亀有セツルメント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
亀有セツルメント(かめありせつるめんと)とは、帝大セツルメントに起源を持つ、学生セツルメント団体である。最盛期の1960年代には、東京大学を中心に100名近いセツラーを擁していた。その名が示す通り、東京都足立区の貧困層が多く居住する地域で活動していた。
全国学生セツルメント連合(全セツ連)が、日本共産党系の学生が多いのに対して、亀有セツルメントでは、日本社会党系の学生が多数を占めた。「学生の自己成長のためのセツルメント」を標榜する全セツ連に対し、「地域人民のためのセツルメント」を対置し、全セツ連の大会招請を無視し続けていた。セツル論に厳格なあまり、異端に隣保館を引き渡す代わりに、綾瀬セツルメントを名乗らせた。
しかし、極貧層の子どもの消滅とともに、「子どもと遊ぶサークル」に変化。明治大学を中心に残存したセツル論に厳格なセツラーは、逆に異端視されるようになり、1987年を最後に足立区関原地区からも撤収したようだ。