児玉広志
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児玉 広志(こだま ひろし、1969年5月31日-)は日本の競輪選手である。香川県小豆郡小豆島町出身。日本競輪学校第66期卒業。日本競輪選手会香川支部所属。初出走は1990年8月9日、西武園競輪場。初勝利も同レース。血液型はB型。
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[編集] 戦績
高松第一高等学校在学中から自転車競技を始め、卒業後に日本競輪学校へ入学。デビューから2年後に競輪祭新人王戦を優勝して注目を集めるようになり、1996年にオールスター競輪を優勝するとトップ選手としての地位を確固たるものにした。
身長166cmという小柄な体格と、当時選手層の薄かった四国地区所属の選手だったため、しばしば他地区のラインへ切り込む等のライン戦法を無視した競走を行っていたが、ラインに関係なく立ち回る戦法は、現世代の選手たちに大きな影響を与えている。
全盛期には、その戦法で特別競輪において活躍を続けタイトルを量産し、2000年にはオールスター競輪とKEIRINグランプリ2000を優勝して競輪界の頂点にまで上り詰め、両方のレースともゴールした後に自転車から降りてバンク上を飛び跳ねて喜んだいたことは語り草となっている。
[編集] 主な獲得タイトルと記録
- 1992年 - 競輪祭新人王(小倉競輪場)
- 1996年 - オールスター競輪(岐阜競輪場)
- 1997年 - 全日本選抜競輪(いわき平競輪場)
- 1999年 - 寛仁親王牌(前橋競輪場)
- 2000年 - オールスター競輪(高知競輪場)、KEIRINグランプリ2000(立川競輪場)
- 年間賞金王1回 - 2000年
[編集] 競走スタイル
持ち前のダッシュ力を生かして捲り追込重視の自在戦を展開し、上述のように他ラインへ切り込む競走を行っていたことから「一匹狼」や「忍者」などと呼ばれた。
なお体格をカバーするため自転車のフレームは特殊仕様にしており、走行バランスの不安定さをトレードオフとして用いているため落車することが非常に多く、レース中での巻き添えを恐れて同乗を嫌がる選手もいるほどである。特に2001年には年間に8回も落車してしまい、近年の成績低下についてはファンの間で落車によるダメージ蓄積が原因と評されている。
現在は四国の選手層が厚くなってきており、四国勢でラインを組んで一般的な追込戦法を取ることが多い。
[編集] 関連項目
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