不当利得
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不当利得(ふとうりとく)とは、契約などのような法律上の原因がないにも関わらず利益を受けた者がいる場合、その利益が帰属すべき者に対して利益を返還させる制度である。これは、契約、不法行為、事務管理とならぶ民法上の債権発生原因の一つであり、民法703条からb:民法第708条に規定がある。
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[編集] 適用場面
不当利得が適用される典型的な場面は、一度有効に成立した契約が無効であったり、取消されたりして「初めからなかったもの」とされた場合である。例えば、カメラを5万円で買う契約を結び、買主は代金と引き換えに売主からカメラを受け取ったが、後になって買主が錯誤による契約の無効を主張した、とする。すると契約は「初めからなかったこと」になるので、売主は「契約」という法律上の原因なしに代金を所持していることになり、買主は支払った代金分の「損失」を被っていることになる。そこで買主は不当利得の制度に基づいて売主へ代金の返還を請求できる。もちろん、売主の方も不当利得制度によってカメラを返還するように請求できる。これが不当利得制度の想定する典型的な場面である。
[編集] 一般の不当利得
不当利得については民法第703条から第708条に規定があるが、そのうち原則的なことが書かれているのは703条と第704条である。そこでこれを一般不当利得と呼ぶことがある。これによれば、不当利得とは、法律上の原因なしに他人の財産又は労務により利益を受けている者(受益者という)から、これによって損失を被っている者に対して利得を返還させる制度であると規定されている。
法律上の原因がないのに利益を受けていることについて知らなかった者(善意の受益者)は利益の存する限度(現存利益)でその利得を返還しなくてはならない(不当利得に基づく返還請求は原則として全額の返還であるとする考え方からすれば、「善意者は現存利益の返還のみで足りる」と言う方が正確である)。これは、問題となっている利得が自己に帰属していると信じていた場合、その信頼を保護する必要があると考えられるためである。
一方、不当利得であると知りながら利益を得ていた者(悪意の受益者)は受けた利益に法定利息をつけて返還する必要があり、場合によっては損害賠償責任(これは不法行為に基づく損害賠償請求であるとされている)をも負うことになる。これは、悪意の受益者は当該利益を保持することができる法律上の原因が自己にないことを知っている以上、利得を返還することまでを計算に入れておくべきであるから、他人の財産を管理するのと同等の注意を持って当該利得を管理することが義務付けられることに由来する。
[編集] 解釈論の変遷
[編集] かつての通説
初め、ドイツ民法学の影響を受けた日本の民法学者(我妻栄など)は、公平の理念を基礎に不当利得制度を統一的に捉えようとしてきた。つまり、不当利得とは、形式的には問題のない財産的価値(財貨)の移転が実質的観点から正当化できない場合に生じる矛盾を公平の理念に従って調整するものと考えたのである。これを公平(衡平)説という。この公平説は通説となった。
しかし、公平という概念が曖昧でありここの場面では用をなさないという批判が大きくなった。また、公平説がドイツの法制度を基礎とするからこそ意味を持つ理論であることが指摘された。すなわち、物権行為をその原因関係と切り離して考える(「物権行為の無因性」)ドイツ民法においては、物権変動(例えば、所有権の移転)の原因関係(例えば、売買契約)が取り消されても、物権変動の結果はこれとは無関係に存続し続けるために、公平の理念に基づく調整が必要とされる。しかし、物権行為の無因性を認めない日本の法制度においては、こうした調整を認める必要はない(原因関係が無効となれば、それによる物権変動も無効となる)。
以上のような批判を踏まえて、次第に不当利得が適用される場面の類型に応じてその根拠や解釈論を定めるべきとの考え(「類型論」という)が多数説(あるいは、既に通説的地位を得ているとも言われる)となった。 多数説では、不当利得を給付利得、侵害利得、費用利得、及び求償利得の類型に分けて考える(ただし、費用利得と求償利得をまとめて「支出利得」として整理する場合も多い)。
[編集] 給付利得の類型
給付利得とは、一見有効な契約など(表見的法律関係、という)によって財貨が移転したものの、後に契約が無効とされたり、取消されたり、または解除されたりした場合にこれの返還を求めるという類型である。上述したような不当利得の典型的場面がこれにあたる。
この類型においては、一度は有効なものとして扱われた契約などの法律関係に基づいて財貨が移動しており、これを不当利得によって逆行させることが行われる(お互いが、お互いから受け取ったものを返す)。そこでは元の契約の趣旨や、同時履行の抗弁権、危険負担の規定が適用される。
[編集] 侵害利得の類型
侵害利得とは、外形的にも有効な契約などがないのに相手の権利を侵害して利益を受けている者がいる場合にそこで得られた利益の返還を求める類型である。他人の土地に勝手に家を建てて住んでいる者に対して賃料相当額を請求するような場合がこれにあたる(いわゆる不法占拠もこれに該当する)。これは、物権的請求権に類似しているといえる。
[編集] 要件
一般にいって、「受益」(他人の財産または労務により利益を受けること)と「損失」(他人に損失を及ぼしたこと)が発生し、その両者に「因果関係」があって、利得について「法律上の原因がない」ことが不当利得の要件である。
[編集] 給付利得
給付利得の類型においては、財貨の給付を受けたことが受益で、財貨を給付したことが損失である。例えば、売買契約で買主が売主に代金を支払った後に契約が無効であるとされた場合、売主が代金を受け取ったことが受益にあたり、買主が代金を支払ったことが損失にあたる。そして両者の因果関係は、受益と損失が表裏一体であるのであまり問題とならない(当然に因果関係があると認められる)。
次に「法律上の原因がないこと」というのは、給付利得の場合、一見有効だった契約などの法律関係が実は無効であったなどの理由により存在しなかったということを意味する。
[編集] 侵害利得
侵害利得の類型においては、権限なく他人の財貨を利用して得た利益が受益である。一方、勝手に自己の財貨を利用されたことによって被った損害が「損失」であるが、その実態は不明確であり、侵害利得の場合において「損失」の要件はあまり重視されない。因果関係については、受益と損失の間に「直接の因果関係」がなくてはならないという判決例がある。例えば、A(受益者)がB(損失を受けた者)から金をだまし取った場合には「直接の因果関係」があるが、Aの友人ZがBから金をだまし取ってAにプレゼントした場合には「直接の因果関係」はないとされる。とは言うものの、後者のような事例でも不当利得返還請求を認めた判決もあるため、結局ここでいう因果関係は「不当利得返還請求を認めた方が良いような因果関係」という同義反復的なものでしかない。
そこで重要になるのが「法律上の原因がない」という要件である。侵害利得の場合、契約などの法律関係がないにも関わらず、権限のないものに財貨を移転したことが「法律上の原因がない」ということである。
[編集] 特殊の不当利得
民法は一般不当利得の他に第705条から第708条にも不当利得の規定をおいている。これらを総称して特殊の不当利得という。具体的には以下のものがある。
- 非債弁済(ひさいべんさい、第705条)
- 期限前の弁済(第706条)
- 支払期日がきていないのに支払ったような場合、これの返還を請求することはできない。債務は有効に負担していたのであるから、支払を受けても期限の利益を放棄したにすぎず、厳密には不当利得には当たらないからである。利息相当分が不当利得になりうるが、自ら支払ったのであるから、錯誤により給付した場合に限って返還を求めることができる。
- 他人の債務の弁済(第707条)
- 不法原因給付(ふほうげんいんきゅうふ、第708条)
- 麻薬の売買契約や、殺人の請負契約、妾契約などは公序良俗に違反する契約であるから無効である(第90条)。とすれば不当利得の問題になりそうだが、このような「不法の原因」のためにされた給付は、たとえ一般不当利得の要件を満たしていても返還請求ができない。
- 例えば麻薬売買契約で前金を渡していた場合、契約は公序良俗違反で無効となるが、その前金を不当利得によって返還請求することはできない。
- 闇金融が貸し付けた金銭も、出資法に違反する利息を収受するという犯罪行為を目的として交付された金銭に過ぎないから、これも不法原因給付に当たる。よって闇金融は、出資法違反の利息を請求することができないのはもちろん(貸金業規制法42条の2)、貸付元本の返還請求もできない。
- 裁判所は不法な請求には関与しないというクリーン・ハンズの法理(法廷に出てくる者は「きれいな手」でなければならない、というイギリスの法理)が根底にある。
- 不法原因「給付」があったというためには給付は履行の余地を残さない終局的なものでなければならない。たとえば愛人関係の存続を目的にした登記済不動産の贈与においては、引き渡しを済ませたというだけでは足りず、登記名義までをも受贈者に移転しなければならない。これは(1)履行の中途での後戻りを認めることにより不法な行為を抑止すると共に、(2)受益者が逆に給付の完成を期すため国に助力を求めることを防止するためである。