伊東竜二
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伊東竜二 | |
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プロフィール | |
リングネーム | 伊東竜二 |
本名 | 同じ |
ニックネーム | デスマッチドラゴン |
身長 | 185cm |
体重 | 95kg |
誕生日 | 1976年4月8日 |
出身地 | 岩手県岩手郡滝沢村 |
所属 | 大日本プロレス |
デビュー | 1999年4月29日 |
伊東 竜二(いとう りゅうじ、1976年4月8日 - )は日本のプロレスラー。岩手県岩手郡滝沢村出身。血液型B型。185㎝、95kg。大日本プロレス所属。通称「デスマッチドラゴン」。
目次 |
[編集] 経歴
高校時代はボクシングに勤しむ。茨城大学工学部を中退し、1999年、大日本プロレスに入団。同年4月29日、ツインメッセ静岡大会 vs葛西純でデビュー。
2001年、大日本プロレスのレフェリーである李日韓と入籍。プロレスラーとレフェリーのカップルとして話題に。バラエティ番組(キスだけじゃイヤッ!)にも取り上げられる。2003年6月からデスマッチの第一線で戦うようになり、8月には金村キンタローからBJW認定デスマッチヘビー級王座を奪取。デスマッチ参戦からわずか3ヶ月の快挙を達成した。以来、タイトルを保持し続けていたが、2005年12月21日の神奈川・横浜文化体育館大会でアブドーラ小林に敗れ、ベルトを失った。
現在は2005年6月にタイトルマッチで対戦した佐々木貴とタッグを結成。アパッチプロレス軍の対立派閥「たかし軍団」にも参加している。チーム名は一時期募集していたが、該当なしという結果に終わり、チーム名なしのまま活動を続けている。その時の候補は、「竜二と貴」(修二と彰とかけている。)・「ドラゴン&バキューン」。
[編集] ベルト返上
2006年9月10日の横浜文化体育館大会で佐々木貴の持つBJWデスマッチヘビー級ベルトに挑戦。2005年6月とは逆の立場で、同じ会場での対戦となったが、見事佐々木貴を下し第19代王者となる。しかし試合中にケージとラダーを組み合わせた4m近い高所からのドラゴンスプラッシュの失敗により左月状骨周囲脱臼、右橈骨幹部骨折など大怪我を負い即入院。手術は成功したが長期欠場を余儀なくされる。
そのことにより本人から 『デスマッチのチャンピオンが興行に出ないのはおかしいし、何よりもデスマッチファイターは怪我をしてはいけないという自分の考えを守り切れなかった。不甲斐無い気持ちでいっぱいです。このベルトを狙うデスマッチファイターには申し訳ないですが自分のわがままで返上させていただきます』とコメントし、ベルト返上を申し出た。
後のインタビューで、ドラゴンスプラッシュ失敗は、ラダーが組み合わされたケージ上部の蓋が、踏み切りの瞬間に開いてしまい(ケージは組立・解体を容易にする為、完全な固定式ではなく、はめ込み式だった)、バランスを崩して落下したのが原因と語った。
次期挑戦者候補として葛西純と挙がっていた。前に伊東がベルトを獲得して以降、葛西の名前を常に挙げ続け、当時ZERO-ONEに所属していた葛西がアパッチプロレス軍へ移籍し、大日本へ復帰した理由も、大日本で伊東とのタイトルマッチをやりたいからと公言している。
2007年2月11日の記者会見で、3月14日後楽園ホール大会での復帰戦を行う事を表明。
[編集] 得意技
- タランチュラ
- ドラゴンスプラッシュ
- ドラゴンキッカー
[編集] タイトル歴
- WEWハードコアタッグ王座
- BJW認定デスマッチヘビー級王座
- BJW認定タッグ王座
- KO-Dタッグ王座
[編集] テーマ曲
- THE THEME OF MORTAL KOMBAT / モータルコンバット(サントラ)
[編集] 外部リンク
- DEATH MATCH DRAGON - 公式サイト
- ドラゴン日記 - blog