上野豊岡藩
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上野豊岡藩(こうづけとよおかはん)は、上野国(現在の群馬県高崎市下豊岡町常安寺)に存在した藩。
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[編集] 藩史
根津氏(もしくは禰津氏)は東信濃の滋野三家の一つで小県郡・禰津(ねつ)に起こる豪族である。武田氏侵攻後その傘下となる。しかし、武田氏が滅亡すると当主である禰津昌綱は徳川・北条・上杉と主君を転々と替えた。
天正11年(1583年)、禰津氏の先の当主である根津政直は昌綱と行動を別にして徳川氏家臣であり続ける。また、徳川氏の家臣になると禰津から根津に氏を変えている。 家臣となった直後は駿河などに所領を得るが、徳川家康が関東へ移動すると、上野豊岡に5000石の所領を得る。また、徳川氏からは本家として扱われ、本来の本家である禰津昌綱の系統は真田氏の完全な家臣となる。
慶長7年(1602年)、政直の子である根津信政は5000石加増により合計1万石の大名となって諸侯に列し、上野豊岡藩を立藩した。信政の没後その息子・政次が、さらにその死後、養子となった弟・信直が家督を継ぐも、寛永3年(1626年)4月(異説として寛永2年)に病死する。嗣子が無く、根津氏は無嗣断絶で改易となり、上野豊岡藩は廃藩・天領となった。
[編集] 歴代藩主
[編集] 根津(ねづ)家
外様。1万石。
- 初代 根津信政(のぶまさ)
- 二代 根津政次(まさつぐ)
- 三代 根津信直(のぶなお)