパートナーである、ジョン・ミード・ハウエルズと出会っている。ハウエルズとフッドの設計事務所は、1922年、シカゴ・トリビューン社の本社屋、トリビューン・タワーの国際建築設計競技にて、エリエル・サーリネンらの案を退け、見事一位を獲得したことで一躍有名になる。
レンダラーのヒュー・フェリス、建築彫刻家レネ・ポール・シャンベランなどを採用し、アール・デコ様式を主体とするマンハッタン摩天楼のイメージを確立した。
代表作
- 1924年 トリビューン・タワー イリノイ州シカゴ
- 1924年 アメリカン・ラジエター・ビル(別名 アメリカン・スタンダード・ビル) ニューヨーク州ニューヨーク
- 1929年 ニューヨーク・デイリーニュース・ビル ニューヨーク州ニューヨーク
(スーパーマンの「デイリー・プラネット」社のモデルとして有名。)
- 1930年 メイソニック・テンプル(現スクラトン・カルチャー・センター) ペンシルバニア州スクラトン
- 1933年 ロックフェラー・センター ニューヨーク州ニューヨーク
- 1934年 マグロウヒル・ビル ニューヨーク州ニューヨーク
カテゴリ: アメリカ合衆国の建築家 | 1871年生 | 1934年没