紙芝居
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紙芝居(かみしばい)は、絵を見せながら演じ手が語って進める芝居的パフォーマンスのことで、子供たちを対象にした簡易な芸能である。
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[編集] 概要
昭和初期の日本で誕生した。日本独自の存在で、バリ島のワヤンなど影絵芝居や紙人形芝居を除けば他国に例を見ないものであった。 絵話、絵芝居、平絵と呼ばれることもある。
台本に沿って描かれた数枚から十数枚の絵をその筋書きに沿ってそろえて重ね合わせ、演じ手は、1枚目から順に観客に見せながら、筋書きとセリフを語っていく。 見せ終わった絵は、横に引き抜いて裏に回し、物語を展開させていく。
紙芝居では、演じ手(一人)と観客(複数)とが向き合い、実演を通して直接交流することにより盛り上がる。演じ手は観客の反応を見ながら、絵の引き抜き方、声色、台詞回しなど演じ方を自在に変える事もできる。この双方向性と一体感は、TVなどの一方通行のメディアでは得られぬ紙芝居の特質である。
よって、紙芝居においては素材の「絵」だけでなく、実演する「演じ手」も重要な要素であり、演じ手の質が紙芝居の効果をはっきり左右することになる。
[編集] 他のパフォーマンスとの相違
- 普通の芝居(演劇)は「人=役者」が主体。
- 人形芝居(人形劇)は「人形」と演じ手の「語り」が主体。
- 紙芝居は「絵」と演じ手の「語り」が主体。
- 絵本の読み聞かせでは、「絵」が主体で「語り」は「従」。
- 現在の日本で隆盛を誇るマンガは、紙芝居の「語り」や動きを「絵」に書き込んだものと見ることもできる。
- アニメでは、観客は「受身」に終始する。
[編集] 紙芝居の系譜
現在見る形式の紙芝居は戦前と戦後に1回ずつのブームに沸いた後、 内容が教育的でないなどの批判に遭って自主規制したため自由奔放な発想を失ったこともあり、お株をTVに奪われて急速に衰退していった。 現在では、街頭紙芝居はほとんど廃れ、代わって一般市民が「手づくり紙芝居」を楽しんでいる。
[編集] 源流
古来より、日本には「絵解き」と言って、絵を見せながら物語を語って聞かせる伝統があった。 『源氏物語』にも、女房が姫君たちに絵巻を見せながら物語る場面が出てくる。 寺では僧侶が曼荼羅や寺の縁起を「絵解き」で参拝者たちに語って聞かせた。
時代が下り、江戸時代から明治・大正にかけて、小さな穴から箱の中の絵を覗くのぞきからくり縁日の見世物小屋で楽しまれた。絵だけではすぐあきられるので、これに語り(のぞきからくり節)をつけたものが人気を博した。
また同じ時期に寄席や縁日で楽しまれた、写し絵、手影絵、影絵眼鏡もまた、「絵を見せながら語る」という点で、紙芝居の源流と言うことができる。 この延長線上に無声映画があり、映画館では活弁士がスクリーンの前で熱弁を振るった。
そのうち、「立絵」と言う、20×10cm程度の紙人形による芝居が現れた。 これは、昭和初期に現在の紙芝居形式(平絵)が登場するまで、「紙芝居」と呼ばれていた。
[編集] 街頭紙芝居
誕生当初は大道芸的存在で、紙芝居屋は街頭を回って子供たちを集めては飴を売り、紙芝居を見せた。「子供の娯楽」として愛されたが、一部の保護者・教師からは「低劣、俗悪」と批判的な目で見られることもあった。
1930年(昭和5年)、高橋清三、後藤時蔵、田中次郎らが 平絵による、現在のような形式の紙芝居を世に送り出した。
「貸元」が作家・画家に1巻10画前後の紙芝居を制作させ、賃料を取って「紙芝居屋」に貸出した。
「紙芝居屋」は自転車に紙芝居と水飴などの駄菓子を積んで街頭を回り、拍子木を打って子供を集める。駄菓子を売り、人数が集まれば紙芝居を始めた。紙芝居屋にはトーキーで追われた活弁士や不況による失業者なども多く、子供たちからは"紙芝居のおじさん"と呼ばれていた。
- 魔法の御殿:後藤時蔵脚本・永松健夫画なお脚本は口伝でひろめられた。
- 黒バット
- 黄金バット(デウス・エクス・マキナ)的存在)
- 世界
- 少年タイガー
- 内容
- 活劇もの:男の子向け;冒険物語、時代劇
- 悲劇もの:女の子向け;継子いじめ、孝行美談、怪談、悲話
- マンガ:幼児向け
紙芝居をはしごする子供たち:終わらない紙芝居;「続きはまた来週」;現在のアニメの構成にも影響か?
[編集] 街頭紙芝居への批判
街頭紙芝居は駄菓子を売るのが主たる目的(大道芸の一種)であったため、客寄せのため、過激な表現・描写はエスカレートするばかりで、エロ(性的描写)・グロ(虐待や暴力の描写・残酷・流血・退廃)などに走りすぎたとの批判がある。 とはいえ、現代のテレビアニメや漫画のほうがはるかに過激であり、往年(昭和30年代頃まで)の街頭紙芝居は「過激」というよりむしろ「刺激的」といったほうが適切であろう。
[編集] 教育紙芝居(印刷紙芝居)
街頭紙芝居は手描きが主であったが、その成功を見て、宗教・教育・思想啓発のための教材として印刷紙芝居が刊行されるようになった。 戦後は児童図書館にも備えられるようになった。
- キリスト教紙芝居:今井よねらが宗教教育に活用;教育紙芝居の原点となる
- 聖書物語12巻、イエス伝12巻
- 幼稚園紙芝居:高橋五山が保育教材として「幼稚園紙芝居」(1935~)、「仏教紙芝居」を刊行
- 校外教育紙芝居:
- 日本教育紙芝居協会:
- 学校紙芝居:
[編集] 国策・軍国紙芝居
太平洋戦争時代、国策・軍国紙芝居が戦争協力の一翼を担った。これが戦後の連合国軍最高司令官総司令部による検閲と処分を招いた。
- 国策紙芝居:
- 軍神紙芝居:
[編集] 戦後の紙芝居
- 連合国軍最高司令官総司令部と国策・軍国紙芝居
- 戦前からの国作・軍国紙芝居を取り締まるため、連合国軍最高司令官総司令部はピクトリカル・コードを定め、検閲をした。
- 連合国軍最高司令官総司令部と左翼紙芝居
- 共産党系の組織は、左翼思想の新党に紙芝居を活用した。連合国軍最高司令官総司令部はこれに神経を尖らせ、検閲を強化した。
[編集] 街頭紙芝居ふたたび
・博物館・資料館での紙芝居 東京:2名 埼玉:1名 大阪:1名 ・地域サークルによる紙芝居
・観光業者、広告業者による紙芝居
・往年の街頭紙芝居を維持している人々、再現を試みている人々
[編集] 印刷紙芝居ふたたび
- 民主主義紙芝居:
- 保育現場での紙芝居:
- 学校現場での紙芝居:
- 図書館での紙芝居:
[編集] 紙芝居の衰退
(街頭紙芝居についてなのか、教育紙芝居についてなのか、この項目名では不明確です。修正が必要があると思われます。全体の流れから推測するに、「街頭紙芝居の衰退」と修正するのが適切ではないでしょうか。)
街頭紙芝居は昭和30年代が最盛期であり、TVなどの普及に押されて衰えていったと言われている。ただし、貸し元や演者の数が減ったという数的なことではあっても、文化として消えてしまった訳ではなく、また、無価値化した訳でもない。
なお、教育紙芝居について言えば、流通では新作があり、教育施設・文化施設などで公演されており、実演者も相当数いるので、衰退どころか栄えているといえる。 手作り紙芝居について言えば、「全国紙芝居まつり」などのイベントを中心に、全国各地の個人・団体が活動しており、地道に力を伸ばしつつ、紙芝居文化を継承している。
[編集] 手づくり紙芝居
昭和30年代のTVの台頭で街頭紙芝居が廃れたのち、母親が我が子やその友達のために作って見せる「手づくり紙芝居」が各地で作成されるようになり、サークルなどもできはじめた。今では一部で紙芝居の双方向性が見直され、自治体や公共図書館が主体となって「紙芝居まつり」や「手づくり紙芝居コンクール」が催されることもある。
[編集] 海を越える子供文化
近年ではラオス、ベトナムなどに紹介され、作られ楽しまれるようになってきている。
[編集] 新しいメディア
- 電気紙芝居
- テレビは登場当初「電気紙芝居」と揶揄されたが、小遣いをはたかなくても見られる「テレビ」は人々の耳目を集め、子供たちの紙芝居離れをさそった。
- 漫画・アニメ:
- 紙芝居の手法は漫画を通じて、日本のアニメに引き継がれている。
白土三平や水木しげる、小島剛夕も漫画を描く前は紙芝居の画を書いていた。
- 電脳紙芝居:
- 「紙」ではなくパソコン上の「静止画像」をもちいて筋書きを文字、または音声で伝える形式を「電脳紙芝居」と呼ぶことがある。「絵説き」には違いないが、従来の紙芝居とは異なり、演じ手と観客との直接交流は無い。
[編集] 手づくり紙芝居コンクール
- 神奈川県手づくり紙芝居コンクール
- 箕面手づくり紙芝居コンクール
[編集] 紙芝居の作り方
- 最初に筋を練り、構成を考える。
- 横に抜く動きを計算して絵を配置する
- 絵に変化をつける
- 遠目でもわかるように輪郭を墨ではっきり
- 色鉛筆では弱いので、絵の具で彩色する
- 擬音や動きの線は書き込まず、演じることで伝える
- 実際に演じて観客の反応を見て、必要なら構成や絵を練り直す
[編集] 紙芝居に関わる人々
- 加太こうじ
- 稲庭桂子
- 中川正文
- 上地ちづ子
- まついのりこ:紙芝居をベトナムに紹介
- 子どもの文化研究所・紙芝居研究会
- 紙芝居文化推進協議会
- 関西紙芝居文化研究会
- 森下正雄(昭和の街頭紙芝居師)
[編集] 参考文献
- 上地ちづ子著『紙芝居の歴史』(『日本児童文化史叢書』15)久山社、1997年、ISBN 4906563759
- 内山憲堂、野村正二著『紙芝居の教育的研究』玄林社、1937年
- 加太こうじ著『紙芝居昭和史』立風書房、1971年 / 旺文社、1979年
- 桜本富雄、今野敏彦著『紙芝居と戦争 銃後の子どもたち』マルジュ社、1985年、ISBN 4896160363
- 山本武利著『紙芝居 街角のメディア』吉川弘文館、2000年、ISBN 4642055037。
- 『紙芝居20年の歩み 紙しばい広場・総集編』子どもの文化研究所・紙芝居研究会、2001年
- 右手和子著、子どもの文化研究所編『紙芝居のはじまりはじまり 紙芝居の上手な演じ方』童心社、1986年10月、ISBN 4494022152
- 右手和子、若林一郎、西山三郎著『紙芝居をつくる』大月書店、1990年4月/1993年10月、ISBN 4272611267
- 阪本一房、堀田穣著『紙芝居をつくろう!』青弓社、1995年7月、ISBN 4787291084
- 『紙芝居大系 街頭紙芝居編』第1巻 - 第7巻、大空社、1994年9月、ISBN 487236922X
- 『紙芝居大系 街頭紙芝居編』第8巻 - 第14巻 - 別巻、大空社、1995年3月、ISBN 4872369238
[編集] 外部リンク
"Internet Archive Wayback Machine"内に上記のサイトが保存されているもの
- 童心社
- 教育画劇
- 紙芝居 街頭のメディア(未校正版)(早稲田大学・政治経済学部・山本武利研究室)>サイト移転先>http://www.waseda.jp/prj-m20th/yamamoto/index.html
- 映画:紙芝居昭和史 黄金バットがやって来る。
- 年表:紙芝居史
- 講師紹介:右手和子(日本幼児教育研究会)
- プロの紙芝居:杉浦貞
- ユーダイ座:加藤雄大
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