冷泉為恭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
冷泉 為恭(れいぜい ためちか、文政6年(1823年) - 元治元年5月5日(1864年6月8日))は、幕末期の公卿召抱えの画家。名は晋三。永恭。別名は岡田為恭。号は心蓮。
狩野永泰の三男として生まれる。冷泉の姓は自らが冷泉家に無断で名乗ったもので、公家の出自ではない。
為恭は復古的な大和絵の画家であり、1850年には蔵人所衆である岡田氏の養嗣子となった。後に関白・九条尚忠に仕える近侍となる。
しかし主君の尚忠が佐幕派であったことから、為恭自身も佐幕派であった。このため、過激な尊王攘夷派から命を狙われ、為恭は紀伊国粉河寺に逃れた。しかし尊王攘夷派の追跡は厳しく、堺から丹波国に逃れる。ところがここで長州藩の大楽源太郎らによって捕縛されて殺害されてしまったのであった。享年42。
画家としての才能は優れており、障壁画や仏画に当時としては傑作といわれるほどの名画を残している。