中馬弘毅
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生年月日 | 昭和11年(1936年)10月8日 |
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出生地 | 出生地:大阪市天王寺区 本籍地:宮崎県西都市 |
出身校 | 東京大学経済学部 |
学位・資格 | |
前職・院外役職(現在) | 住友重機械工業社員 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
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世襲の有無 | 世襲ではない (父は元大阪市長の中馬馨) |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
大阪1区 |
当選回数 | 9回 |
所属党派(現在) | 自由民主党(麻生派) |
党役職(現在) | 行政改革推進本部 |
会館部屋番号 | 衆・第一議員会館410号室 |
ウェブサイト | 中馬こうきオフィシャルウェブサイト |
中馬 弘毅(ちゅうま こうき、1936年10月8日 - )は日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(当選9回)。父親は大阪市長を務めた中馬馨。
[編集] 経歴
大阪市天王寺区に中馬馨の息子として生まれる(本籍地は宮崎県西都市)。大阪府立北野高等学校を経て、1961年に東京大学経済学部卒業。同年住友重機械工業入社 、1972年退社。1976年の第34回衆議院議員総選挙に新自由クラブから立候補して当選。以降、9期当選。新自由クラブ解党後には、河野洋平とともに自由民主党に入党。以降、一貫して河野の最側近として歩む。横山ノックが辞任した後の2000年の大阪府知事選挙において、自民党大阪府議連から立候補の要請を受けるが、これを拒否。保守系の有権者を落胆させた。小派閥出身のためか、近年の自由民主党では珍しく、9期の議員にもかかわらず閣僚の役職とは無縁であったが、2005年10月31日の第3次小泉改造内閣で、規制改革・行政改革担当大臣に任命される。この登用は、小泉純一郎が初めて出馬した1995年9月の自民党総裁選挙で、中馬が最後に推薦人に名を連ねたことにより、立候補に必要な要件を満たすことができた事に対する、"恩返し"と言われている。
2006年4月14日衆議院本会議にて永年在職25年議員として表彰。自民党遊技業振興議員連盟会長という通称朝鮮関連産業の要職にもついているが、神道議員連盟にも加入している。
[編集] 外部リンク
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