健介office
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健介office(けんすけおふぃす)は、2003年に誕生した埼玉県吉川市にあるプロレス団体。通称・健介ファミリー。
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[編集] 設立経緯
2003年、WJプロレス(以下、WJ)を退団後、WJ旗揚げの為に用意した多額の支度金が返って来ず、無一文状態となっていた佐々木健介と妻である北斗晶が立ち上げたプロダクション。天龍源一郎のアドバイスにより、北斗が佐々木のマネージャーとして動くことを決意したことが発端。
WJに参戦していた男子史上最年少でデビューした中嶋勝彦も、当初3ヶ月の予定で健介宅に居候しながら入団先を探すことになっていたが、本人が健介の付き人をずっとやっていたいとの希望を申し入れたことで、健介office入り。その後現在まで、『健介の息子』とのギミックで活躍している。 2005年末には、『株式会社健介オフィス』として会社化する。これにより佐々木と中嶋はフリーではなく、正式に健介オフィス所属となった。代表取締役社長には北斗晶こと佐々木久子が、選手アドバイザーには「健介の生みの親」ことマサ斎藤が就いている。
株式会社化に伴い、吉川市内に自社ビル(道場、寮、飲食店、事務所)を建設することを発表したほか、練習生とスタッフも募集した。北斗は、かつて自身が所属していた全日本女子プロレスのシステムを導入し、厳しいオーディションを行うことを明言。入門後もプロテストを行い、不合格の場合は退寮となる。 当初予定していた自社ビルの構想は耐震強度などを理由に見直しとなり、その結果一階に道場、二・三階に事務所と寮という構成に変更された。飲食店に関しては、別途店舗を賃貸して行う構想が発表されている。また、健介オフィスのオフィシャルサイトやブログはライブドアが制作、運営をしている。
尚、2006年11月29日に記者会見を行い、これからはプロレスプロダクションではなく、プロレス団体として展開していくことを北斗が宣言。そのため、翌2007年2月に旗揚げ興行を行うことを発表した(後述)。またグレコローマン96キロ級学生王者である拓大の山口竜志が、佐々木の盟友である馳浩の紹介で入団することも正式に発表された。
[編集] 自主興行
[編集] 佐々木健介20周年記念大会
2006年2月11日には後楽園ホールにて全日本の全面協力の下『佐々木健介20周年記念大会』と題した自主興行を開催した。メインイベントは健介・小橋組vs天龍・中嶋組。チケット先行販売と対戦カード発表は1月2日の全日本後楽園ホール興行での発表であったが、メイン発表時の反応は大きく、チケットは即日完売という北斗も驚く売れ行きを見せた。
メインのマッチメイクに当たり、天龍への参戦要請は比較的容易に行えたものの、北斗が佐々木にパートナーの希望を尋ねたところ、佐々木は「小橋選手」と予想通りの答えが返ってきた為、北斗は困惑した。小橋と天龍のプロレス界における格を考えると、大規模会場で行える程のカードであったためである。しかし、北斗がノアに参戦を打診したところ、ノアも小橋も快諾。また、同興行に全日本の木原文人リングアナが体調不良のため参加出来ず、ノアの仲田龍にリングアナを打診したところ、仲田も小橋同様に快諾した。奇しくも、和田京平レフェリーと仲田リングアナの「全日本ゴールデンコンビ」の復活となった。興行は大盛況となった。
[編集] 旗揚げ戦
健介オフィスがプロレスプロダクションからプロレス団体へ変貌を遂げたことから、2007年2月11日、東京・ディファ有明で、自主興行「健介オフィス旗揚げ興行 Take the dream vol.1 ~夢を掴め~」を開催することが決定。メインは佐々木健介vs中嶋勝彦。 また、この興行の地上波放送が決定(テレビ東京3月11日深夜)北斗は「バラエティーの優しい健介じゃなくて闘う健介を見て欲しい」とコメント
試合は健介がノーザンライトボムで勝利した。親父越えを果たしたい勝彦だったが、勝彦が健介の欠場中に乗り越えた試合(試練)の成果からか健介に全力と言えるノーザンライトボムを出させたのは勝彦の成長を物語っている試合でもあった
[編集] 所属選手
- 佐々木健介
- 中嶋勝彦
- 北斗晶(マネージャー)
- 三島来夢
[編集] 練習生
- 山口竜志
- 起田高志
- 宮原健斗
[編集] 経営陣
- 代表取締役:佐々木久子(北斗晶)
- 取締役:佐々木健介
- 選手アドバイザー:マサ斉藤
- 道場長:中嶋勝彦
[編集] 外部リンク
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