ワイドショー・プラスα
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ワイドショー・プラスα(わいどしょー・ぷらすあるふぁー)は、1972年1月から1982年12月に朝日放送で放送された、平日午後の主婦向けのワイドショー番組である。
開始当初の放送時間は午後2時15分からの45分番組。3ヶ月後から午後2時開始となる。司会に乾浩明アナウンサーを迎え、主婦層に向けた情報なら何でも、夫婦や暮らしの問題、また視聴者層に密着した社会問題などを、取材映像、ゲストや専門家の解説などで展開。これをスタジオでわかりやすく、かつ親しみ易く解説し、人気を博した。
番組ではスタジオを開放し、また司会である乾アナウンサーが、自由奔放に関西弁を使い、さらにスタジオの舞台裏までも見せるざっくばらんな司会ぶりが、遺憾なく発揮された。また番組初期に脇を固めていた日下部吉彦(朝日放送解説委員)も、甘いマスクとソフトな語り口が受け、後に夕方のニュースワイド番組「たいむ6」のメインキャスターに就任した。
この時間帯、1970年代から80年にかけては、関西発のワイドショー番組が多く存在し、しのぎを削っていた。
この番組もその後、
- 「バラエティワイド・こんな時α」
- 「入川保則のほっとワイド」
- 「ほっとワイド」
- 「ビバ・レディー」
- 「晴れ時々たかじん」(やしきたかじん司会)
- 「べかこの自遊時間」(桂べかこ(現・桂南光)司会)
と継承されたが、「べかこの自遊時間」を最後に制作から撤退し、現在はドラマの再放送枠となっている。
「べかこの自遊時間」最終回まで同時ネットを続けた地域は、広島県域(中国放送→広島ホームテレビ)だった。なお、中国放送はネットチェンジ後は毎日放送の「スタジオ2時」~「レインボー」・「はーい!昼ナマ」を同時ネットで放送した。
番組開始時は関西ローカルだったが、その後
- 静岡朝日テレビ(当時静岡けんみんテレビ。「プラスα」途中までネット、その後テレビ朝日制作「こんにちは2時」ネットに変更)
- 名古屋テレビ(時折朝日放送・名古屋テレビ共同制作で名古屋テレビのスタジオから放送することもあった。「晴れ時々たかじん」までネット、その後「こんにちは2時」ネットに変更。なお、腸捻転時代は名古屋テレビは「奥さん!2時です」をネット。中部日本放送は「プラスα」をネットしていなかった)
- 山陽放送→瀬戸内海放送(「ほっとワイド」までネット、その後再放送枠に変更)
- 中国放送→広島ホームテレビ
- RKB毎日放送→九州朝日放送(「晴れ時々たかじん」までネット。「こんな時α」では、KBCの奥田智子アナウンサーが木曜日のアシスタントを務めた)
など西日本を中心にしたテレビ朝日系列局(1975年3月以前はTBS系列局)にネットされていた時期もあった他、1975年頃、長野放送(フジテレビ系列だが、1975年3月31日から1980年9月30日までは朝日放送の番組もネットしていた)にネットされていたことがあった。
稲川淳二の怪談「生き人形」の人形が出演した事があり、実際「生き人形」の話の中でも話されている。