人権の前国家性
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人権の前国家性(じんけんのぜんこっかせい)とは、人権の本来的な性質とされるものである。
国家による法律(反対概念は自然法)の制定によって人権が人工的に発生するわけではなく、あらゆる時代のあらゆる個人において、人間が人間であるがゆえに国家の承認を待つことなくして当然に備わっているとされる。ジョン・ロックにより主張された。
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[編集] 議論状況
こんにちの欧米及び日本国内において多くはこの性質を肯定するが、懐疑論も有力である。
人権という語が登場したのは近代市民革命期でありそれほど歴史の長いものではなく、しかももっぱら西洋社会内部において用いられる概念に過ぎなかったことは事実である。国際連合が世界人権宣言を採択した現代においてなお、人権思想が例えばイスラム社会などにどの程度受け入れられているかは不明である。そこで国家以前に、まして原始社会においてさえ人権が存在するというのは事実と異なるのではないかという疑問がありえよう。
特に欧米では、1970年代のカーター大統領によるソビエトへの人権キャンペーン等共産主義陣営への対外政策として人権論が使われる事があったことなどから、当該国の経済的事情や伝統的価値システムを無視した人権論の押し付けは西洋社会(特にアメリカ)による文化侵略あるいは政治的プロパガンダではないかとの批判も強い。
これに対し人権の前国家性を肯定する立場は、人権という「概念」が無かっただけであってそれに相当するものは人間の持つ理性をその根拠として当然に存在し、あるいは国家などの集団組織によって抑圧され侵害されてただそれを意識することが少なかったのであって、人類の多年にわたる努力の結果少しずつこれを勝ち取るに到った等とする。また19世紀後半において、国内での人権論の高まりを背景にイギリスが反奴隷貿易に果たした役割等が評価されることもある。
[編集] 対立の構造
言わばこの理屈は、ちょうど神の証明のようなものである。
例えば、神を信仰する人間無しに神は存在しうるかという命題を設定したとする。ここで人間が宇宙の原理に人格を与えて把握しようとしたものが神という概念であるという前提に立つと、否定の結論を採らざるをえなくなる。これに対し、宇宙の原理それ自体を神とするのであればそれを肯定しうる。両者共に人間の存在を超えた宇宙の原理に相当するものがあることを否定出来ないためである。
あらゆる人間に対して神の存在を肯定しつくすことも否定しつくすことも不可能であるのと同様、人権の普遍性をその原因の点から立証することも反証することもできない。従って結局、効果の点から如何に人権思想が採られるべきか語られる他に無いということになる。
こんにちでは比較的多くの日本国民が人権思想そのものをそれほど違和感もなく道徳基準として肯定するであろうから、そのような国民的意識ないしは世界人権宣言にみられるような世界的潮流等を根拠として人権の前国家性を否定してなお現代日本における人権の存在を憲法等の具体的な法規無くして肯定しうる。
これに対し直接的な人権思想を採る事の無かった過去をどのように評価するのか、人権思想はより積極的・意識的に推し進めるべきという立場によれば、過去においても人権論は本来妥当してしかるべきであったということになるであろう。
一方、こんにちにおける人権思想は例えば「児童を酷使してはならない」であるとか、「不当な雇用差別をしてはならない」などのより具体的な形を伴って現れ、時としてある個人に対し不当な人権侵害をしているなどとして人権の名のもとに過剰に攻撃的に働くことが無いとは言えず、これを警戒する立場からは、その人権に相当するものという漠然としたものがどうして人権思想という特定の思想を取る必然性があるのか、これらが果たして人間が人間であることにより当然に不当であるとどうして言えるのかという疑問が出され、常識的・日常的な感覚以上の意味合いを過剰に人権概念に盛り込むべきではないとする結論が導かれることになるだろう。
要は、その根底にいかなる歴史観に立つかという深遠な問題を抱えつつも、こと日本においては、人権の前国家性は人権論の受け入れの是非ではなく、ほとんどより積極か慎重かの程度の違いにすぎなくなってきているのである。
[編集] なお残る問題
人権思想を採るとして、主体が人間の個人に限るということも、どうして当然に言えるのかは不明なままである。
なぜ「人間」に赤ん坊は含まれるのに胎児は含まれないのか、またなぜ国家や細胞や遺伝子などではなく個人単位であるのか。
歴史的には「野蛮人」はしばしばそれが当然であるとして人間扱いされず、家・一族に属する個人の不始末に由来する法的制裁を他の構成員が受けることは珍しいものではなかった。現在でも当事者と同一の組織に属しているということから事実上の社会的制裁を受けるケースは珍しいものではない。人権意識の啓蒙だけで解決できる問題かどうかにはなお議論を要しよう。
また海外を中心とした捕鯨反対運動などを始めとする動物愛護の高まりやクローン人間の問題など、従来の人権論だけでは解決できない問題も浮上してきている。加えて、将来ロボット産業の発達により労働革命が起きれば、社会において個人が果たす役割も変わりさらに難しい問題が発生するとも考えられる。
[編集] 参考文献
- Alice H.Henkin (1979) HUMAN DIGNITY THE INTERNATIONALIZATION OF HUMAN RIGHTS,Aspen Institute for Humanitic Studies
- A.I.Melden (1970) Human Rights,Wadsworth Publishing Company,Inc.
- Marc F. Plattner (1984) Human Rights in Our Time,Westview Press, Inc.