中山儀助
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中山 儀助(なかやま ぎすけ、1932年10月22日 - )は、政治家、農家。静岡県志太郡岡部町でみかんと茶の生産を手がける農業を営む。元岡部町議会議員。第3子(長男)の中山雅史はJ1ジュビロ磐田所属のプロサッカー選手。
[編集] 来歴
- 農家の長男として生まれ、家業を継ぐ。岡部町議会議員を3期12年務め、勇退後も岡部町の様々な役職を務める。
- 1993年、長男中山雅史がFIFAワールドカップアジア最終予選(いわゆるドーハの悲劇)で有名になると、父親の儀助も静岡弁丸出しで(いまだに)息子・雅史を「小僧」と呼ぶなどの飾らない言葉づかいや話し振り、人柄の良さがウケて一躍世間の注目を浴び、「ゴン父」の愛称で知られるようになる。
- 1995年に岡部町議会議員を勇退後は全国メディアへの露出は少なくなり、たまに静岡県や岡部町をPRする番組に登場する程度だが、地元静岡ローカルのTV・ラジオ番組に出演したり、講演会などで「ケ・セラ・セラ(なるようになるさ)」子育て論や、農業経営者としての実感を通した日本の農業や食の問題を語るなどの活動を行っている。