人民委員会議
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人民委員会議(じんみんいいんかいぎ、露:Совет Народных Комиссаров, 英:Council of People's Commissars, 略称:ソヴナルコム)は、ソビエト政府の執行機関(内閣)であり、1946年に閣僚会議に改組された。
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[編集] 歴史
1919年から1946年まで、ロシア共和国およびソビエト連邦の政府において、大臣の機能は人民委員により果たされていた。省に当たるものは人民委員部と呼ばれ、そして国家の主要な政府組織が人民委員会議であった。
共産党は労働者・農民のための政府を創設しようとした。伝統的に政府とは、支配者や大統領により選ばれた大臣たちの会議であったからである。共産党はこれをブルジョア的制度とみなし、労働者の国家においては、これと異なるもので組織しようとした。十月革命の後、政治権力は労農兵評議会(ソビエト)が手に入れた。第2回全露ソビエト大会(1917年)は、労働者人民の名の下でロシアを統治するために、最初の人民委員会議を導入・選出した。人民委員会議議長はまた、最高会議によって選出され、首相と同じ機能を果たした。初代の人民委員会議議長は、ウラジーミル・レーニンである。
1918年のソビエト憲法においては、ロシア共和国人民委員会議は、「国の問題に関する一般的統治」について、最高会議に対して責任を負うと規定した。憲法は、最高議会が閉会中、完全な法的権限をもって、人民委員会議が法令を発行することを可能にした。そして最高会議は、次会期において、決まってこれらの法令を承認した。事実、人民委員会議は、第2回全露ソビエト大会の後の1917年11月以来、すでにロシア共和国の政府権限を行使していた。
1946年スターリン体制の下、人民委員会議は閣僚会議に改組され、それにともない人民委員は閣僚(大臣)と改名された。
ソビエト連邦の樹立後、連邦人民委員会議は、その様々な設置案の下、創設された(議長の年代配列は、人民委員会議議長を参照のこと)。ソビエトの各共和国は、国内問題に対処する自らの政府を持っていた。それらもまた、連邦を構成する以前の諸会議により、人民委員会議と名づけられた。
[編集] 機構
以下は1941年6月当時の機構。人民委員部は連邦級と構成共和国級に分かれ、連邦級はソ連にしか存在せず、構成共和国級は各ソ連構成共和国にも同名の人民委員部が設置されていた。
[編集] 人民委員部(連邦級)
- 国防人民委員部(NKO)
- 海軍人民委員部
- 外務人民委員部
- 通信人民委員部
- 航空産業人民委員部
- 中機械製造人民委員部
- 弾薬人民委員部
- 兵器人民委員部
- 一般機械製造人民委員部
- 工作機械製造人民委員部
- 造船産業人民委員部
- 重機械製造人民委員部
- 電気産業人民委員部
- 発電所人民委員部
- 石油産業人民委員部
- 石炭産業人民委員部
- 非鉄金属人民委員部
- 鉄類金属人民委員部
- 化学産業人民委員部
- ゴム産業人民委員部
- 交通路人民委員部
- 河川船団人民委員部
- 海洋船団人民委員部
- 建設人民委員部
- 対外貿易人民委員部
- 調達人民委員部
- パルプ・製紙産業人民委員部
[編集] 人民委員部(構成共和国級)
- 内務人民委員部(NKVD)
- 国家保安人民委員部(NKGB)
- 法務人民委員部
- 建築資材産業人民委員部
- 軽工業人民委員部
- 肉・乳製品産業人民委員部
- 食品産業人民委員部
- 漁業産業人民委員部
- 繊維産業人民委員部
- 国内貿易人民委員部
- 農業人民委員部
- 穀物・畜産ソフホーズ人民委員部
- 林業人民委員部
- 国家監督人民委員部
- 保健人民委員部
- 財務人民委員部
[編集] 附属機関
- 国家計画委員会(ゴスプラン)
- 国立銀行
- 芸術問題委員会
- 高等学校問題委員会
- 映画産業問題委員会
[編集] 改名
1946年、人民委員会議は閣僚会議と改名され、その一方、人民委員および人民委員部は、閣僚(大臣)および省となった。
ソ連閣僚会議ビルは、モスクワ・クレムリン内において、最高会議幹部会ビルに隣接する位置にあった。
[編集] 関連事項
[編集] 外部リンク
- 旧ソ連閣僚会議ビル - 衛星写真