一億総白痴化
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一億総白痴化(いちおくそうはくちか)とは、社会評論家の大宅壮一が生み出した流行語である。「テレビというメディアは非常に低俗な物であり、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させてしまう」という意味合いが強い。
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[編集] 背景
元々は、1957年2月2日号の「週刊東京」における、以下の詞が広まった物である。
「テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億総白痴化』運動が展開されていると言って好い。」
この詞は、当時の流行語にもなった。大宅壮一がこの記事を書く動機となった物が、三國一朗が司会をする1956年11月3日放送の日本テレビの視聴者参加番組『ほろにがショー 何でもやりまショー』早慶戦シーンであるとされている。これにおいては、出演者が早慶戦で慶応側の応援席に入って早稲田の応援旗を振り、大変な騒ぎになって摘み出される所を大宅が見て、「アホか!」と呟いたという(大宅壮一の三女で、現在ジャーナリストでもある大宅映子の談話より)。
又、朝日放送の広報誌『放送朝日』は、1957年8月号で「テレビジョン・エイジの開幕に当たってテレビに望む」という特集を企画し、識者の談話を集めた。ここでも、作家の松本清張が、「かくて将来、日本人一億が総白痴となりかねない。」と述べているようである。
このように、当時の識者たちは、テレビを低俗な物だと批判しているが、その背景には、書物を中心とした教養主義的な世界観が厳然としてあったと考えられる。
書物を読む行為は、自ら能動的に活字を拾い上げてその内容を理解する行為であり、その為には文字が読めなければならないし、内容を理解する為に自分の頭の中で、様々な想像や思考を凝らさねばならない。これに対して、テレビは、単にぼんやりと受動的に映し出される映像を眺めて、流れて来る音声を聞くだけである点から、人間の想像力や思考力を低下させる、といった事を指摘しているようである。
[編集] 現在
この語の中にある「白痴」という表現には、現在では一部の身体障害者に対する差別的な意味合いが含まれている。又、昔はテレビは高級品であったが現在では日用品と化しており、人々が生活に必要な情報を得る手段としてその利便性が定着している以上、「一億総白痴化」という語の原義も陳腐化したり、変遷している一面もある。
しかし、現在でも、品質が低い番組を批判する時に、一部の放送関係者や教育関係者たちが、「かつてこんな内容を言われた事がある」と称する事がある。
また、最近のテレビ番組の低俗なアクションなどを子供が真似したときなどにこの言葉を使われることもある。
[編集] その後
NHK総合テレビ「クローズアップ現代」において、「携帯電話の普及で漢字を読めない・書けない若者が増えた」と論じられた(2006年11月8日放送分)が、これらは“若者の学力低下”の原因を何かに求めたがる典型でもある。
[編集] 関連項目
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