伊達持宗
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伊達 持宗(だて もちむね、1393年(明徳4年) - 1469年2月19日(応仁3年1月8日))は室町時代前・中期の守護大名。伊達氏の第11代当主。第10代当主・伊達氏宗の嫡男。官位は兵部少輔。大膳大夫。
幼名は松犬丸。名は持宗のほか、泰宗。1413年、鎌倉府の足利持氏に対して反旗を翻した。怒った持氏は、畠山氏に持宗討伐を命じたが、当時は持氏と関東管領・上杉氏憲(禅秀)らの対立もあったため、鎌倉側は伊達氏を討伐することができなかった(伊達持宗の乱若しくは伊達松犬丸の乱)。その後、持宗は幕府に帰順し、寺社造営などで功を挙げた。1469年に死去。享年77。法号は天海。
後を伊達成宗が継いだ。
[編集] 系譜
伊達氏宗家 |
歴代当主 |
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平安末期~戦国末期
伊達朝宗|伊達宗村|伊達義広|伊達政依|伊達宗綱|伊達基宗|伊達行宗|伊達宗遠|伊達政宗|伊達氏宗|伊達持宗|伊達成宗|伊達尚宗|伊達稙宗|伊達晴宗|伊達輝宗 |
陸奥仙台藩主(松平陸奥守家)
伊達政宗|伊達忠宗|伊達綱宗|伊達綱村|伊達吉村|伊達宗村|伊達重村|伊達斉村|伊達周宗|伊達斉宗|伊達斉義|伊達斉邦|伊達慶邦|伊達宗基 |
明治~現在
伊達邦宗|伊達興宗|伊達貞宗|伊達泰宗 |