中華航空機空中分解事故
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中華航空機空中分解事故(ちゅうかこうくうきくうちゅうぶんかいじこ)とは、2002年5月25日に台湾海峡で中正国際空港(現台湾桃園国際空港)から香港国際空港へ向かうボーイング747-200B(機体記号B-18255)が巡航中に空中分解し海上に墜落した航空事故である。乗員乗客に生存者がいないという大惨事になった。事故原因は日本航空123便墜落事故と同様に圧力隔壁の不完全な修理のために金属疲労により破壊が生じたというものであった。
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[編集] 事故の経過
2002年5月25日14時50分にターミナルビルを出発し、15時7分(以下、現地時間)に台湾の台北を離陸した中華航空611便は香港に16時28分に到着する予定で飛行していた。15時16分に航空管制に高度35,000フィートへの上昇を指示され、同機は35,000ftを維持する旨の応答をしたが、これが最後の通信となった。
事故発生までは全く順調に飛行しており、異常を感じさせる兆候はまったくなかった。コックピットボイスレコーダーには、クルーが鼻歌を歌うのが記録されていたほどだった。だが15時28分にレーダーから機体が大きく4つに分解して突如消失した。15時31分頃に台湾の西方約50Kmにある澎湖諸島の北東約18Km付近の台湾海峡に墜落していた。この事故で乗員19名、乗客206名のあわせて225名全員が犠牲になった。
機体残骸は午後6時10分に澎湖県馬公市の北方の海域で発見されたが、墜落現場から約100Km離れた事故機の飛行ルート下であった。台湾中部の彰化県秀水郷下崙村で乗客の持ち物とみられる名刺や航空券、そして機内誌などの物品が次々と落下しており住民によって回収されていた。
[編集] 事故調査
捜索隊は犠牲者162名の遺体と機体の85パーセントに相当する残骸を回収したが、いずれも爆発の痕跡もなく焼跡もなかったため、空中分解したものと断定された。
事故機のB-18255は、1979年に中華航空で新造機として就航から22年8ヶ月が経過しており、総飛行時間は64000時間を超えた経年機(老朽機)であった。翌月にタイの航空会社オリエント・タイ航空(Orient Thai Airlines)に145万USドルで売却することが決定しており、本来はすでに中華航空のフライトから外れていた。しかし、当日は同便に使用予定の機材が、急遽別の路線に転用されたため、売却整備中の事故機を臨時で使用することになり、これが中華航空での最後のフライトとなる予定だった。
事故原因であるが、2002年12月25日に台湾の行政院飛航安全委員会は機体後部の残骸から金属疲労の痕跡を発見したと発表した。事故機となったB-18255は以前起きた事故の修理が不完全であったため、圧力隔壁に歪みが生じ、最終的に金属疲労によって巡航飛行中に空中分解したものと判明した。
事故機は1980年2月7日に香港で離陸中に機体後部を地上に接触するしりもち事故を起こしていた。事故機は当日中に与圧システムを作動させないまま台湾へ飛行し、応急修理したあと5月にボーイング社で恒久的な修理が為されていた。この修理はアルミニウムの継ぎ板を取り付けていたが、緩く固定されたために充分な強度が得られていなかったというものであった。そのため日本航空123便墜落事故と同様な原因で起きたものと推測された。
尚、日本航空123便墜落事故のそれとは違い、乗務員は事故発生まで、全く異常を感じていなかった上に、事故後救難信号も発信されることなく墜落していることから、本当に突如空中分解して墜落したものとされている。(日本航空123便墜落事故では乗務員は墜落前から異常の兆候を感じ取っていた)