中村喜四郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
生年月日 | 1949年4月10日 |
---|---|
出生地 | 茨城県猿島郡 |
出身校 | 日本大学法学部 |
学位・資格 | 法学士 |
前職・院外役職(現在) | |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
|
世襲の有無 | 二世議員 |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
茨城7区 |
当選回数 | 10回 |
所属党派(現在) | 無所属 |
党役職(現在) | ‐ |
会館部屋番号 | |
ウェブサイト | 中村喜四郎オフィシャルサイト |
中村 喜四郎(なかむら きしろう、1949年4月10日 - )は、茨城県猿島郡出身の政治家。 両親共に参議院議員という政治一家。
目次 |
[編集] 人物
政界一ともいえる大のマスコミ嫌いで有名であり、講演会の会場やミニ集会や選挙の所信表明演説、選挙事務所内外でも全てシャットアウトするほどである(また、選挙当選時には、必ずマスコミ関係者は選挙事務所半径5メートル以内に近づけないようにしていた)。
建設大臣時代のゼネコン汚職事件に絡み、鹿島建設からの斡旋収賄罪容疑で国会の会期中に逮捕される。しかし、議員辞職はせず、その後の選挙でも強力な結束力をもつ後援会組織(喜友会)をバックにつけ、無所属で当選し続ける。裁判では懲役1年6月、追徴金一千万円の実刑判決となり、議員失職。仮釈放後の2005年の総選挙で無所属で立候補し、当選。
旧名「中村伸」(なかむら・しん)。初出馬の際、父の遺志を受け継ぐために父と同じ名に改名した。
山崎拓、加藤紘一、小泉純一郎(YKK)と並びNYKKと称され、盟友関係にあった。
本人は郵政民営化には賛成の意を示しており、また自民党への復党も希望しているが、自民党の本部、茨城県連ともこれを認めていない。
[編集] 後援会組織(喜友会)
田中角栄元首相秘書時代に後援会組織越山会の選挙戦術に感銘を受け、参議院議員だった父親から継承した後援会組織(喜友会)を改革した。
[編集] 略歴
- 1972年、日本大学法学部卒業。
- 1972年、田中角栄首相秘書。
- 1976年、父の後を継いで、旧茨城3区で自民党公認で衆議院議員に初当選。
- 1982年、建設政務次官(第一次中曽根内閣)に就任。
- 1983年、防衛政務次官(第二次中曽根内閣)に就任。
- 1986年、自民党建設部会長に就任。
- 1987年、衆議院建設委員長に就任。
- 1988年、経世会事務局長に就任。
- 1989年、科学技術庁長官(宇野内閣)に就任、自民党総務局長に就任。
- 1992年、建設大臣(宮沢内閣)に就任。
- 1994年、自民党を離党した後、東京地検特捜部に斡旋収賄罪で逮捕され、起訴される。
- 1996年、第41回衆議院議員総選挙小選挙区茨城7区で無所属で当選。
- 1997年、東京地方裁判所で実刑判決を受ける。
- 2000年、第42回衆議院議員総選挙小選挙区茨城7区で無所属で当選。
- 2001年、東京高等裁判所が控訴を棄却。
- 2003年、最高裁判所が上告を棄却し、実刑が確定し、収監
- 2004年、黒羽刑務所より仮釈放される。
- 2005年、第44回衆議院議員総選挙小選挙区茨城7区で無所属で当選。
[編集] 関連項目
- 自民県政クラブ
[編集] 外部リンク
|
|
|
|
|
|