仙石政固
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仙石 政固(せんごく まさかた)は、但馬出石藩の第8代(最後)の藩主。
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時代 | 江戸時代後期~大正時代 | |||
生誕 | 天保14年12月15日(1844年6月22日) | |||
死没 | 大正6年(1917年)10月23日 | |||
別名 | 鋭雄(幼名) | |||
官位 | 従五位下、越前守、 従二位、子爵 |
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藩 | 但馬出石藩主 | |||
氏族 | 仙石氏 | |||
父母 | 父:土岐政賢、母:安子 養父:仙石久利 |
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妻 | 正室:木下俊敦の娘・峯子 |
天保14年(1843年)12月15日、第7代藩主・仙石久利の兄である土岐政賢の長男として出石で生まれる。父は仙石政美が嗣子無く死去して仙石騒動が起こったとき、本来なら後を継ぐ資格を持っていた人物だったが、病弱なために弟の久利に家督を奪われた人物であった。しかし久利にも嗣子が無かったため、早くから久利の世子として指名されていた。
幕末期には久利と協力して藩政を行ない、仙石騒動後に藩政を牛耳っていた堀新九郎を文久2年(1862年)12月には切腹に追い込んでいる。慶応元年(1865年)5月15日に久利の養嗣子となり、明治元年(1868年)4月には学校権判事に任じられた。明治3年(1870年)1月28日に久利が隠居したため、家督を継いで藩知事となる。
明治4年(1871年)7月14日、廃藩置県により藩知事を免官された。後に従二位、子爵となる。
大正6年(1917年)10月23日に死去。享年75。
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