北海道旭川工業高等学校
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北海道旭川工業高等学校(ほっかいどうあさひかわこうぎょうこうとうがっこう)は、北海道旭川市緑が丘東4条1丁目にある公立(道立)の高等学校(工業高等学校)。
通称は「旭川工業」、「旭工(きょっこう)」。校訓は「信頼される人になれ」
目次 |
[編集] 設置学科
- 全日制
- 工業化学科
- 建築科
- 土木科
- 電気科
- 情報技術科 [旧・電子科(1963~1998)/電子工業科(1961~1962)]
- 電子機械科 [旧・機械科(1956~1994)]
- 自動車科
- 定時制
- 電気科
- 建築科
- 土木科
[編集] 沿革
- 1941年 2月25日 文部省告示第163号を以って、北海道庁立旭川工業高等学校として設立認可される。応用化学科・建築科・土木科の3学科を設置する。
- 1941年 4月21日 開校式を挙行する。
- 1941年 6月1日 校章を制定する。
- 1942年 10月21日 校旗を制定する。
- 1943年 12月10日 校歌を制定する。
- 1948年 3月31日 学制改革により、北海道立旭川工業高等学校となる。
- 1948年 4月1日 第二工業学校に併置されていた旭川市立工業学校が本校に移転し、旭川市立工業高等学校(夜間部)となり、建築科・土木科の2学科を設置する。
- 1949年 3月31日 旭川市立工業高等学校を併合し、本校定時制とする。
- 1950年 4月1日 北海道旭川工業高等学校となる。
- 1950年 6月27日 校訓を制定する。
- 1951年 3月14日 電気科を設置する。
- 1956年 2月28日 機械科を設置する。
- 1957年 2月28日 校訓と実践目標を改定する。
- 1958年 2月18日 自動車科を設置する。
- 1961年 1月18日 全日制課程に電子工業科を設置し、定時制課程に電気科を設置する。
- 1963年 4月1日 電子工業科を電子科に変更する。
- 1994年 4月1日 機械科を電子機械科に変更する。
- 1998年 4月1日 電子科を情報技術科に変更する。
[編集] 生徒の活動
工業高校の特色を生かしたものづくりコンテストなどがある。部活動では、野球部、バスケットボール部が強豪と呼ばれている。
[編集] 体育系部活動
ソフトテニス部、野球部、陸上部、ラグビー部、バスケットボール部、卓球部、バトミントン部、柔道部、剣道部、ボクシング部、サッカー部、バレーボール部、山岳部
- 野球部
[編集] 文化系部活動
吹奏楽部、写真部、演劇部、美術部、アマチュア無線部、情報処理部
- 写真部
- 平成17年 第12回全国高等学校写真選手権大会 写真甲子園2005で優勝。
[編集] その他局、同好会
図書局、応援団、新聞局、放送局、自然環境同好会、空手同好会
[編集] ものづくりコンテスト
化学系化学分析部門、建設系橋梁模型制作部門 、電気系電子回路組立部門、建設系木材加工部門、機械系自動車整備部門、電気系電気工事部門
[編集] その他工業系大会・コンテスト
ロボット相撲、マイコンカーラリー
[編集] 生徒会活動
- 役職
- 会長
- 副会長
- 書記長
[編集] 生徒会行事
対面式、部活動紹介、生徒総会、工高祭、旭工オリンピック、体育文化大会がある。対面式、部活動紹介は新入生に対して在校生が科や学校について、部や同好会についての説明や勧誘を行う。工高祭は(一般に学校祭といわれるもの)は、 2004年度までは隔年開催だったが、2005年度生徒会の提案・活動によって同年度から毎年開催になった。マラソン大会は制限時間1時間50分、男子12km、女子10kmで行われ、完走できなかった場合は、後日補習が行われ、100位以内だった場合は翌年同大会でシード権が与えられる。ちなみに生徒会行事ではないが毎年行われる。
[編集] 出身者
- 福嶋康博(エニックス創業者・スクウェア・エニックス相談役名誉会長)
- 星野伸之(元オリックス・ブルーウェーブ、阪神タイガース投手)
- 鈴木貴志(元千葉ロッテマリーンズ投手)