倉場富三郎
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倉場 富三郎(くらば とみさぶろう、英名:Tomas Albert Glover、明治3年12月8日(1871年1月28日) - 昭和20年(1945年)8月26日)は日本の実業家、水産学者。
幕末から明治維新にかけて活躍した英国人貿易商トーマス・ブレーク・グラバー (Thomas Blake Glover) の長男として1870年12月8日、長崎に生まれる。
長崎の加伯利英和学校を経て学習院大学を卒業後、米国のペンシルバニア大学で生物学を学び、帰国後、父のホームリンガー商会に入社、また長崎汽船漁業会社を興して日本に初めてトロール漁業を導入するなど第二次世界大戦前まで長崎の実業界にて活躍する。妻はやはり日英混血の中野ワカ。また、長崎魚市場から収集した水産動物の精巧な図譜『日本西部及び南部魚類図譜』いわゆる『グラバー図譜』を編纂した。
第二次世界大戦開始後、英国人の父と日本人の母の混血児だった富三郎はスパイ嫌疑をかけられ国の監視の中で厳しい生活を送ることを強いられた。終戦直後の1945年8月26日にピストル自殺。死に先立って『日本西部及び南部魚類図譜』の遺贈先を理解者の渋沢敬三に遺言状で指定。その後渋沢は長崎大学水産学部に寄贈した。