大阪府立北野高等学校
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大阪府立北野高等学校(おおさかふりつきたのこうとうがっこう)は、大阪市淀川区新北野にある府立高等学校。
大阪府立北野高等学校 | |
過去の名称 | 大阪府第一中学校 大阪府立北野中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大阪府 |
設立年月日 | 1873年 |
校訓 | 文武両道 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 2学期制 |
所在地 | 〒532-0025 |
大阪市淀川区新北野2-5-13 | |
電話番号 | 06-6303-5661 |
FAX番号 | 06-6303-3493 |
外部リンク | 公式サイト |
目次 |
[編集] 概要
1873年に大阪市東区(現在の中央区)に創立された「欧学校」を起源とし、以来、「大阪府第一中学」、「北野中」の伝統を汲む学校。第一学区(茨木市、吹田市、高槻市、島本町、摂津市、能勢町、豊能町、豊中市、箕面市、池田市、大阪市の一部)の高校。毎年多くの生徒が主要国公立大学に進学していた時期もあった。現在は有力私立校の躍進で最盛時ほどの勢いは無いが、それでも府立トップ校で全国公立高校中の中でも名前を連ねる。全日制の他に定時制が置かれているが、2004年度の募集を最後としたため4年制の定時制は基本的に2007年度が最終の年度となる。2003年に卒業生でもある建築家竹山聖の設計による、現在の新校舎が完成した。新校舎は、安藤忠雄の作品を彷彿させる打放しコンクリートの外観とは裏腹に、内部はコンクリート塗装とフローリングが中心の無機質なつくりで、とてもユニークな構造となっている。旧校舎の壁にあった米軍のグラマン戦闘機の機銃掃射の跡は現在でもその壁の一部が「メモリアルウォール」として保存され、記念碑が設けられている。校内には卒業生の桜研究の第一人者笹部新太郎氏が開発した笹部桜が植えられており、春には校門からの道を桜並木が彩る。校門前には旧制北野中学の頃のモニュメントがたたずむ。北端には高校では全国でも最大規模の図書館があり(図書室ではなく地上2階、地下1階の別館)、地上に約2万冊、地下の書庫に約4万5千冊の計7万冊近くの蔵書を誇り、戦前の蔵書も少なくない。1階部分は自習室となっており、放課後には生徒で一杯になる。また屋上には卒業生で人工衛星や南極望遠鏡の鏡を製作した石川勇氏が作った鏡面半径51㎝(高校では日本一)の望遠鏡が設置され、生徒は年に数回観察できる(SSの研究にも使用される)。 最寄り駅は阪急電車十三駅、JR塚本駅。
[編集] 教育方針
前後期制を採用。65分授業、隔週土曜授業を実施。年5回の定期考査と1,2学年には年3回長期休暇後の宿題考査がある。2002年度から、文部科学省からスーパーサイエンスハイスクールに指定され、理系教育の推進が図られている。8クラス中2クラスSSコースという形で設けられていて、入学後に希望者を募り、選抜を行う。数学は講義と演習という授業があり、演習の際は前後の黒板をフル活用し、始業ベル前に生徒が解答を書きそれを教師が添削するという授業体型がとられている。2002年に大阪府教育委員会からエル・ハイスクールに指定された。教師も本校卒業生が多く、大阪府もなるべく有能な教師を取り揃えている。数学科の授業が大変厳しい。文武両道を掲げ、体育科では縄跳び(しかも本当に縄であり、市販の縄とは全く違う種目になっている)、水泳、リフティング(2年男子のみ)において学年、性別によってそれぞれノルマが課せられ、達成できなかった場合は特別補講がある。また、水泳および持久走の授業を欠課した際は、理由が何であれドクターストップでない限り、休憩時間または放課後を利用しての自主補講が求められる(縄跳びなどと同様、長期休暇中でも関係なく行われる)。高校としては珍しい50mプールがあり、授業中ではプールを横に使い、25m×24コースで授業を行う。体育も最近になって少し見直され、実際のところそこまで厳しくはないのだが、生徒達の間では更にひどいありもしない噂が飛び交うのも本校の特徴である。文武両道の生徒が多いイメージがあるが、やはり進学校らしく「文」に偏った生徒も混在している。 校風は厳しくなく、髪染めやパーマ、ピアス、化粧は個人の自主性に任せられている。 校舎内は土足で良いが革靴は床が傷つくという理由で禁止である。
[編集] 進学指導
関西に位置するだけあって、東京大学合格者数は少ないが京都大学、大阪大学を始めとする近畿圏難関国公立大学への進学実績は公立校の中では大阪でもほぼ毎年トップである。 また、他の府立高校に比べて医学部への進学が多いのもこの学校の特徴の一つである。
[編集] 行事
- 遠足(5月)。クラスの親睦を深めるために年一回行われる。場所等はクラスごとに自由に計画する。
- 六稜祭(文化祭)(6月)。本来秋にあるべきが受験を考慮されこのクラスのまだなじんでいない時期に。そのため盛り上がりには欠ける。
- 水泳大会(9月)。プールの周りに集まる全校生徒の応援の中、全員が種目をこなす。一日の前半が授業、後半が水泳大会という構成で2日かけて行われる。
- 体育大会(10月)。体育科の一授業として行われる。まず入学した際に体育祭ではないと強調される。これはどんちゃん騒ぎをする「お祭り」ではないという理念があるためである。始まりの入場行進および体操は伝統があり、直前2週間ほどのすべての体育授業で行進練習、体操練習を行う。その為行進はレベルが高く、この行進を見るためにわざわざ早朝から足を運ぶ近隣の住民もいる。体育大会で2年生が行う「仮装」は修学旅行と並んで最大のイベントである。
- 秋季休業(10月)。北野は前後期制をとっているため、学期の変わり目には一日だけ休業日が設けられている。
- 音楽フェスティバル(2月)。現在の音楽教員の働きかけと努力によって1992年から始まり、一行事としてようやく認められた。通称音フェス。2000年に文化芸術祭内舞台発表という位置づけに変更された。現在は吹田市文化会館(メイシアター)のホールを貸し切り、音楽選択者がクラスごとに合唱発表する。合唱前には著名な卒業生が講演を行う。音楽選択者以外も強制的に出席する。
- 断郊競走(2月)。淀川の河川敷を、男子は10km、女子は7km疾走する。走行距離こそ変わってはいるものの1935年から毎年行われており(1946年を除く)「冬の風物詩」となっている。ちなみに卒業生の漫画家手塚治虫はこの行事でトップ10に入った経歴を持つ。
他に、修学旅行、球技大会、勉強合宿、SS(スーパーサイエンス)宿泊研修、SS研究発表等がある。
[編集] 沿革
- 1873年 4月 東区(現中央区)難波御堂内に欧学校として府立中等学校創立。5月 集成学校と改称。
- 1874年 9月 東区今橋通5丁目と西区靫南通4丁目に東西両進級学校開校。11月 東進級校難波御堂内に移転。
- 1875年 9月 両進級学校合併。
- 1877年 6月 中ノ島常安町の新築校舎に師範・進級・集成校移転。8月 集成・進級両校合併し大阪府第一番中学校発足。
- 1879年 2月 府立大阪中学校と改称。
- 1880年 6月 府会、本校予算全額削除。7月 私立中学校として存続。
- 1881年 2月 府立中学校廃止の布達取消し。7月 大阪府師範学校別科大阪府中学校と称する。
- 1883年 7月 師範より分離して府立大阪中学校となる。11月 北区堂島浜通3丁目に移転。
- 1886年 10月 大阪尋常中学校と改称。
- 1887年 9月 江戸堀北通1丁目東江小学校分校に一時移転。
- 1889年 4月 堂島の旧敷地に新校舎落成移転。六稜の校章採用。
- 1895年 1月 大阪府第一尋常中学校と改称。
- 1896年 3月 生徒188名を新設の大阪府第五尋常中学校(現天王寺高校)へ分割。
- 1899年 4月 大阪府第一中学校と改称。
- 1901年 4月 大阪府堂島中学校と改称。6月 大阪府立堂島中学校と改称。
- 1902年 4月 大阪府立北野中学校と改称。5月 北区北野芝田町に新築移転。
- 1915年 11月 現校歌(作詞:土井晩翠・作曲:岡野貞一)制定。
- 1924年 4月 六稜同窓会発足。
- 1927年 8月 第13回全国中等学校野球大会(甲子園)に野球部出場。
- 1931年 4月 東淀川区十三南之町(現在地、現淀川区新北野)の新校舎に移転。(落成式は翌年)11月 六稜同窓会館竣工。
- 1935年 2月 第1回断郊競走。
- 1937年 4月 北野夜間中学(定時制の前身)開校。
- 1939年 1月 この年より4年連続全国中等学校ラグビー大会出場。(1942年 第24回全国中等ラグビー大会優勝。)
- 1943年 8月 プール竣工式。
- 1945年 3月 大阪大空襲のため入試中止・全員入学。6月 一部校舎空襲で焼失。
- 1948年 4月 学制改革により、大手前高等女学校(現大手前高校)と教職員・生徒を半分ずつ交換して、府立北野高等学校開校。
- 1949年 4月 第2回選抜高等学校野球大会で野球部全国優勝。
- 1953年 10月 旧図書館および旧食堂建設。
- 1961年 5月 生徒クラブ部室(鉄筋コンクリート2階建)竣工。
- 1962年 6月 急増対策校舎新館(鉄筋コンクリート2階建校舎)竣工。
- 1968年 7月 図書館竣工。
- 1971年 3月 プール改築工事竣工。4月 創立記念日を4月20日にあらためる。
- 1973年 10月 鼻祖欧学校創立より数えて創立百周年とし、創立百周年記念式典挙行。同窓会が大阪城内に梅林を造成、大阪市に寄贈する。
- 1976年 2月 第二体育館焼失。
- 1978年 2月 食堂付設新体育館竣工。6月 既設クラブ部室の一部2階増築竣工。
- 1980年 8月 第2新館(鉄筋3階建校舎)竣工。10月 クラブ部室(鉄筋2階建)竣工(旧平屋建部室取壊し)。
- 1985年 4月 北区芝田町済生会中津病院前庭に北野中学校跡記念碑除幕式。
- 1986年 6月 空襲で死亡の池田・中島両君殉難之碑除幕式。10月 急増対策プレハブ校舎(鉄骨2階建)竣工。
- 1987年 12月 第67回全国高校ラグビー大会出場。この時、現在弁護士として活躍中の橋下徹が出場した。
- 1998年 10月 校舎改築工事着工。
- 2003年 3月 新校舎と同じく竹山聖の設計により六稜会館(同窓会館)竣工。香港のビクトリアピークタワーそっくりのその風貌は、現地住民やOBらの間で話題となった。
- 2003年 10月 校舎改築工事全工程竣工。
[編集] 著名な出身者
[編集] 学者
- 八木秀次(元大阪大学総長、元参議院議員、八木・宇田アンテナ開発、文化勲章受賞、16期)
- 瀧川幸辰(元京都大学総長、法学者、「瀧川事件」、22期)
- 上野益三(京都大学名誉教授、動物学、31期)
- 安井琢磨(経済学者、文化勲章受賞、39期)
- 早石 修(京都大学名誉教授、医学・生化学者、文化勲章受賞、50期)
- 福田保(元大妻女子大学学長、54期)
- 渥美和彦(東京大学名誉教授、人工心臓の世界的権威、58期)
- 出口庄佑(元奈良女子大学学長、58期)
- 森毅(京都大学名誉教授、数学者、58期)
- 岡野事行(京都大学名誉教授、物理学、63期
- 加地伸行(大阪大学名誉教授、中国哲学、67期)
- 中西輝政(京都大学教授、政治学、78期)
- 阿辻哲次(京都大学教授、漢字学、82期)
- 竹山聖(京都大学助教授、建築学、85期)
- 早瀬晋三(大阪市立大学教授、東南アジア史、86期)
- 金水敏(大阪大学教授、国語学・言語学、87期)
- 市田良彦(神戸大学教授、社会思想史、88期)
[編集] 文化人
- 大中寅二(作曲家、28期)
- 佐伯祐三(画家 30期)
- 梶井基次郎(作家、32期)
- 森本薫(劇作家、「女の一生」、43期)
- 野間宏(作家、45期)
- 森繁久弥(俳優、文化勲章受章、45期)
- まきごろう(児童文学作家、1949年選抜高校野球大会の優勝監督、57期)
- 手塚治虫(漫画家、59期)
- 槙坪夛鶴子(映画監督、71期)
- 道浦母都子(歌人、78期、66卒)
- 上海太郎(俳優・劇作家、87期)
- 八木啓代(ラテン歌手、作家、92期)
- 橋下徹(弁護士、タレント、100期)
- たかのてるこ(作家、101期)
- 高木和弘(ヴァイオリン奏者、103期)
- 真竹すぐる(宝塚歌劇団女優、104期)
[編集] 経済
- 上野精一(元朝日新聞社社主、13期)
- 山本為三郎(元アサヒビール会長、25期)
- 藤阪修美(大阪ガス相談役、32期)
- 寺尾威夫(元大和銀行頭取、36期)
- 河崎邦夫(元東洋紡会長、38期)
- 上野淳一(元朝日新聞社社主、41期)
- 鴻池藤一(元鴻池組社長、41期)
- 滝沢三郎(元東洋紡社長、54期)
- 野波英一郎(元関東逓信病院院長、宮内庁侍従職侍医、54期)
- 熊谷直彦(元三井物産会長、57期)
- 藤田田(日本マクドナルド創業者、57期)
- 藤澤友吉郎(元藤沢薬品工業社長、59期)
- 森南海子(服飾デザイナ-、64期)
- 志甫溥(元TBS会長、66期)
- 藤洋作(元関西電力社長、元電気事業連合会会長、68期)
- 森本昌義 (元SONY社長、元ベネッセ社長、69期)
- 乾勲(元ガンバ大阪社長、70期)
- 山本雅弘(毎日放送社長、71期)
- 垣内剛(前JR西日本社長、75期)
- 藤原良雄(藤原書店社長、79期)
- 岩田松雄(ザ・ボディショップジャパン社長・元アトラス社長、89期)
- 笠原健治(ミクシィ社長、106期)
[編集] 政治・官界
- 有賀長雄(元枢密院書記官、1期)
- 仲小路廉(元枢密顧問官、農商務大臣(1912年)、逓信次官)
- 谷口恒二(元大蔵次官 / 戦災死(1945年5月))
- 阪本勝(元兵庫県知事、プロレタリア作家、30期)
- 黒田了一(元大阪府知事、41期
- 中江要介(元・駐中国大使、53期)
- 山崎敏夫(元・駐英国大使、53期)
- 松本善明(元衆議院議員、共産党の論客、57期)
- 角道謙一(元農林中央金庫理事長、元農林事務次官、58期)
- 北村汎(元・駐英国大使、59期)
- 中馬弘毅(衆議院議員、67期)
- 伴襄(住宅基盤整備公団総裁、元建設事務次官、71期)
- 斎藤音次(元・バタヴィア総領事)
- 森恒夫(連合赤軍幹部、75期、63年卒、獄中自殺)
- 新井将敬(元衆議院議員、78期、66年卒、自殺)
- 木村良樹(前和歌山県知事、82期)
- 松島みどり(衆議院議員、元朝日新聞記者、87期)
- 川条志嘉(衆議院議員、100期)
- 山本香苗(参議院議員、102期)
[編集] その他
- 柏尾誠一郎(元テニス選手、1920年アントワープ五輪出場、22期)
- 桐原真二(野球殿堂、六大学野球・慶應義塾大学選手、{大正期})
- 西村一男(元朝日放送アナウンサー、60期)
- 野村徹(早稲田大学野球部前監督、東京六大学野球・早大捕手、早慶6連戦、68期)
- 木村知義( NHKアナウンサー、78期)
- 中原秀一郎(朝日放送アナウンサー、84期)
- 山田五郎(コメンテーター、89期)
- 有働由美子(NHKアナウンサー、99期)
- 中村智子(朝日放送アナウンサー、99期)
- 小寺康雄(NHKアナウンサー、100期)
- 藤井彩子(NHKアナウンサー、100期)
- 津口竜一(社会人野球選手、TDK所属、110期)