両シチリア王国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
両シチリア王国(Regno delle Due Sicilie)は、ナポレオンの没落後の1816年に復位した、ブルボン家のナポリ王フェルディナンド4世が南イタリアに興した王国の名前である。 ノルマン・シチリア王国や、両シチリア王国建国前でシチリア王国とナポリ王国が同一王権下にあった場合なども、両シチリア王国と呼ぶ場合もある。
目次 |
[編集] 歴史
フランス革命の初期の1789年と続くナポレオン戦争の間、ブルボン王家は同じ領地を支配した。しかし、その結果「ナポリ王国」と「シチリア王国」に分裂した。
ナポリ王国について見てみると、最初の問題はナポレオンと共に1799年1月23日に始まり、フランス軍がナポリに侵入してナポリ共和国が成立した。フェルディナンド4世はシチリアに退避した。1799年6月19日、ルッフォ枢機卿がフランス軍を叩き、ブルボン朝を復興してナポリ共和国は滅亡した。1805年、フランス軍はナポリを占領、フェルディナンド4世はパレルモにまた避難し、1806年3月30日にナポレオンの兄ジュゼッペ(ジョゼフ・ボナパルト)がナポリ王になった。1808年7月15日にはジュゼッペに代わって、ナポレオンの妹カロリーヌの婿ミュラがナポリ王となるが、ミュラは1815年5月20日にナポリを見捨て、5月23日にはフェルディナンド4世の息子レオポルドがシチリアからナポリに帰還、6月17日にはフェルディナンド4世も戻った。
1816年12月8日フェルディナンド4世はナポリとシチリアの二つの王国を両シチリア王国の名の下に合併させた。それとともにナポリ王フェルディナンド4世、シチリア王フェルディナンド3世の称号を改め、両シチリア王フェルディナンド1世と称した。フェルディナンド1世の在位は1816年から1825年まで続き、カンパニア、カラブリア, プッリャ、 アブルッツォ、 モリーゼ、 バジリカータ、シチリアを支配した。
両シチリア王国は1860年、リソルジメント最終局面でジュゼッペ・ガリバルディ率いる軍勢の侵攻を受け、ガリバルディが占領地をサヴォイア家に献上してフランチェスコ2世が廃位されるまで続いた。
[編集] 歴代君主
[編集] ナポリ王国
- カルロ・ディ・ボルボーネ (Carlo di Borbone, 1734-1759)
- フェルディナンド4世 (Ferdinando IV di Borbone, 1759-1816)
- ジュゼッペ・ナポレオーネ・ボナパルテ (Giuseppe Napoleone Bonaparte, 1806-1808)
- ジョアッキーノ・ナポレオーネ・ミュラ (Gioacchino Napoleone Murat, 1808-1815)
[編集] トスカーナの保護国(Stato dei Presidi di Toscana)
- フェルディナンド4世 1759-1816
[編集] シチリア王国
- カルロ (Carlo di Borbone, 1734-1759)
- フェルディナンド3世 (Ferdinando III di Borbone, 1759-1816)
[編集] 両シチリア王国, 1816-1860
- 両シチリア王フェルディナンド1世 (Ferdinando I delle Due Sicilie, 1816-1825)
- 両シチリア王フランチェスコ1世 (Francesco I delle Due Sicilie, 1825-1830)
- 両シチリア王フェルディナンド2世 (Ferdinando II delle Due Sicilie, 1830-1859)
- 両シチリア王フランチェスコ2世 (Francesco II delle Due Sicilie, 1859-1860)
[編集] 関連項目
カテゴリ: イタリアの歴史 | 両シチリアの君主 | 歴史関連のスタブ項目