伝国璽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伝国璽(でんこくじ)とは、中国の歴代王朝および皇帝に代々受け継がれてきた玉璽(皇帝用の印)のこと。
秦の始皇帝の時代に、霊鳥の巣が見つかり、そこに宝玉があった。これを瑞兆とした始皇帝は、李斯に命じて「受命于天 既寿永昌」と刻ませ、形を整え、皇帝専用の璽としたという。
前漢末期、王莽が帝位を簒奪せんと、当時、太皇太后としてこの玉璽を保管していた、伯母の王政君(孝元太皇太后)に玉璽を自分に引き渡すように求めるべく使者を送った際、これに激怒した王政君は王莽を散々に「(漢の皇帝の引き立てで今の自分達があるのを忘れた)恩知らず」と罵り、使者に向けて伝国璽を投げつけた。故に伝国璽はつまみの部分にあたる龍の角の部分が欠けてしまい、後に金でその部分を補修したといわれる。それが本物の伝国璽である証拠だと伝えられているが定かではない。
また、後漢末期、呉の孫堅が董卓討伐の時、戦で焼け野原となった洛陽の古井戸の底から伝国璽を拾い、領地へ帰還。その後、長子の孫策が上司である袁術に渡し、後にその袁術が皇帝を僭称したと言う『三国志演義』の話は有名(袁術が皇帝を僭称したのは事実。伝国璽を得た故にと言うのは創作)。
以後も代々の、主に中原王朝の皇帝に受け継がれてきたらしいが、五代十国時代の946年に後晋の出帝が遼の太宗に捕らえられた時に、紛失。以後、行方不明となっており後世の歴代王朝は漢代の玉璽をまねて作った(作られた)、模造品を本物の伝国璽として使用した。