八村義夫
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八村義夫(はちむら よしお、1938年10月10日 - 1985年6月5日)は、クラシック音楽の作曲家。東京都出身。1961年東京芸術大学卒業。島岡譲、入野義朗に師事した。1976年福山賞を受賞。作曲活動と並行して、桐朋学園大学助教授、東京芸術大学講師を務め、後進の指導にも当たった。
目次 |
[編集] 作風
一般的に解説される八村義夫の作風は、超表現主義とロマンティシズムで語られることが圧倒的に多い。
八村義夫の書法は1960年代のイタリア音楽の影響を強く受けているとされ、場合によっては響きも似ている。「彼岸花の幻想 (1969)」や「エリキサ (1974)」のピアノパートは、シルヴァーノ・ブッソッティの「クラヴィアのために (1963)」からの直截な素材引用が認められる。作品全体が旋法性と前衛イディオムの間を行ったり来たりするのは、これまた同じくシルヴァーノ・ブッソッティの「アルバムの1ページ (1970)」、「ラーラ・レクイエム (1970)」のアイディアそのままである。「愛の園-アウトサイダー第一番- (1971)」も第一次ポーランド楽派のクラスターではなく、むしろブッソッティのクラスターに近い。八村本人も再三にわたって弟子の野川晴義、藤家渓子、久木山直や杉山洋一等にブッソッティへの心酔を語っており、2006年現在の研究において影響はもはや隠せなくなった。このような直截な影響関係は、1970年代にほとんど指摘されることはなかった。
八村義夫の音楽は、驚異的なまでに高められ、そして超越的な美意識下に統制された、極めて凝縮された音の濃淡としての響きである。また初期の作品に関して、八村自身はシェーンベルクの表現主義にかなり影響を受けていると語っている。
狂乱と静寂という対極性が同時に紙上に定着している、そのような作風は日本の作曲家の中では異質であるといえる。また松村禎三との関連を指摘されることもあるが、松村の作品におけるような「粘着性」は感じられないといえるかもしれない。しかし、ある意味において、共通の何かを感じさせるともいえるだろう。
彼はイタリア・ルネッサンス時代の作曲家カルロ・ジェズアルドを好んだが、ジェズアルドの半音階的で、ある種異常な音響世界と八村義夫の感覚的に暗澹とし、かつ凝着質で、マニエリスムな音の連なりの間には、限りなく密接な美的感覚、美意識が内在していることは容易に想像されるだろう。
八村義夫自身の苦悩は、その独自の個人様式の確立という部分に大半を割かれたために創作ペースが極めて遅くなってしまったといえる。これを物語るエピソードに次のようなものもある。「空中キャッチ」の制作は『今から、俺が頭の中に思いついた響きを制作してくれ。その為にここで待ってくれないか。』という八村のあまりにも非常識な発言に、エンジニアは業を煮やして帰ったらしい。
その音楽の厳しさのために大多数の聴き手を阻み続けているが、またそれがゆえに、未だ、新たな聴き手を惹き付け続けている。
[編集] 全作品
- ピアノのためのインプロヴィゼーション (1957年)
- しがらみ (1959年)
- 一息ごとに一時間 (1960年)
- レントとアレグロ (1960年,日本音楽コンクール第三位入賞作だが、撤回の可能性あり)
- ヴァイオリンとピアノのためのインプロヴィゼーション (1964年)
- 星辰譜 (1969年)
- 彼岸花の幻想 (1969年)
- しがらみ第二 (1970年)
- 合唱曲「愛の園」(アウトサイダーNo.1) (1971年)(ウィリアム・ブレイク(<愛の園>))
- アハーニア(第1ヴァージョン) (1971年)
- 空中キャッチ (1973年)
- アウトサイダーNo.2 (1974年)
- エリキサ (1974年)
- インティメイト・ピーセズ (1974年) (未完)
- 錯乱の論理 (1975年)
- 3つのプレリュード (1975年)
- アハーニア(第2ヴァージョン) (1977年)
- マニエラ (1980年)
- ブリージング・フィールド (1981年)
- ドルチシマ・ミア・ヴィタ (1981年) (初版と改訂版の二つの稿がある)
- ラ・フォリア (1985年)(遺作、未完)
[編集] 著作
- 『ラ・フォリア――ひとつの音に世界を見、ひとつの曲に自らを聞く』草思社、1986年