伊東祐親
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伊東祐親(いとう すけちか、生年不詳 - 寿永元年2月15日(1182年3月21日))は平安時代末期の武将。藤原南家の流れを汲む伊豆の豪族伊東祐家の子。
東国における親平家方豪族として平清盛からの信頼を受け、1159年平治の乱に敗れて伊豆に配流されてきた源頼朝の監視を任される。しかし祐親の娘八重姫は、頼朝と通じて一子千鶴丸を儲けるまでの仲になってしまう。祐親はこれを知ると、平家の怒りを恐れ千鶴丸を滝壷に沈めて殺害、さらに頼朝自身の暗殺も図る。これを事前に察知した頼朝は、夜間馬に乗って逃げ出し、北条時政の館に匿われ、事なきを得たという。
治承4年(1180年)に頼朝が挙兵すると、大庭景親らと協力して石橋山の戦いにてこれを撃破する。しかしやがて勢力を盛り返した頼朝によってかえって追われる身となり、富士川の戦いの後捕らえられ、娘婿の三浦義澄に預けられる。義澄による助命嘆願が功を奏し、一時は一命を赦された祐親だが、これを深く恥入り自害して果てた。
八重姫と千鶴丸のエピソードにより敵役のイメージの強い祐親であるが、地元の伊東市では毎年「伊東祐親まつり」が開催されるなど、郷土の英雄として親しまれているようだ。また曽我兄弟の祖父としても有名である。