錯誤
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錯誤(さくご)とは、一般的には、人の主観的な認識と客観的な事実との間に齟齬を生じている状態のことをいう。
民法においては、伝統的理解によると内心的効果意思と表示行為から推測される意思との不一致をいう。
刑法においては、主観的認識と客観的に生じた事実との不一致をいう。これは犯罪事実に関する「事実の錯誤」と自分の行為が法的に許されているか否かに関する「違法性の錯誤」に分類される。
目次 |
[編集] 民法上の錯誤
民法における錯誤とは、伝統的には内心的効果意思と表示行為(から推測される意思)の食い違いをいう(両者の意義については意思表示の記事を参照)。それらに食い違いがあり、かつその食い違いが意思表示の重要な部分についてである場合、意思表示をした者がよほどの不注意(重過失)によって錯誤に陥ったのでなければ、その意思表示は無効とされる(b:民法第95条)。こうして意思表示をした者を保護するのが錯誤の制度である。
[編集] 条文
第95条(錯誤) 意思表示は、法律行為の要素に錯誤があったときは、無効とする。ただし、表意者に重大な過失があったときは、表意者は、自らその無効を主張することができない。
[編集] 態様
錯誤の典型とされてきたのが「表示上の錯誤」と「内容の錯誤」である(併せて表示錯誤という)。
表示上の錯誤とは、誤記や誤談のことである。例えば契約書の購入代金の欄に「100万円」と記入しようと思ったが、うっかり「100万ドル」と書いてしまった場合が表示上の錯誤にあたる。ここでは100万円と記入しようという考えが内心的効果意思で、100万ドルと書いてしまったことが表示行為である。
内容の錯誤は、契約書の購入代金の欄に「100万円」と書くべきだったのに円とドルは同じ価値だと誤解していたため「100万ドル」と書いてしまった場合がその例である。どちらの場合も表示と効果意思との間に齟齬がある。そしてその錯誤があることを知っていればそんな意思表示はしなかったし一般人もそうしないだろうというほどの食い違い、つまり要素の錯誤にあたり、かつ意思表示をした者(ここでは金額を書込んだ者)に非常な落ち度(重過失)がなければその意思表示は無効となり、契約も無効となる(上記設例では重過失が認定される可能性が高い)。
これに対して動機から効果意思に至る過程において、錯誤が生じることを「動機の錯誤」という。例えば、値上がりを期待してある土地を購入したが、結局値は上がらなかったという場合である。しかし伝統的な通説と判決例によれば、動機の錯誤は民法95条にいう錯誤にあたらず、意思表示(とそれに基づく契約)を無効にすることはできない、と解されている。なぜならそこでは「値上がりするだろうから買おう」という動機と表示した意思(その土地を買います、という意思表示)には食い違いがあるけれども、動機はともかく「その土地を買おう」という内心的効果意思に基づいて「その土地を買います」という意思表示をしたのであって、そこに考えとの齟齬はないと考えるからである。この考えは、動機は表示されないから動機の錯誤を問題にするのは取引の安全を害するという価値判断に基づいている。
ところが現実に問題となるのは「動機の錯誤」の事例が多い。そこでそのすべてを「動機の錯誤に過ぎない」としてしまうことは不当であると考えられたため、動機の内容が表示されていれば動機の錯誤であっても民法95条の適用を認める、というのが伝統的通説と判決例の考え方である。この考えの根底には表示がされていれば取引の安全を害することもないので、錯誤を認めてもよいという判断ある。上記の例でいえば、契約書や契約交渉段階において「値上がりを目的に買う」という動機が示されていれば民法上の錯誤として意思表示が無効となる余地が出てくることになる。
しかし、動機の錯誤とそれ以外の錯誤(特に内容の錯誤)の違いは紙一重である。例えば、円とドルが同じ価値だと誤解していた場合は内容の錯誤であって民法95条により無効となるが、円とドルの為替レートが同じだと誤解していた場合は動機の錯誤になるという。また、東京都世田谷区の土地を買うつもりでいたが北海道江別市世田谷の土地を買ってしまったという場合、二つの「世田谷」が同じ物だと勘違いしていた場合のことを同一性の錯誤というが、これは民法95条に依って無効とされる錯誤である。しかし、土地のある場所は違っても「その土地を買う」という意思(内心的効果意思)はあるので動機の錯誤に過ぎないともいえる。このように伝統的通説では区別が困難であると批判される。また、動機は原則として表示されないから動機の錯誤を問題にすると取引の安全を害するというが、内心的効果意思も表示されていないのだから両者を区別するいわれはないという批判もある。さらに、錯誤の制度を外観に対する信頼を保護して取引の安全を図るための制度であると捉え直し、相手方の主観的な事情を考慮すべきであるとの主張もなされた(こうした態度を表示主義という)。
このように、意思表示を細かに分析するドイツ民法的なアプローチをとる伝統的通説それ自体を批判して新たな説が提唱された。そこでは動機の錯誤を民法95条の錯誤から除外せず、表意者が錯誤に陥っていることについて相手方が知っているか知ることができた場合で、錯誤が要素の錯誤(後述)にあたるならば民法95条による無効を認めるべきとの見解が学会の多数説になっている。
[編集] 要素の錯誤
問題となっている「食い違い」が上述したような表示上の錯誤もしくは内容の錯誤または内容が表示された動機の錯誤であれば、意思表示が無効となる余地がある。「無効」にするためにはさらにその「食い違い」の内容が「要素の錯誤」にあたるといえなければならない。要素の錯誤とは、その食い違いを認識していればそんな意思表示はしなかったし、一般人もしないであろうという程度の「食い違い」をいう。
[編集] 関連項目
[編集] 刑法上の錯誤
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刑法上の錯誤とは、行為者の表象と、現実に存在し発生したところとの間に、不一致が生じていることをいう。この場合にどのような基準で故意を認めるかについて議論がある。刑法上の錯誤には、大きく分けて、事実の錯誤と法律の錯誤(違法性の錯誤)がある。
事実の錯誤とは、行為者の表象していた内容と、客観的に生起した事実との間に不一致がある場合をいう。
法律の錯誤(違法性の錯誤)とは、行為の違法性を基礎づける事実の認識については錯誤はないが、行為が法律上許されないことについて錯誤がある場合(違法性の意識が欠ける場合)をいう。
[編集] 事実の錯誤
事実の錯誤は、構成要件に関する事実の錯誤と違法性に関する事実の錯誤に分けられる。刑法総論で述べられる通説的刑法理論によれば、構成要件に関する事実の錯誤は構成要件的故意の成否についての議論であり、違法性に関する事実の錯誤(誤想防衛等)は責任故意の成否についての議論である。
[編集] 構成要件に関する事実の錯誤
[編集] 構成要件に関する事実の錯誤の分類
構成要件に関する事実の錯誤は、同一構成要件内の事実の錯誤と異なる構成要件間の事実の錯誤に分類され、同一構成要件内の事実の錯誤はさらに以下のように分類される。
[編集] 同一構成要件内の事実の錯誤
客観的事実と認識の食い違いが同一の構成要件の範囲内である場合。(具体的事実の錯誤とも呼ばれる)
例 殺人罪に関する意思を持ち、客観的にも殺人罪にあたる行為を行った場合
同一構成要件内の事実の錯誤は、客体の錯誤・因果関係の錯誤・方法の錯誤(打撃の錯誤)に分類される。
[編集] =客体の錯誤=
攻撃の客体の同一性を誤認した場合
- 例 Aは暗がりにいるBを殺そうと思い銃撃したが、実は別人のCであり、Cが死んだ。
[編集] =因果関係の錯誤=
行為者が表象していたところと異なった因果経路をたどって予期の結果が発生した場合
- 例1 1つの行為による場合。
- AがBにナイフで襲いかかったが、Bがとっさに横に避けたためナイフは刺さらなかった。しかし、急に横に避けたため、通りかかった車に衝突して死亡した。
- 例2 2つの行為による場合。(ウェーバーの概括的故意の事例)
- AがBにナイフで襲いかかってBを殺し、これを砂浜に捨ててきた。だが実はこのときBは驚いて気を失っただけで命の危険はなかった。しかし砂浜の砂を吸い込んで窒息死した。
[編集] =方法の錯誤(打撃の錯誤)=
攻撃の結果が、意図していた客体とは別の客体に生じた場合
- 例 AはBを殺そうと銃撃したが、弾がそれて隣にいたCを撃ち殺してしまった。
[編集] 異なる構成要件間の事実の錯誤
客観的事実と認識の食い違いが異なる構成要件にわたる場合。(抽象的事実の錯誤とも呼ばれる)
- 例1 器物損壊罪についての認識・意思を持ち、客観的には傷害罪にあたる行為を行った場合
- Aはイライラして、店頭にあったマネキン人形にバットで殴りかかったが、実はBという人間であり、Bは負傷した。
- 例2 傷害罪についての認識・意思を持ち、客観的には器物損壊罪にあたる行為を行った場合。
- AはバットでBの足に殴りかかったが、実はCが所有するマネキン人形であり、マネキン人形が壊れた。
- 例3 窃盗罪についての認識・意思を持ち、客観的には占有離脱物横領罪にあたる行為を行った場合。
- Aは公園のベンチで隣のBの足元にBの荷物があり、Bが読書に夢中になっているすきに、荷物を持ち帰ったが、実はこの荷物は数日前に誰かが忘れていった落し物であった。
- 例4 占有離脱物横領罪についての認識・意思を持ち、客観的には窃盗罪にあたる行為を行った場合。
- Aは公園のベンチに風雨にさらされたような古びた誰かの忘れ物を持ち帰ったが、実は持ち主であるBがたまたまトイレに行っていて数分間現場を離れていただけであった。
なお、異なる構成要件間の錯誤でも、理論的には客体の錯誤や方法の錯誤に分類することは可能である。
- 客体の錯誤 前述のマネキンを壊そうとしたが実は人だったという例。
- 方法の錯誤 AはBを殺そうと銃撃したが、弾がそれて隣にいたCの飼い犬を撃ち殺してしまった。
[編集] 錯誤学説
これらの錯誤の諸事例について、修正された法定的符合説と具体的符合説と抽象的符合説がある。
判例・通説は、修正された法定的符合説である。(ただし、修正された法定的符合説のことを単に法定的符合説と呼ぶこともある)
[編集] 法定的符合説
法定構成要件の範囲で事実と表象の符合があれば足りるとする説である。 具体的には、
同一構成要件内の具体的事実の錯誤は、故意を阻却しない とする。 なぜなら、故意とは、犯罪事実を表象し、規範に直面し反対動機を形成できたにもかかわらず、 これを認容する積極的反規範的人格態度であるから、故意が阻却されるか否かは、規範に直面していたか否かによって決すべきであり、構成要件は当罰的な行為を抽象化・類型化したものであり、犯罪事実を誤認していても、それが同一構成要件の範囲にあれば、当該類型化された犯罪行為をしてはならないという同一規範に直面していたといえるから とする。違法性に関する通説である行為無価値論結果無価値論二元説(折衷説)によれば、行為者は少なくとも人を殺してはいけないという規範に直面し、反対動機(やっぱり止めようという考え)の形成が可能であったのにあえて行為を行った以上、故意を認めるべき とされるのである。
異なった構成要件間にわたる抽象的事実の錯誤は、故意を阻却する とする。 なぜなら、行為者は規範に直面していなかったから とする。
[編集] 修正された法定的符合説(判例・通説)
法定的符合説を前提としつつ、ただ、同質で重なり合う構成要件間の錯誤は、重なり合う限度で軽い罪の故意が成立する とする。なぜなら、罪質が重なり合う限度で規範に直面していたといえるからである。
そこで、この修正された法定的符合説を前提に、構成要件の重なり合い の有無の判断基準が問題となるが、「保護法益の共通性と、行為態様の共通性」の観点から考えるとする説が有力である。
そして具体的には例えば、殺人罪と傷害罪/殺人罪と同意殺人罪と自殺幇助罪/強盗罪と恐喝罪と窃盗罪と占有離脱物横領罪/一項詐欺罪と二項詐欺罪/横領罪と業務上横領罪 では重なり合い(包摂関係)が認められるとされる。ただ、一般に傷害罪と器物損壊罪の間では重なり合い(包摂関係)は認められないとされる。したがって、傷害のつもりで器物を損壊した場合には、器物損壊罪の故意は成立しないとされる。器物損壊(軽い罪)のつもりで客観的に傷害罪や殺人(重い罪)の結果を生じた場合に、傷害罪や殺人罪の故意は成立しないとするのはもちろんのこと、器物損壊罪の故意も成立しないとする。したがって、この場合器物損壊罪(上限懲役3年)は成立せず、過失致死罪(上限罰金50万円)や過失致傷罪(上限罰金30万円)が成立しうるにとどまる。この点で、抽象的符合説と異なる。
他方、例えば、覚せい剤を輸入する意図でヘロインなどの麻薬を輸入した場合を考えると、行為者は覚せい剤取締法違反(覚せい剤輸入罪)を意図しつつ、麻薬及び向精神薬取締法違反(麻薬輸入罪)を犯している。よって覚せい剤輸入罪の認識はあるが事実がないためこれによって罰することはできず、麻薬輸入罪の事実はあるが認識がない(故意がない)ためこちらでも罰することができないように思われる。しかし最高裁は、この二つの法律は取り締まりの目的が同一で取り締まりの方法も類似しており、覚せい剤も麻薬も有害性や外形が似ているため、両罪の構成要件は実質的に重なり合っているとして麻薬輸入罪の故意を認めた。 どのようなときに異なる構成要件間に重なり合いがあるのかの判断は、上記の最高裁の判断のように、その二つの罪の質的な同一性に求められ、実質的に判断される。
[編集] 具体的符合説
現実に発生したところと、表象したところが自然主義的にみて具体的に符合していることを要する とする。
具体的には、具体的事実の錯誤について、客体の錯誤・因果関係の錯誤については故意を認めるが、方法の錯誤については故意阻却する とする。しかし、あまりに故意の成立範囲を狭め、法益保護機能を果たすことができない と批判される。また、実際上、両者の区別が困難な場合もある と批判される。 この説での抽象的事実の錯誤の扱いについては言及されることが少ないが、一般に故意を否定するものと考えられる。
[編集] 抽象的符合説
異なる構成要件の間でも、少なくとも軽いものについては、抽象的な符合が認められれば足りる とする。
具体的事実の錯誤の場合に故意を認めることはもちろん、抽象的事実の錯誤の場合で、器物損壊の認識・意思で人を負傷・死亡させたときは、器物損壊罪の故意が成立するとして、器物損壊罪が成立する とする。(客観面では人を負傷させたり死亡させる行為は器物損壊の行為を含むとする) しかし、この場合には過失犯として軽く処罰すれば十分との批判がある。
[編集] 留意点
[編集] 客観面での犯罪性
錯誤論で故意を議論するうえでは、犯罪として客観的構成要件要素が満たされていることが大前提となる。したがって、例えば、人がいると思って拳銃を撃ったが、実は犬だったという場合、まず、客観面で殺人罪の実行行為があるかは実行行為に関する危険説(具体的危険説)で判定されるし、客観面で器物損壊罪の構成要件要素が満たされるかについては器物損壊罪は「他人の物」への犯罪であるから目的物が他人の所有物であることが必要である。(野良犬であれば無主物であり、他人の物にあたらない)
[編集] 未必の故意
錯誤の問題とする以前に、未必の故意が認定できる場合がある。
[編集] 小さい罪を犯す意思
小さい罪を犯す意思(認識・認容)で客観的に大きい罪を犯した場合(例 占有離脱物横領のつもりで窃盗にあたる行為)に、小さい罪の故意があることも錯誤論の問題である。(なお、この場合占有離脱物横領罪が成立することを論じるうえでは、客観面で窃盗行為は占有離脱物横領行為を含むことに言及されるのが望ましい。)
[編集] 故意の数
AがBを狙って拳銃で撃ったところ、弾がBを貫通して、たまたま後ろにいたCにも当たり、Bが負傷しCが死亡した という場合、Bに対する故意とCに対する故意を認めるのが判例及び有力説である。
AがBを狙って拳銃で撃ったところ、Bには当たらなかったが、たまたま横にいたCに当たり、Cが死亡した という場合、判例は錯誤論を経てCに対する故意だけを認めるが、有力学説はBに対する故意とCに対する故意を認める。
(実行行為の数についても同様の議論がある)
このように、1人を殺すという1つの意思から複数の故意を認めることについては、故意の創設にあたるとの批判もあるが、意思は事実であり故意はそれを法的に評価した結果であって、1つの事実に複数の法的評価が成立しうることには問題はない。
[編集] 因果関係の錯誤
因果関係の錯誤の場合は、錯誤の問題とする前に、客観的要素としての因果関係の成否が問題となることが多い。
[編集] 因果関係の錯誤での故意
因果関係の錯誤の場合、客観的に結果との因果関係(条件関係と相当因果関係)が存在しないなら、錯誤論において故意は成立しない とする説が有力である。因果関係がない場合、構成要件の範囲を逸脱し構成要件の範囲内での符合がないからである。ただし、この場合でも、未遂罪としての故意は成立しうることに注意を要する。
[編集] ウェーバーの概括的故意
因果関係の錯誤の事例で2つの行為があった事例では、どの行為と結果の間の因果関係を検討すべきかの問題がある。これについては、第一の行為と結果の因果関係がないから未遂罪の故意にすぎないとするのではなく、第一の行為と第二の行為を一体(一連の行為)としてとらえて一連の行為と結果の間の因果関係があれば既遂罪の故意が認められるとするのが判例・通説である。この場合の故意をウェーバーの概括的故意という。
[編集] 違法性に関する事実の錯誤(違法性阻却事由の錯誤:誤想防衛)
違法性に関する事実の錯誤ないし違法性阻却事由の錯誤とは、その名の通り、自分の行為には違法性阻却事由があるため違法ではないと勘違いしていた場合をいう。違法性阻却事由とは、通常なら違法とされる行為でもこれを備えていれば例外的に違法とはされず、犯罪として処罰されないという条件のことをいう。典型的には正当防衛や緊急避難の事である。つまり、ある人を殴ってもそれが自分の生命を守るためにされた正当防衛であるならば暴行罪は成立しない、という場合の正当防衛が違法性阻却事由にあたる。この違法性阻却事由がないのにあると勘違いして行動した場合が違法性阻却事由の錯誤であるが、これを事実の錯誤と考えるのか、違法性の錯誤と考えるのかについては争いがある。まずはこれが問題となる事例を挙げる。
- Aが道を歩いていたところ、向かいから歩いてくるBが突然手を振り上げた。Aは襲われたと思って反撃し、Bの顔面を殴りつけた。しかしBはたまたまAの後ろを歩いていた友人に手を振っただけで、Aが襲われたわけではなかった。
Aの行為は暴行罪の構成要件にあてはまる。事実BがAに襲いかかってきたのだとしたら、その行為は自己を守るための正当防衛であり、違法性が阻却され、犯罪は成立しない。しかし現実には正当防衛になるような状況がなかった(正当防衛を規定した刑法36条1項にいう「急迫不正の侵害」がなかった)のであるから正当防衛にはなり得ないと解するのが一般である(藤木説、川端説、井田説のように行為無価値一元論の立場から正当防衛とする見解もある)。ただAが正当防衛の要件があるという誤った想像をしていただけなのである。これを誤想防衛といい、違法性阻却事由の錯誤における典型例である。
誤想防衛では自分の行為が違法であると認識するための事実について勘違いがある。上記の例でいけば正当防衛の要件である「急迫不正の侵害」という事実があると誤認している。これは違法性に関する事実の錯誤であって前述した事実の錯誤に他ならず、違法性はあるが故意を阻却し、犯罪は成立しないと考えるのが通説である。ただしここでいう故意とは責任の段階における故意(責任故意)であり、ここでいわれる錯誤も構成要件に関する事実の錯誤で展開された複雑な錯誤論とは異なる単純なものである。つまり、責任故意においては違法性に関する事実の表象が要件とされ、違法性に関する事実の錯誤がある場合にはこの要件が欠けるため責任故意が阻却されるにすぎない。
これに対して誤想防衛においては構成要件的事実の認識はあり、ただ単に自己の行為が違法であるかどうかという評価を誤っただけなのであるから違法性の錯誤(法律の錯誤)の問題であると考える立場もある。これは前述した厳格責任説を採る論者の立場から主張されている。厳格責任説を採るこの論者は責任故意の概念を認めず、責任能力と期待可能性の他には違法性の意識(の可能性)のみが責任要素を構成すると考えるので、故意といった場合には構成要件段階における故意(構成要件的故意)のみを指すとする。そして構成要件に該当する事実(殺人罪なら「人を殺す」ことであり、窃盗罪なら「他人の物を盗む」ということ)を認識している以上構成要件的故意が認められ、責任段階での責任故意を否定するので、違法性阻却事由に関する事実の錯誤は故意を阻却せず、違法性の錯誤の問題にすぎないという結論になる。
誤想防衛には3つのパターンがある。
- 「急迫不正の侵害」がないのにあると思い込み、相当な手段で反撃した場合。
- 「急迫不正の侵害」がないのにあると思い込み、相当な手段で反撃したと思ったが実は過剰な手段であった場合。(有名な「勘違い騎士道事件」がこれに該当する)
- 「急迫不正の侵害」がないのにあると思い込み、過剰な手段で反撃した場合。
これを具体的に考えると、以下のようになる。
- 木の杖で襲われたと思い込み、その場にあった木の棒をとっさにつかんで反撃した。
- 木の杖で襲われたと思い込み、その場にあった木の棒をとっさにつかんで反撃したつもりだったが、実際につかんだのは斧だった。
- 木の杖で襲われたと思い込み、その場にあった斧を斧であると承知した上で反撃した。
1は誤想防衛、2と3は誤想過剰防衛と呼ばれ、特に2は「急迫不正の侵害があった」ということと「反撃手段が相当である」ということの2つについて事実誤認があるため二重の誤想防衛と呼ばれる。 誤想過剰防衛については、結論としては、過剰性について認識があった場合には過剰防衛とし、過剰性について認識がなかった場合には誤想防衛とする説が有力である。
[編集] 法律の錯誤(違法性の錯誤)
違法性の錯誤とは、発生した違法な事実については認識があり認識通りの結果が発生しているが、自分の行為は「違法ではない」と思い込んでいた場合である。これには法の不知とあてはめの錯誤という二つの類型がある。以下、具体例を挙げて説明する。
- 大麻を所持することが一定の条件の下において合法とされている国に育ったAが、出身国で合法的に大麻を入手し、それをもったまま日本へ入国した。Aは日本において大麻を所持することが処罰の対象になるということを知らなかった。
- Aは自転車を盗まれて悲嘆にくれていたところ、数日後に自分の自転車がBの家のガレージにおいてあるのを発見した。Aはその自転車をガレージから出して、自分の家に持ち帰った。
前者のAは大麻の所持を禁止する法律の存在それ自体を知らなかった。これが法の不知による違法性の錯誤である。一方、後者のAの行為は通常ならば窃盗罪にあたるが、Aとしては自分の自転車を持ち帰って何が悪い、違法な行為であるはずがないと考えていた。しかし現在の通説や判決例では窃盗罪が成立してしまう可能性が高い。つまりAは違法なことをしているのにその自分の行為について「違法ではない」という誤った評価を下してしまっている。これがあてはめの錯誤である。現行解釈では、司法の判断に待つべきであるところを自分の判断にて行なう「自救行為」として処罰の対象となる。
法律の錯誤(違法性の錯誤)の場合、すなわち違法性の意識が欠ける場合に故意(責任故意)ないし責任が阻却されるか、38条3項に関連して争いがある。
この問題の前提として、まず、これを故意(責任故意)の問題とするか、故意以外の責任要素の問題とするかの争いがあり、故意説は故意(責任故意)の問題とする。これに対して、責任説は故意犯と過失犯に共通する問題として故意(責任故意)以外の責任要素の問題とする。
そのうえで、通説である制限故意説は、故意(責任故意)の問題としつつ、違法性の意識は責任故意の要件ではなく、ただ違法性の意識の可能性は責任故意の要件とする。責任主義の見地からは違法性の意識を要件とすべきだが、他方で確信犯の処罰の必要性からは違法性の意識を要件とすべきではなく、違法性の意識の可能性があれば人格形成における反規範的人格態度を認めうる点で違法性の意識がある場合と同質といえるからである。
これに対して、厳格故意説は、故意(責任故意)の問題とする点では同じであるが、違法性の意識は責任故意の要件であるとする。
他方、制限責任説は、故意以外の責任要素の問題としつつ、その責任要素として違法性の意識は要件でなく、ただ違法性の意識の可能性は要件とする。
厳格責任説は、故意以外の責任要素の問題とする点では同じであるが、その責任要素として、違法性の意識は要件であるとする。
判例は、違法性の意識の可能性に言及することなく、ただ違法性の意識は不要としている。
そして、制限故意説によれば、38条3項の解釈は、本文の「法律を知らなかった…」とは「違法性の意識を欠くこと」ではなく、「法律の規定を知らないこと」を意味し、法律の規定を知らないだけでは責任故意は阻却されないことを意味するとされ、但書の「情状により…」は、違法性の意識を欠いたが、その可能性があったとき、責任故意は阻却されないが、刑を減軽し得る旨定めたもの とされる。
結局、制限故意説によれば、違法性の意識を欠き違法性の意識の可能性もなかったときは、責任故意は阻却されるが、違法性の意識を欠きつつも違法性の意識の可能性があったときは、責任故意は阻却されない。ただし、違法性の意識の可能性があっても、それが困難であったときは責任が減少し、刑を減軽し得る。(38条3項但書) 違法性の意識があったときは責任故意は阻却されない。法律の規定を知らないだけでは、責任故意は阻却されない という意味になる。