勝手連
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勝手連(かってれん)とは、市民活動のスタイル・名称の一つ。主催者からの強制ではなく、あるテーマに賛同する者が自発的に集まってそのテーマを支援・実現していくことを目的とする。
1983年の北海道知事選挙に際して、候補となった横路孝弘を支援する団体が「横路孝弘と勝手に連帯する若者連合」を名乗ったことに由来する。この選挙で横路は道知事選では初めて保守系候補を破って当選し、その存在が広く知られるようになった。
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[編集] 北海道知事選挙での勝手連
1983年の知事選挙を控え、北海道では当時社会党の衆議院議員だった横路を知事候補に擁立する動きが40歳台以下の若い有権者に持ち上がっていた。擁立を目指すグループは横路を招いた討論会において、彼の知事選出馬を強く促したが横路はこれを拒否した。そこで、擁立運動の中心だった田村正敏は、「本人にその気がないなら、こちらから勝手に連帯することにしよう」と「横路孝弘と勝手に連帯する若者連合」を名乗って活動を開始する。
この勝手連運動においては、「横路孝弘と連帯するかどうか」の一点に絞って活動を行い、参加も脱退も本人の自由とする、従来の選挙運動組織と比較して緩やかな体制がとられた。その結果参加者が相次ぎ、道内のあちこちに「勝手連」が誕生した。その盛り上がりに横路も出馬を決意し、道庁を頂点とする自治体を通じた保守陣営の「上からの組織選挙」に打ち勝った。
こうした運動形態はベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)などに起源を持つものであるが、国内の規模の大きな選挙において適用されたのは初めてであった。
[編集] 宮城県知事選挙での勝手連
1997年と2001年の宮城県知事選で、現職知事だった浅野史郎が政党の推薦や支持を受けない「脱政党」を打ち出した。この際、民主党と社会民主党が勝手連として浅野を支援した。(ちなみに浅野は、1993年の知事選では新生党、日本新党、新党さきがけ、社会民主連合から推薦を受けている)
[編集] 影響・その後
北海道知事選挙での成功に触発され、同年夏の参議院選挙や、2007年都知事選挙には「勝手連」を名乗る団体も複数出馬した。しかし、それらの団体はブームに乗っただけのものが多く、成果をあげることができずに終わっている。
今日、明確に「勝手連」を名乗る市民運動は、2007年都知事選挙を除いては、ほとんど存在しないが、そのスタイルは多くの市民活動やNPOに影響を与えているといえる。「勝手連的な運動」といった用いられ方をすることも多い。
[編集] 公職選挙法上の勝手連
公職選挙法においては、選挙運動と「政党その他政治活動を行う団体」の政治活動とについて一定の制限があるが、非組織的又は一時的な集まりは「政党その他政治活動を行う団体」にはあたらないとされるため、通常の勝手連は選挙運動への規制が適用となるのみであり、政治活動は選挙期間においても自由である。ただし組織的かつ継続的な団体が勝手連を名乗る場合はこの限りではない。