千葉貞胤
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千葉 貞胤(ちば さだたね、1292年1月6日(正応4年12月15日) - 1351年1月28日(正平6年/観応2年1月1日))は、千葉氏の第11代当主。第10代当主・千葉胤宗の子。官位は従四位下、千葉介。
1312年、家督を継いで当主となり、伊賀や下総の守護職を継承した。1331年、北条貞直の軍に属して楠木正成が守る河内下赤坂城攻めで功を挙げた。1333年、新田義貞が鎌倉に攻め入ると義貞に与し、鎌倉攻撃に参加した。1336年、恒良親王を擁して義貞と共に北陸に向かったが、途上で義貞軍とはぐれて雪道を迷い、やむなく足利尊氏に降伏した。1348年、楠木氏と戦い、戦功を挙げた。1351年1月1日、61歳で京都にて死去した。
長男の千葉一胤は正式な家督継承前に戦死していたため、後を次男の千葉氏胤が継いだ。