レブロン・ジェームズ
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男子 バスケットボール | ||
銅 | 2004 | バスケットボール |
レブロン・ジェームズ(LeBron James, 1984年12月30日 - )は、は、アメリカ・オハイオ州アクロン出身のプロバスケットボール選手である。北米のプロバスケットボールリーグNBAのクリーブランド・キャバリアーズに所属。愛称は「キング・ジェームズ」。 背番号は、憧れだったマイケル・ジョーダンと同じ23番。身長203cm、体重109kg。ポジションはポイントガード~スモールフォワード。
高い身体能力を駆使し、得点能力のみならずパス、リバウンドでも活躍できるオールラウンドな選手である。ダンクシュートやトリッキーなパスなど、観客を楽しませるスター性も見せる。集中力が高まると爪を噛みだすという癖がある。
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[編集] 高校
セント・ビンセント=セント・メアリー高校でプレーし、全米オールファーストチーム3回、全米最優秀選手2回、高校オールスターであるマクドナルド・オール-アメリカン・ゲーム(McDonald's All-American games)MVPなどの活躍をした。
なお、3年生の時に全国誌である『スラム』('Slam')、『スポーツ・イラストレイテッド』('Sports Illustrated')、『ESPNマガジン』('ESPN The Magazine')の表紙になったり、高校の試合が全米放送されるなど、全米から大きな注目を集めていた。また、在学中にナイキと7年間で総額9,000万ドル(他にもアッパーデックと5年間で総額500万ドル)という契約を結ぶなど、商業的にも注目を集めていた。
[編集] NBA
セント・ビンセント=セント・メアリー高校を卒業後、レブロンは2003年のNBAドラフト全体1位でクリーブランド・キャバリアーズに指名され、18歳の若さでNBA入りした。この年のドラフトはレブロンの他にもドウェイン・ウェイド、カーメロ・アンソニーなど期待の新人が多かった。
1年目となる2003-2004シーズンは20.9得点、5.9アシスト、5.5リバウンドという成績を残した。デビュー1年目で20得点、5アシスト、5リバウンドという成績は、オスカー・ロバートソン、マイケル・ジョーダンに続いて史上3人目である。また、オールスターには出場できなかったものの、オールスターウィークに行われるルーキーチャレンジに出場して1年目選手のチーム最多の33得点を挙げた。キャバリアーズは前年より勝ち星を18勝増やし、35勝47敗の成績を残すがプレイオフ出場は叶わなかった。
ルーキー・オブ・ザ・イヤー(新人王)の投票では得点、リバウンドで新人1位の成績を残しプレイオフに出場したデンバー・ナゲッツのカーメロ・アンソニーとの争いになったが、レブロンは508ポイントを獲得(カーメロ・アンソニーは430ポイント)し、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。
翌2004-2005シーズンにはこれまで苦手とされていたアウトサイドシュートが向上し、さらに得点力をアップ。2005年1月19日には最年少(20歳と20日)でのトリプルダブル達成、同年3月20日には最年少(20歳と80日)での1試合50得点以上を達成した。最終的に1試合あたり27.2得点、7.2アシスト、7.4リバウンドとなり、オスカー・ロバートソン、ジョン・ハブリチェック、ラリー・バード、マイケル・ジョーダン以来5人目の27得点、7アシスト、7リバウンド以上達成となった。しかし、チームは42勝40敗と前年から更に勝ち星を増やすもののカンファレンス8位のニュージャージー・ネッツと同率の9位になり、プレイオフ出場はならなかった。また、このシーズンのNBAオールスターゲームに初出場した。
2005-2006シーズンになると勝負強さも兼ね備えるようになったレブロンは、チームを勝利に導ける選手にまで成長。チームは大きく躍進を果たし、50勝32敗の成績で8年ぶりにプレイオフ進出。自身も2度目のオールスターゲーム出場で29得点、6リバウンドを挙げて最年少のオールスターMVPに輝き、レギュラーシーズンでは自己最高の31.4得点、7.0リバウンド、6.4アシストという成績を残し、またトッププレイヤーの証明であるオールNBAファーストチームに初めて名を連ねた。プレイオフでは1回戦でライバルの1人であるギルバート・アリナス率いるワシントン・ウィザーズを激戦の末4勝2敗で破ると、カンファレンス準決勝ではレギュラーシーズン1位のデトロイト・ピストンズ相手に3勝2敗とリードを奪うが、そこから2連勝されて惜しくも敗退した。
[編集] 個人記録
[編集] シーズン記録
- 2003-2004:79試合出場、20.9得点、5.9アシスト、5.5リバウンド
- 2004-2005:80試合出場、27.2得点、7.2アシスト、7.4リバウンド
- 2005-2006:79試合出場、31.4得点、6.6アシスト、7.0リバウンド
[編集] 1試合最多記録
- 1試合最多得点:56得点(vs トロント・ラプターズ 2005年3月20日)
- 1試合最多アシスト:15個 (vs メンフィス・グリズリーズ 2005年1月26日)
- 1試合最多リバウンド:18本 (vs ニューヨーク・ニックス 2005年4月14日)
- 1試合最多3P成功数:7本 (vs ミルウォーキー・バックス 2005年4月9日)
- 1試合最多フリースロー成功数:24本 (vs マイアミ・ヒート 2006年3月12日)
- 1試合最多スティール:7本 (vs メンフィス・グリズリーズ 2004年12月13日)
[編集] 受賞・タイトル
- 新人王: 2004年
- オールスターMVP: 2006年
- オールNBAファーストチーム: 2006年
- オールNBAセカンドチーム: 2005年
- NBAオールルーキーファーストチーム: 2004年
- オールスター出場: 2005年、2006年
国際舞台では2004年のアテネオリンピックと日本で開催された2006年のバスケットボール世界選手権に、アメリカ代表として出場し、どちらも銅メダルを獲得している。