出羽三山
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出羽三山(でわさんざん)とは、山形県庄内地方にひろがる月山・羽黒山・湯殿山の総称である。修験道を中心とした山岳信仰の場として、現在も多くの修験者、参拝者を集める。
それぞれの山頂に神社があり、これらを総称して出羽三山神社という。羽黒山に三社の神を併せて祀る三神合祭殿があり、宗教法人としての事務所も羽黒山(鶴岡市羽黒町手向7)に置かれている。
山名 | 社名 | 祭神 | 本地仏 | 所在地 |
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月山 | 月山神社(がっさんじんじゃ) | 月読命(月山権現) | 阿弥陀如来 | 鶴岡市・庄内町・西川町境 |
羽黒山 | 出羽神社(いではじんじゃ) | 伊氏波神・稲倉魂命(羽黒権現) | 正観世音菩薩 | 鶴岡市・庄内町境 |
湯殿山 | 湯殿山神社(ゆどのさんじんじゃ) | 大山祇神・大己貴命・少彦名命(湯殿山権現) | 大日如来 | 鶴岡市・西川町境 |
目次 |
[編集] 歴史
出羽三山は、約1,400年前、崇峻天皇の御子、蜂子皇子(能除太子)が開山したと伝えられる。崇峻天皇が蘇我氏に害された時、蜂子皇子は難を逃れて出羽国に入った。そこで、三本足の霊烏の導きによって羽黒山に登り、苦行の末に羽黒権現の示現を拝し、さらに月山・湯殿山も開いて三山の神を祀ったことに始まると伝える。
月山神社は延喜式神名帳に記載があり、名神大社とされている。出羽神社も、神名帳に記載のある「伊氐波神社」(いてはじんじゃ)のことであるとされる。古来より修験道(羽黒修験)の道場として崇敬された。三山は神仏習合、八宗兼学の山とされ、江戸時代には一山を寂光寺と称して天台宗として奉祀されていた。明治の神仏分離で神社となった。旧社格は月山神社が官幣大社、出羽神社・湯殿山神社が国幣小社である。戦後、神社本庁の別表神社となった。
現在毎年8月末には出羽三山神社、羽黒山修験本宗のそれぞれの山伏により「秋の峰」と呼ばれる1週間以上に及び山に籠る荒行が行われる。
[編集] 文化財
[編集] 建造物
- 「羽黒山五重塔」1966年6月11日指定
- 「羽黒山正善院黄金堂」1908年4月23日指定
- 「羽黒山三神合祭殿」2000年5月25日指定
- 「羽黒山鐘楼」2000年5月25日指定
- 「月山神社出羽神社湯殿山神社摂社月山出羽湯殿山三神社社殿(旧日月寺本堂)」2000年5月25日指定(山形県西村山郡西川町岩根沢所在)
[編集] 美術工芸品
- 重要文化財
- 「銅燈篭竿 文和元年七月二十五日の銘あり」1915年3月26日指定
- 「銅鏡(羽黒山御手洗池出土)」190面 1937年7月29日指定